第九話 見えない距離感の正解
仕事終わり、部屋の明かりを点けてから、帰り道のコンビニで買ったパンをテーブルに置いた。
永山さんと食べたパンと無意識に比較してしまう。
冷めている。
口に入れた時の香りの広がりが弱い。
とても、静かだ。
店長の言葉を思い出して、思わずパンを握りしめた。
どう振る舞えばいいんだろう、と思ってしまう。
それは永山さんに対してではない。むしろ明日からの自分に向けた問い。
一緒にいると落ち着く。
笑うタイミングも、沈黙の間も、無理がない。
それが恋なのか、ただの居心地の良さなのか、私には区別がつかなかった。
好きという言葉を当てはめるには、何かが足りない気がするから。
でも、何も感じていないと言い切るほど鈍くもない。
パンを袋から全部出してから、少しだけちぎる。
中の柔らかさに、永山さんとの会話がふと重なって、手が止まった。
──距離感。
店長の声だけが、妙に鮮明だった。
近づきすぎている、と言われたわけじゃない。
ただ、今の距離をどう扱うかを、委ねられただけ。
考えた。考えた結果、私は決めた。
わからないなら、守ればいい。
この気持ちに名前がつくまでは、言われた距離感を、保てばいい。
翌日、シフト表を見て永山さんの名前を確認した瞬間、胸が小さく跳ねた。
その反応を、自分で見なかったことにした。違う、違うから。
挨拶は、いつも通り。
でも立ち位置は、いつもより半歩だけずらす。
話しかけられても必要以上に近づかない。
永山さんは、特に何も言わなかった。
それが余計に、私の中で距離を保つ理由になった。
私はちゃんと選んでいる。正しい距離を。
間違えないための距離を。
ただ、この選択が、時間を進めてしまうことだけは、まだ考えないようにしていた。




