第四話 アフタヌーンティー
当日、私は少し早めに家を出た。
前日に何度も鏡の前で服を合わせたせいで、クローゼットの前に立つだけで既視感を覚えるようになってしまった。
長後さんが見せてくれたコーディネートを思い出しながら、無難で、でも手抜きに見えない組み合わせを選んだ。
派手ではない。
でも、いつもの自分より、少しだけよそ行き。
鏡の中の私は、落ち着かない顔をしていた。
変なところはない。
そう自分に言い聞かせて、家を出た。
待ち合わせは今日行くアフタヌーンティーのお店の最寄り駅。
私は改札前で立ち止まり、スマホを確認する。
「田奈さん」
振り返ると、永山さんが手を挙げていた。
私より少し早く着いていたらしい。
「おはようございます」
「おはようございます。今日はありがとうございます」
律儀に頭を下げる永山さんに、少しだけ気が抜けた。
仕事の延長線みたいな空気だ。
「服、そんなに気合い入れなくていいって言ったのに」
「入れてません。最低限です」
「最低限でそれなら、普段どんだけラフなんですか」
失礼なことを言いながらも、永山さんはどこか安心したような顔で笑った。
その笑顔に、きっと意味はない。
意味を読み取ろうとするのは、私の悪い癖だ。
駅からお店までの少しの距離を歩きながら、私たちは当たり障りのない話をした。
「こういうところ、よく行くんですか?」
「全然。だから一人で行く勇気なくて」
「分かります。私もです」
「ですよね」
それだけで、少し空気が和らいだ。
特別な共通点ではない。
ただ、似たような臆病さを持っているというだけ。
目的のお店に着くと、ロビーの空気が一気に変わった。
柔らかい香りと、静かな話し声。
周りはきれいな服を着た女性同士や、落ち着いた雰囲気のカップルばかり。
場違いではない。
そう思いたい。
「予約してます、永山です」
受付を済ませる永山さんの横で、私は手持ち無沙汰に立っていた。
スタッフの女性がにこやかに微笑んだ。
「お二人でのご利用ですね」
「はい」
即答だった。
訂正する理由もない。
席に案内され、三段のスタンドが運ばれてくる。
写真で見たままの、きれいなお菓子たち。
「すごいですね……」
私は思わず口に出した。写真やネットで見るのとは違う。
甘い香りがふわりとテーブルに広がる。
「ですよね。これが食べたかったんです」
永山さんの目が、素直に輝いていた。
ああ、本当にただ来たかっただけなんだな。
そう思って、少し肩の力が抜ける。
「せっかくなんで、写真、撮ります? 田奈さんの席の後ろガラスなんで綺麗に撮れますよ」
スマホを手に取る永山さんを見て、私は少し迷った。
「あー……いえ、料理だけでいいですよ」
「わかりました」
迷いなくそう言われて、胸の奥で何かが静かに落ち着いた。
踏み込まない。
踏み込ませない。
これは、そういうのじゃない。
お茶を飲みながら、他愛のない話をする。
仕事のこと。
最近見たドラマのこと。
どうでもいいようで、どうでもよくない話。
「田奈さんって、こういうところ来ると緊張します?」
「します。なんなら今もしてます」
「ですよね。俺もです。なんか背筋伸びますもんね」
同じだ。
その事実が、妙に心地いい。
途中、スタッフが声をかけてきた。
「よろしければお二人でお写真お撮りしますか?」
一瞬の間。
永山さんが私を見る。
「大丈夫です」
きっぱりと、でも冷たくない笑顔で永山さんは断った。
さっきので察してくれたのかもしれない。多分。
スタッフは少しだけ不思議そうにしながらも、笑顔で会釈をして他のテーブルへ声をかけに行った。
周りから見れば、きっとカップルだ。
でも、私たちはそれを肯定もしないし、否定もしない。
食べ終わる頃には、最初の緊張が嘘みたいに薄れていた。
楽しかった、という感情だけが残る。
「誘ってよかったです」
集合場所だった駅の改札口で、永山さんは満足そうな笑顔で言った。
それは純粋にアフタヌーンティーを楽しんだという意味。
それ以上でも、それ以下でもない。
私は少しだけ口角を上げて、小さく返した。
「それならよかったです」
「また、こういうの付き合ってもらってもいいですか?」
軽い調子。
でも、答えを待つ間が少しだけ長い。
「シフト次第ですね」
「ですよね」
思わず二人で笑った。
その距離が、今の私たちにはちょうどいい。
改札を通って、一つしかないホームに降りる。
私は下り線。永山さんは上り線だ。
夕方の風が、昼より少し冷たい。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
先に上り線の電車が来た。
「じゃあ、また仕事で」
「はい。また」
手を振るでもなく、特別な言葉もなく。
ただ、それぞれの電車に乗る。
電車に乗った後、永山さんは車内の奥に行き、振り返らなかった。
振り返らなくてよかった。
平穏な日常というレールから、少しだけ外れた一日。
でも、すぐに日常に戻れる。あっという間の時間だった。




