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第十三話 選ばれた選択肢

 その日、俺は出勤してすぐに気づいた。


 田奈さんが、俺との距離を測っていない。


 避けてもいないし、近づいてもいない。ただ、前と同じ位置に立っている。

 レジ前での受け渡し。

 品出しの合間の一言。

 目が合った時の、短い会釈。


 どれもが以前と変わらないはずなのに、どこか違う。


 数時間経って、理解した。

 戻ったのではなく、探る感じが消えているのだ。


 線を引くでもなく。

 踏み込むでもなく。

 ただ、そこにいる。


 それができるようになるまで、田奈さんなりに考えたのだろう。

 ここ最近の疲れた顔と、長後さんからの鋭い視線で、なんとなく伝わってきてはいたから。


 声をかけようとして、俺は一度だけ迷った。

 理由のない一言は、今はいらない気がしたから。

 天気や話題の流行の話ではない。


 俺は、業務連絡だけを口にした。


「次の社内便、少し早めに来ます」


「わかりました」


 これだけで、十分だった。


 踏み込まなかった。でも、引いたわけでもない。


 以前なら、またどこかへ行かないかと誘っていた。

 その言葉が、自然に浮かんでいたはずだ。


 でも、今日は、浮かばなかった。


 それに対して残念だとも、我慢だとも思わなかった。


 壊さない。


 今を壊さない。この選択が、今の自分には一番しっくりきた。


 閉店作業中の途中、売り場で店長とすれ違いざまに言われた。


「最近、落ち着いたな」


 天気の話をするかのような、何気ない一言だった。


「……そうですね」


 俺はそれ以上何も言わなかった。言う必要がないからだ。

 店長もきっとわかっている。



 帰り際、田奈さんが先に店を出るのが見えた。

 少し遅れて俺も外に出た。


 夜風は冷たくて、昼間の忙しさが嘘みたいだった。

 田奈さんと俺は同じ方向に歩き出す。


 でも、並ばない。


 それでちょうどいいから。

 今を壊さないという選択は、何かを待つこととは違う。


 ただ、今日と同じ明日がくることを、ちゃんと許すということだった。


 俺は田奈さんが歩く背中を見ながら思った。

 この距離なら、まだ一緒にいられる。


 それだけで、今は充分だ。

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