第十二話 距離を察する人
休憩時間、バックヤードも休憩室も、いつもより静かだった。
人の出入りが少ない時間帯で、空気が少し緩んでいる。
私は紙コップのコーヒーを両手で持ったまま、ぼんやりと壁を見ていた。
コーヒーの味が、しない。
「田奈さん」
声をかけてきたのは長後さんだった。
スマホを片手に、いつも通り淡々とした様子で向かいの椅子に座った。
「最近、ちょっと疲れてませんか?」
「そう見えます?」
「見えますね」
凛とした声で即答されてしまった。
私は思わず苦笑した。
「仕事は、忙しいですけど……」
それ以上を、言葉にできなかった。
なんて言えばいいのか、どう言えば波風がたたないか、すぐに口にできない。
「私が思うに、田奈さんは距離の取り方が下手なんだと思いますよ」
ぽつりと零れた言葉に、思わず私は長後さんの顔をジッと見つめてしまった。
私の視線を気にすることなく、長後さんは続けた。
「周りにどう見られているとか、噂とか──それを気にして動いているように見えたので」
長後さんは私の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「──それ、自分の意思じゃないですよね」
きっぱりとした、責めるでもない声色に、私は思わず目をそらした。
「永山さんとの距離も、田奈さんがどうしたいかじゃなくて、周りからどう見えるかで決めてません?」
あまりにも図星で、なにも言い返せなかった。
やっと出した言葉すら、どうしようもないものだった。
「……迷惑、かけたくなくて」
「それはわかります」
長後さんはそう前置きしてから、少しだけ視線を落とした。
「それでも、田奈さんが苦しくなる距離を守る必要は、ないと思います」
思わず、紙コップを持つ手に力が入った。
「周りのことなんて気にしないで、田奈さんのいたい距離でいいんですよ」
淡々とした、でも私のことを思って言ってくれている言葉が、私の中に抵抗なく入ってくる感覚に、思わず唇を噛んだ。
「近いとか、遠いとか、他の人が決めることでもないと思ってるんで」
長後さんはそれだけ言って、スマホに視線を戻した。
「休憩終わるんで、先に戻ります」
静かに立って休憩室からでる直前、長後さんは私の背中に言葉を投げてくれた。
「何かあったら、いつでも話してください──同じフリーター仲間として」
そう言って静かに扉は閉められた。
休憩室に一人残された私は、コーヒーを一口飲んだ。
ちゃんと、苦い味がする。
自分のいたい距離なんて、考えたこともなかった。
守るべき距離ではなく、選びたい距離。
売り場に戻る足取りが、心なしか少しだけ軽い。
周りの目が消えたわけじゃない。矢向さんはいつも通り噂話の種を探している。
でも、それに合わせて動く必要は、ないのかもしれない。
バックヤードに戻って、永山さんが立っている方を見た。
距離を測るためではない。
ただ、そこにいることを確認するためだ。




