文字
「……それにしても、本当にお美しい仮名文字です」
「……ええ、そこに関しては否めません。ですが、実忠さまもとてもお綺麗ではありませんか」
「……ありがとうございます、式乃さん。ですが、式乃さんが懇切丁寧に教えてくださったお陰です」
それから、数週間後。
塗籠にて、姫君からの文を見つめつつそんなやり取りを交わす式乃さんと僕。褒めてもらえたことは嬉しいけど、それは他ならぬ式乃さんのお陰で。
以前は、文字を書くのが苦手だった。それでも、恋愛において美しい文字を書く技術は必要不可欠で。と言うのも、平安時代の高貴な階級においては、和歌によって自身の想いを伝えるのが定例なのだけど……然らば、和歌を詠む技術自体もさることながら、そもそも文字が美しくなければその時点で相手にしてもらえなくなる可能性もあるわけで。
それでも、正直のところ以前はそこまで気にしてもいなかった。想いを寄せる相手もいなかったし、苦手とは言ったものの、読めないほどに不格好な字を書いていたわけでもないので日々の業務においてはさほどの差し支えもなかったから。なので、このままでもいいかな、なんて思いとりわけその方面での努力をしてこなかった。
だけど、そんな浅はかな考えは一瞬にして書き換えられた。この世のものとは思えないほどに綺麗な、あの少女の姿を目にしたあの瞬間から。そして、そんな僕に懇切丁寧に綺麗な文字の書き方を教えてくれたのが他ならぬ式乃さんで。そして、ご指導を受けること数ヶ月――ようやく、恋文を送るにおいて及第点と言えよう水準に至ったわけで。
「……あの、実忠さま。その、今回は……」
「……はい、式乃さん。やはり、今回も……」
「……そう、ですか」
それから、数週間後。
塗籠にて、明るいとは言い難い雰囲気でそのような会話を交わす僕ら。もちろん、かの姫君からのお返事に関してで。……うん、やっぱり今回も駄目だった。……いや、だけどこの文面から判ずるにまだ――
「…………あ」
「……実忠さま?」
「……あ、いえ……」
ふと、声が洩れる。すると、不思議そうな表情で尋ねる式乃さん。そして、そんな彼女にたどたどしく答えつつ思考を巡らせる。
……ひょっとしたら、違うのかも。僕の恋心に応じはしないものの、念のために僕との繋がりは残しておきたい――式乃さんはそのように言っていたし、僕もそのように思っていた。
……だけど、本当はないのでは? 僕になど全く関心がなく、僕の気持ちに応えるご意思など本当は全くないのでは? それでも、温厚篤実なお人柄ゆえ明確な拒絶も憚られ、些か曖昧とも取れようお言葉での返事になってしまっている可能性も。……そして、だとしたら――
「……それでは、行って参ります」
「……はい、お願いします正近さん」
それから、翌日の小昼の頃。
そう、恭しく告げ歩みを進める正近さん。僕の認めた文を姫君へと届けるべく、かの趣深き立派な邸宅の方へと。
すると、ややあって足を止める正近さん。それから僕の方へと振り返り――
「……あの、本当に宜しいのでしょうか? 実忠さま」
そう、控えめに尋ねる。その表情には、ありありと心配の色が見て取れて……うん、ありがとう正近さん。そして、そんな彼を僕も真っ直ぐに見つめゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……はい、正近さん。今回、芳しいお返事を得られなければ……これで、文を送るのは最後にします」




