移ろい行くA面とB面
夏休み直前。
3年生の先輩たちは、最後の大会に向けて走り抜けていた。
俺たち後輩は、その背中に少しでも錦を飾ろうと、全力で戦ってた。
もちろん、負けられない理由は他にもある。
最近――俺の好きなあの子が、悠斗応援団と一緒によく応援に来てくれる。
こっちは命がけだっつーの。カッコ悪いとこなんて、死んでも見せられない。
そんな気持ちで、毎日が「負けられない試合」だった。
うちの代には、実力的に“二大巨頭”がいる。
一人は、うちのエース、スモールフォワード(SF)の悠斗。
そしてもう一人が、シューティングガード(SG)の大洋。
二人とも本気でうまくて、他校からも名前が知られてるくらいだ。
で、俺はというと――パワーフォワード(PF)。
出たり下がったりだけど、体力は自慢だ。たぶんそこだけは負けない。
そんな中、事件は起きた。
A面 健太
「みんな、ちょっといいか」
部活のあと、部長と顧問が俺たちを集めた。
三年生のまわりに後輩がぞろぞろ集まって、なんか、いよいよって空気。
「俺たちは、今回の大会で引退だ。それはみんな、わかってるよな」
うん。そりゃそうだよな。
寂しいけど、こればっかりは時間には勝てない。
「で、次の部長の話なんだけど――」
来た。これは完全に来た。
次の部長。誰がやるか。
内心、俺は思ってた。
ここはまあ、悠斗かヒロトだろうなって。
悠斗はうまくて冷静で、頭の回転も速い。リーダー向きってやつだ。
ヒロトも人気あるし、話しやすいし、実力も申し分ない。
そんなふうに考えてたら――
「健太、お前、部長やってくれないか」
……え?
「いやいやいや、ちょっと待って!? 今なんて?」
「お前、いつも周りよく見てるし、声出しもしてるしな。みんなを引っ張ってるよ」
「声も通るしな。ムードメーカーの部長ってのもアリだろ?」
副部長までニヤニヤして言ってくる。
なんかみんな、クスクス笑ってるし。え? これ、冗談? ドッキリ?
いや、マジっぽい雰囲気じゃないか……?
「俺も、部長にするなら健太がいいと思ってた」
悠斗まで真顔で言ってくる。
え? 悠斗、何それ。お前が部長やればいいだろ?
いや俺、正直そういうの無理だし……。
「俺も、健太がいいな」
今度はヒロトまで。
「いつも声出してるし、体力バケモンだし。試合中、健太の声って、自然と聞いちゃうんだよな」
「わかる。俺も健太の声、すぐ聞こえる」
……なにこの二人。絶対グルだろ。
俺を部長にしようって、最初から決めてただろ。
でもなんか……そうやって言われるとさ、
ちょっとだけ、うれしい自分がいるのも事実なんだよな。
俺なんかが……って思ってたけど。
もしかして、俺にもできるのか?
いや、まだわかんねぇけど。
でも――
この声が、誰かの支えになるなら。
この体力が、チームを前に進ませられるなら。
俺は、全力でやるだけだ。
それが、俺のやり方だから。
夕暮れの光が、公園の遊具をオレンジ色に染めていた。
練習帰りの空気はまだ熱を残していて、俺たちは並んでベンチに座っていた。
水筒の中身はすっかりぬるくなってて、俺は近くの排水口に中身を捨てると、コンビニで買ったスポドリをぐいっと飲んだ。
「……いや、ないって。マジでない」
ため息混じりにこぼした声に、隣の悠斗がちらりと視線を寄こす。
「俺が、みんなのリーダー? 部長とかさ、絶対ムリだって」
柴スケット犬のキーホルダーを指でくるくる回しながら、悠斗は静かに言った。
「でも、部長は健太がいいと思う」
その声に、俺は思わずそっぽを向いた。
「……なんでさ。俺、背も低いし、技術もヒロトとかに比べたら全然だし」
「そういうとこじゃないんだよ、たぶん」
悠斗は、ちょっとだけ笑った。
「健太って、いつも誰よりも声出してるし、味方の位置も、相手の動きも、ちゃんと見てる。練習中も、試合中も。自分のことだけで精一杯なやつが多い中で、そういうの、できるやつって貴重だよ」
「いや、そんな大したもんじゃないって。俺はただ……」
置いていかれたくなくて、ただ必死で。
悠斗の隣にいるために、目を凝らして、耳を澄ませて、がむしゃらにやってきただけで。
部長なんて肩書き、俺には重すぎる。
でも、そんなこと――悠斗には言えない。
「……そ、そうかな。でも、部長って、もっとこう……引っ張るタイプじゃん。俺はさ、どっちかっていうと……」
「引っ張ってるよ、ちゃんと」
悠斗はぽつりとそう言って、空になったドリンクのキャップをカチカチと指で鳴らした。
「気づいてないかもしれないけど、健太の声が聞こえると、みんな自然と動く。俺も、助けられてるよ。何回も」
心臓がちょっとだけ、きゅっとなった。
「……それでも、不安なら、俺が支えるからさ」
悠斗の言葉は、まっすぐで、熱くもなく、優しさだけが混じってた。
「一人で全部やれなんて、言わないよ。ただ、健太が部長になったら……チーム、きっと、強くなると思う」
俺は、少しだけ目を伏せたまま、冷えたボトルをぎゅっと握りしめた。
ほんの少しだけ、覚悟の種みたいなものが、心の中に転がりはじめていた。
「……まあ、ちょっと考えてみるけどさ」
俺はスポドリのボトルをくるくる回しながら、口をとがらせた。
「でも、いやいやいや、やっぱナシだろ。俺が部長とか、絶対笑われるって。真面目に聞こえないタイプだし、練習中もテンションだけで乗り切ってるし……」
グダグダと弱音を並べながら、地面を見つめてたら、隣からぽつんと、声が落ちた。
「……そういうとこ、好きなんだよな」
「……え?」
思わず、顔を上げる。
悠斗はちょっとだけ目をそらして、柴スケット犬のキーホルダーをいじっていた。
「……友達として、な? あくまで、そういう意味で」
言い直しながら、わずかに耳が赤くなってるのが分かった。
「ふっ」
俺は思わず、肩を揺らして笑った。
「なにそれ。普段は絶対言わないタイプのくせに、うっかり口すべらせるとか、悠斗らしくなさすぎ」
「うるさい。今のはミス」
「ま、確かに。そんな“うっかりセリフ”を言っちゃう悠斗をコントロールできるの、俺くらいだもんな〜」
「……調子乗るなよ」
「はは、でもちょっと自信ついたかも」
ふと、言葉が口をついて出た。
「みんなの前じゃまだ迷うけどさ。……悠斗がそう言うなら、悪くないかもって、少しだけ思った」
悠斗は何も言わなかったけど、柴スケット犬を撫でる手が、さっきよりゆっくり動いてた。
それが、なんとなく嬉しくて、俺は空を見上げた。
赤く染まる雲が、ちょっとだけ前に進めた気持ちを、包んでくれるみたいだった。
————————————————————————————
B面 悠斗
「みんな、ちょっといいか」
部活のあと、部長と顧問が俺たちを集めた。
いつもの体育館の空気が、少しだけ張りつめている。
この日が来るのは分かってたけど、それでも、いざとなると胸の奥がざわつく。
「俺たちは、今回の大会で引退だ。それはみんな、わかってるよな」
うん。
覚悟はしてたけど、やっぱり、寂しいな。
でも、時間は止まってくれない。そういうもんだ。
「で、次の部長の話なんだけど――」
自然と視線が向く。
ここからが、本題だ。
内心、みんなそう思ってるはずだ。
俺もそうだった。
次の部長は、自分かヒロト。
……そうなるだろうって。
ヒロトは明るくて、人との距離の取り方がうまい。
チームの空気を読むのも得意だし、プレーにも華がある。
実力も文句なしだ。
自分も、リーダーシップを取るのは苦じゃない。
冷静でいようとするのは、いつも心がけてるし、チームの動きはいつだって見てきたつもりだ。
でも――
「健太、お前、部長やってくれないか」
その言葉に、思わず健太を見た。
きょとんとした顔が、どこか可笑しくて、ちょっと笑いそうになった。
「いやいやいや、ちょっと待って!? 今なんて?」
そう言ってうろたえる健太の声が、変わらず体育館に通る。
さっきまで試合してたのに、まだあんなに元気そうな声で。
「お前、いつも周りよく見てるし、声出しもしてるしな。みんなを引っ張ってるよ」
「声も通るしな。ムードメーカーの部長ってのもアリだろ?」
副部長の言葉にも、頷く。
そう。健太の良さって、そういうところにある。
あいつは無意識に周りを見てて、誰よりも動いてて、疲れてても笑ってて。
試合中も、あの声が飛べば、自然と足が動く。
だから、俺も口を開く。
「俺も、部長にするなら健太がいいと思ってた」
これは、本音だ。
俺が部長になるよりも、きっと健太が先頭に立ったほうが、うちのチームはのびのび戦える。
それに――
健太が前に立つなら、俺は安心してその背中を支えられる。
「俺も、健太がいいな」
ヒロトの声が重なる。
「いつも声出してるし、体力バケモンだし。試合中、健太の声って、自然と聞いちゃうんだよな」
……わかる。
わかるけど。
その“良さ”、ずっと前から知ってたのは俺のほうだ。
ヒロトより先に気づいてたし、近くで見てきた。
誰よりも、健太の努力と空気の読み方と、その根っこの優しさを知ってる。
「わかる。俺も健太の声、すぐ聞こえる」
そう言ってはみたけど、なんだか少しだけ悔しい気持ちもあって、口の奥に残った。
健太はまだ、ぽかんとしてる。
でも――
あいつのそういう素直で、悩んで、ぶつかって、それでも全力で走る姿が、
きっと、チームをもっと強くする。
……だから俺は、健太の背中を押す。
部長、やってくれ。
俺が一番近くで、ちゃんと支えるからさ。
夕暮れの光が、公園の遊具をオレンジに染めていた。
練習帰りの空気はまだ熱っぽくて、肌にまとわりつく汗が、夏の終わりを告げている。
俺たちは並んでベンチに座っていた。
健太が、自分の水筒をくいっと傾ける。でも、もうぬるいんだろう。顔をしかめて、そのまま排水口に中身を捨てると、コンビニのビニール袋から冷えたスポドリを取り出した。
キャップを回す音。
そして、喉を鳴らして一気に流し込む。
そのときの、ちょっと幸せそうな顔――
なんてことないけど、俺はそれを見るのが、けっこう好きだったりする。
「……いや、ないって。マジでない」
ため息まじりに言った健太の声に、視線を送る。
「俺が、みんなのリーダー? 部長とかさ、絶対ムリだって」
そう言ってるくせに、こうして真面目に悩んでるところが、健太らしい。
うん、やっぱりいいなって思う。
俺は、ポケットにぶら下げてた柴スケット犬のキーホルダーをくるくる指で回しながら言った。
「でも、部長は健太がいいと思う」
案の定、健太はそっぽを向いた。
……そういうとこだよ、ほんと。
「……なんでさ。俺、背も低いし、技術もヒロトとかに比べたら全然だし」
言い訳するように口を動かす健太を見て、俺は小さく笑った。
褒められるの、ほんとに苦手なんだよな、こいつ。
でも、俺は見てる。
誰よりも、ずっとそばで。
「そういうとこじゃないんだよ、たぶん」
俺の声は、自然とやさしくなった。
「健太って、いつも誰よりも声出してるし、味方の位置も、相手の動きも、ちゃんと見てる。練習中も、試合中も。自分のことでいっぱいいっぱいなやつが多い中で、それができるって、ほんとにすごいことなんだよ」
俺は何度も思った。
健太、意外とプロでもいけるんじゃないかって。
見えてるんだよな。コート全体が。
味方の動きも、ベンチの空気も、対戦相手のちょっとした癖さえも。
「いや、そんな大したもんじゃないって。俺はただ……」
いつも通り、否定から入る。
でも、それもまた健太らしい。
たぶん、こいつはずっとそうやって、自分の限界を勝手に決めてる。
けど、そのたびに、もう一歩先までちゃんと走ってくる。
「……そ、そうかな。でも、部長って、もっとこう……引っ張るタイプじゃん。俺はさ、どっちかっていうと……」
「引っ張ってるよ、ちゃんと」
俺はそう断言した。
言わずにはいられなかった。
「気づいてないかもしれないけど、健太の声が聞こえると、みんな自然と動く。俺も、助けられてるよ。何回も」
本当のこと。嘘は一つもない。
あの声が響くだけで、コートの空気が変わる瞬間を、俺は何度も見てきた。
キャップをカチカチと鳴らしながら、ふと見上げた空には、もう夜が滲んでいた。
「……それでも、不安なら、俺が支えるからさ」
俺の声が少しだけ掠れていたのは、きっと夕暮れのせいだ。
こいつに、ひとりで背負わせる気なんて、最初からない。
「一人で全部やれなんて、言わないよ。ただ、健太が部長になったら……チーム、きっと、強くなると思う」
間違いなく、そうなる。
それだけの力が、もう健太の中にある。
健太がまだ知らないだけで。
俺は、手に残った冷たいボトルの感触を確かめながら、
心の中で静かに思う。
――だから、見ていたい。
その背中の先にある景色を、誰よりも近くで。
それが、俺の選んだポジションだ。
「……まあ、ちょっと考えてみるけどさ」
健太が、空になったスポドリのボトルをくるくる回しながら、口をとがらせた。
「でも、いやいやいや、やっぱナシだろ。俺が部長とか、絶対笑われるって。真面目に聞こえないタイプだし、練習中もテンションだけで乗り切ってるし……」
次から次へと出てくる弱音。
どこまで本気なんだか。
……でも、俺は嫌いじゃない。むしろ、こういう健太を見るのが、けっこう好きだ。
こんなふうに、子どもみたいにぐるぐるしながら喋って、周りにはあんまり見せない素の表情を見せてくるのって、たぶん――いや、確実に俺だけだ。
……つい、気が緩んだ。
「……そういうとこ、好きなんだよな」
あ、と自分の中で音が鳴る。
やばい。今の、声に出した?
「……え?」
健太が顔を上げる。
しまった。完全に聞かれた。
俺は慌てて視線を逸らして、ポケットの中のキーホルダーをいじった。
柴スケット犬。何の意味もないけど、こういうとき、手持ち無沙汰になるのが嫌でつけてるやつ。
「……友達として、な? あくまで、そういう意味で」
変に取り繕うほど、苦しい言い訳になるってわかってても、言わずにいられなかった。
自分の耳が熱くなってるのがわかる。最悪だ。
「ふっ」
健太が肩を揺らして笑う。
……やっぱり気づいてないな、このバカ。
「なにそれ。普段は絶対言わないタイプのくせに、うっかり口すべらせるとか、悠斗らしくなさすぎ」
「うるさい。今のはミス」
本当はミスなんかじゃなくて、気が緩んだだけだ。
でも健太が、いつものノリで流してくれるおかげで、変な空気にならずに済んでる。
「ま、確かに。そんな“うっかりセリフ”を言っちゃう悠斗をコントロールできるの、俺くらいだもんな〜」
「……調子乗るなよ」
でも――悔しいけど、それは本当だ。
他の誰の前でも、俺はこんなふうに崩れたりしない。
健太の前だけだ。こんなふうに素直になっちまうのは。
「はは、でもちょっと自信ついたかも」
ふいに、健太がぽつりとこぼした。
「みんなの前じゃまだ迷うけどさ。……悠斗がそう言うなら、悪くないかもって、少しだけ思った」
その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。
うれしかった。こんなに単純な言葉なのに、泣きそうなくらい。
……なにも返せなかった。
言葉にしたら、また何かがあふれそうだったから。
代わりに、キーホルダーを撫でる手を、ゆっくり動かす。
それだけで、精一杯だった。
赤く染まった雲の下で、健太が空を見上げる。
その横顔が、すこしだけ決意を帯びてる気がして――
俺は、誰にも見せられないくらい、そっと、笑った。
いつまで健太の背中を見ていられるのかなんて、正直わからない。
未来はぼんやりとしていて、手を伸ばしても届かない場所にある。
それでも、確実に進んでいくふたりの足跡が、どこに向かうのか。
その行き先がまだ見えなくても、
もし健太が前に進むなら――俺は、その歩幅に、ちゃんと合わせて歩いていきたいと思った。
少し不安で、でもそれ以上に、信じたいと思えるから。
今の自分には、それで十分だと思えた。