〜回想〜二人の出会い 出張先での出来事
ジョシュアがアウラを初めて見たのは、アウラがまだ侍女として参内したばかりの頃。雑用の一つとして財務省にアデライド王女の出納帳を提出しに訪れた時だった。
その清廉な美しさに事務室は俄かにざわつき、たまたま一番近くにいたほかの職員が対応し、ジョシュアは奥にある自身の執務室に通じる扉の前から見ていただけだった。
しかし、アウラを見た瞬間世界が変わった。
出納帳の提出時期になると、アウラが訪れる時間帯を予測して入り口近くに陣取り、運が良ければジョシュアが対応することができた。
しかしジョシュアは顔を上げることもできず、ぶっきらぼうに「はい、不備はございません」と言うのが精一杯だった。
アウラが仕事に慣れた頃、公式行事などでアデライドに付き従う姿を見かけるようになる。飾り気のない慎ましい姿でアデライドの後ろに控えているが、抑えた装いがかえってアウラの美しさを引き立てていた。
アデライドが客人と対応する時にさりげなく補佐をするさまや飲み物やハンカチを渡す様子はアウラの有能さを物語っている。そんなアウラに注目するのはジョシュアだけではなかった。
「ケリー子爵家の三女だよな。長女は金持ちの新興貴族に嫁ぎ、次女が婿を取って家を継いだらしい」
「ああ、長女のステラもすごい美人だと有名だった。家のためとはいえ哀れなことだ」
「次女も美しいらしいし、惜しいことをした」
「しかしあの侍女も美しいな。相手がいるとは聞いてないが……」
ジョシュアは焦りを感じると同時に(相手はまだ決まっていないのか)と喜びも覚える。
(まずは私の存在を認識してもらわないと……)
ジョシュアはアウラの仕事のスケジュールを把握し、身だしなみに気をつけるようにしてたびたびアウラの前に出没するようになった。それから少しずつ話ができるようになり、バラの花束を渡せるぐらいまで近づくことができた。
無我夢中でアウラと結婚するために動き、職場の者たちからは呆れ混じりに勇気を讃えられた。
結婚してからは夢のようだった。仕事から帰れば自宅には銀に輝く女神がいる。
結婚して一年経ち「そろそろ子どもが欲しいね」などと言って平和に暮らしていた頃、あの事件は起こった。
***
王都から馬車で三日ほどの場所にあるベラード子爵領。領地は王家の持ち物であり、領主は国王に代わって治め管理し納税をする。
ベラード領で資金の不透明な流れがあり、抜き打ちの監査のために財務官であるジョシュアと文官二人武官二人が送られた。
前触れなく訪れたジョシュア達に領主は狼狽えたものの王宮からの遣いを無碍にすることはできず迎え入れた。
ジョシュア達は領主の館に泊まり込み、帳簿のチェックや周囲の人から話を聞くなどして監査を行った。
そして二週間後、予想通り見つけた不正を領主に突きつけるため応接間に顔を揃えた。
ジョシュアが長椅子に座り、その後ろに文官二人と武官が一人、出入り口にもう一人の武官が立っている。机を挟んで領主が座り、その斜め後ろに領主の執事兼補佐が顔色を悪くして立っている。
ジョシュアは淡々と表の帳簿と裏帳簿、それから王宮の財務省に提出された書類の矛盾点を説明した。
「……私は、どうなりますか?」
ベラード子爵が握った両手を振るわせながらジョシュアに尋ねる。
「前例に則ると領主交代と降爵または爵位剥奪は考えられますが、罪の裁定については私の管轄外となります。外には既に王都から迎えがきておりますので、一緒に来ていただきましょう」
子爵を捕縛しようと武官二人が動いたタイミングでノックの音がした。
「お茶をお持ちしました……」
皆の視線がそちらに向いた瞬間、奇声を上げたベラード子爵が袖の中に隠し持っていた銀色のナイフを振り上げた。ジョシュアがはっとした時にはベラード家の執事が自らの主人に覆い被さるようにして押さえ込んでいた。が、子爵は叫びながらナイフをめちゃくちゃに振り回し、その度に執事の体から赤い血が流れた。そして首を掠めた時、鮮血が噴水のように吹き出した。その生温かい血は、ジョシュアの顔にも飛び散ってくる。
「おと……おとうさん……、お父さん!」
茶を運んできたメイドが執事の娘だと悟る。武官と文官が子爵を押さえ執事の体を剥がしている間に、ジョシュアは惨劇を見せないように庇いながらメイドを部屋から出した。
執事は助からなかった。
子爵が横領をした上に王宮から派遣された財務官の伯爵を襲い、その末に殺人を犯すという事件の処理のため王宮からさらに人員が送られることになり、ジョシュア達は事後処理に追われた。
応援が来るまでの間、文官や武官と交代でジョシュアも娘を見張った。娘はいつもジョシュアが誰かと交代するために部屋を出ようとすると罵り始めた。
「あんたが来なければお父さんは死ななかったのに! 人殺し!」と。
側にいれば落ち着いているのに離れようとすれば叫び出す。だんだんとジョシュアは追い詰められていた。
執事の娘は重要参考人として王都に連れ帰ることになったが、微妙な立場となっていた。
不正に加担した容疑者でありながらラスベリン伯爵を守った男の娘。さらにまだこの娘が不正に関わっているかどうか確証はない。その上父親の他に親族はおらず身元引受人もいない。罪があったとしても父親がジョシュアを身を挺して守ったことにより放免の可能性もある。
牢や留置所に入れる理由が弱いのだ。
ジョシュア以外の文官も武官も平民や王宮住みであったりしたため、処遇が決まるまでラスベリン伯爵家で預かることになった。
そこでジョシュアは気づいた。アウラに帰りが遅くなる、離れに人を連れ帰ると一報は送ったが約束した土産を買うことはできなかった、と。
しかし出張先で思わぬ事件に巻き込まれ忙殺された上、執事の娘のジーナが時折錯乱するのを宥めながらの帰路で疲弊しきってしまった。
ようやく自宅に辿り着き、アウラに会いたくてたまらなかったはずなのに、すぐに抱きしめたかったはずなのに、色々な感情と記憶にこびりついた血の生温かさや臭い、ジーナから浴びせられた『人殺し』という言葉のせいで自分が汚れてしまったような気がして、アウラをまっすぐ見ることはできず、触れることもできなかった。
横領に関与していた執事の娘であり被害者の娘でもあるジーナは、聞けばまだ十七才であるが子どもではない。
調べによると子爵には妻に先立たれ子はおらず、弟の子を養子に迎える予定であった。家の使用人は執事兼補佐だった執事、執事の娘でメイドをしていたジーナと、そしから老齢ともいえる女性使用人が一人と料理人二人、下男と下女が二人ずつ。
弟とその子も重要参考人として王都に連行され貴族向けの留置所に収容されることになる。そして執事とジーナ以外の使用人は横領に無関係でただただ右往左往するばかりだった。
執事は死にベラード子爵は虚な目をして黙秘を貫いている。裏帳簿という証拠はあるもののベラード子爵本人が話せる状況にない中、父親からなにか聞かされていないかジーナも尋問を免れない。
離れでは落ち着いた頃を見計らって尋問を始めることになった。
ジーナが軟禁されているラスベリン伯爵家の離れには王宮から派遣された女性兵士が詰めており、事件の重要性により取り調べが行われるまで秘匿扱いとなっている。そのため兵士たちは使用人のような格好をして尋問も担当している。
だがジーナは昼間はぼんやりとして口を開かない。夕方になると事件を思い出すのかしくしく泣き出す。ジョシュアが様子を見に来ると落ち着く。ジョシュアがそばにいる時だけ尋問が進むという状況だった。
そしてジョシュアが本邸に戻ろうとすると「あんたを庇ってお父さんが死んだのに帰るのは許さない!」と泣き叫ぶ。理不尽な言い草であったが、目の前で血を吹き出す男の姿を思い浮かべてしまい、心が抉られた。
医官には「恐らく、深層心理では惨状を見せまいと庇った伯爵を信頼しているのでしょう。わがままを言うのは、要するに伯爵を庇護者として見ているということです。伯爵にそのつもりがないのであれば、今後は離れに近づかない方がよいですよ」と忠告された。
庇護者になるつもりはない。けれどどうにも気になりジョシュアは離れに行くのが日課になってしまった。そして暴れ疲れたジーナが眠るのを待っていたせいで本邸に戻る時間は徐々に遅くなり、アウラが就寝した後になることが増えていったのだ。
離れにいる女性兵士から「本邸のメイドさん達に睨まれるのでちゃんとしてくださいよ」「あなたには責任はないのですからここに来る必要はないんですよ」と苦言を呈されていたが、ジーナとその父親に対する罪悪感が離れに足を向けさせた。
そうやって、ずるずると時が過ぎた。
そんな夜だった。
その日は冷たく強い雨が降る夜で、王宮から帰るのも遅くなった関係で本邸に戻るのも遅くなった。どうせ濡れるからと馬車を使わず走って本邸に戻った。
見上げたのは偶然だった。
一つのベランダにぼうっと白い影が浮かび上がっている。
「……アウラ?」
二階のベランダに、空を見つめながら手すりに手を置き雨に打たれているアウラが立っていた。
ジョシュアは一目散に走り目的の部屋に向かった。夜勤の使用人が驚き後をついてくる。
ドアをバンっと開けると開け放たれた窓の向こう、激しく叩きつける雨の中にアウラが倒れていた。
「きゃああぁ! 奥さま!」
「アウラ……? アウラ?」
ジョシュアがぐったりとしているアウラを抱き上げる。その背後では医者を呼べと叫ぶ声やバタバタと走る足音が響いていた。