嵐
ジョシュアと結婚してからアウラはラスベリン邸から王宮に出仕している。
アデライドの降嫁に向けて準備をしている中、結婚式に着用するドレスが出来上がったのは、ジョシュアが出張から帰還してから数日後だった。
*
「ほら、見て。やっとできたのよ」
素晴らしいとしか言いようのないドレスが目の前に広がる。
「見事な刺繍とレースですわね」
「これにニ年よ。全て手作業だから仕方ないとして、他国の王族ではなく自国の公爵家に嫁ぐのにここまでする必要があったかしら」
アデライドとエグラール公爵の婚姻は幼い頃から決まっていた。そして三年の準備を経て婚礼準備は大詰めとなっている。
「私は嬉しいです。アデライドさまがおそばにいられると思うだけで心強いです」
アデライドがふっと頬を緩める。
「わたくしもよ」
それからアデライドとアウラたちはドレスに合う髪型やその後の日程などを詰めていった。
てきぱきと集中して仕事をしているアウラは、心配そうに見ているアデライドの視線に気づかなかった。
*
アデライドの居室から馬車寄せまで慣れた通路を歩く。これからの段取りを頭の中で思い浮かべていると、前でぺこりと頭を下げる文官がいる。
「あら、あなた……」
「ご機嫌麗しく、ラスベリン伯爵夫人。伯爵にはお世話になっております」
ジョシュアの部下である財務省の文官で、何度か目にしたことがある男だった。
「いえ、こちらこそ」
アウラがそう声をかけると、文官は感激したように話し始めた。
「とんでもございません。伯爵夫人こそ大変ですね、敷地内に犯罪者かもしれない娘を預かるなど」
「……え?」
「え? 伯爵から聞いていらっしゃらないのですか? まだ尋問が始められないので確定したわけではありませんが……。あの……敷地内の離れに軟禁するのだから……。あれ? 機密事項だったか?」
「いや、ある程度は……」とぶつぶつ呟きながらおどおどとし始めた文官に対し、アウラはなんとか表情を取り繕い頷いた。
「ええ、離れに人を入れているのは知っています。でも夫は詳しいことは教えてくれませんの。……少し、時間はあるかしら?」
文官は、口数の少ないジョシュアを思い出して納得した。
「もちろんです。なんなりとお聞きください」
***
それから数日。
ジョシュアの帰りは徐々に遅くなり、朝食の折に少し顔を合わせるも疲れているようで挨拶だけ交わす程度である。
夜、灯りを消し寝台に横になっていると、そろりと入ってくるジョシュアの気配がする。そして、小さなため息。
アウラはぎゅっと目を閉じて寝たふりをする。
(なぜ何も話してくれないのだろう?)
アウラはジョシュアの口から聞きたかった。
だから、待った。何日も何日も。
けれど、問い詰めるのも怖かった。
本邸から離れまで食事を運んでいるメイドたちによると、離れには文官の言う『犯罪者かもしれない娘』と身の回りの世話をしている女性が二人いるらしい。『娘』は奥の部屋から出てこず、後ろ姿でさえ見ることはできないが、手厚く対応されているようだ。
そして夕食を運んでいる時、ジョシュアが離れに姿を見せると言う。
事実を知らないメイドたちはジョシュアに対して嫌悪感を丸出しにしている。
文官のおかげである程度は理解できたが、離れにはアウラの知らない女性が三人いて、夕食の始まる前の時間からアウラが就寝する時間までの短くない時間をジョシュアとともに過ごしている。
アウラの胸の内にはもやもやとした黒い霧と寂しさが広がる。
かつて王宮の庭で花束を差し出してきたジョシュアの姿を思い出す。
(もしかすると気持ちが離れる時というのは、こんなにもあっけないものなのかもしれないわね……)
そこではたと気がつく。
胸の奥にくすぶる怒りと寂しさを自覚して。結婚した頃は恋も愛も知らなかったけれど、いつの間にかジョシュアの存在がアウラの大部分を占めていることを自覚した。
あれほど熱心にアウラに気持ちを伝えていたジョシュアだったが、出張先で起きた事件が彼を変えたのだろうか。
そして待ち続けたアウラは疲れ、ジョシュアを待つのを止めた。寝室を変え朝食も自室で摂るようにしてジョシュアと顔を合わせるのを極力避けた。
妻の責務として行う朝の見送りの際に、ジョシュアが見せる物言いたげな顔がほんの少し腹立たしい。
*
そんな眠れないある夜、いきなり激しい雨が降り出した。
ざあざあという音に誘われて、アウラはふらりとベランダへ出た。
大粒の雨がアウラを打ち付ける。顔を上げ真っ黒な空から降り注ぐ雨を見上げる。
なんだかおかしくなった。こんな夜中に雨に濡れてるなんてばかみたいだと。
するとばしゃばしゃと足音が聞こえた。視線を下ろすと、離れのある方から雨を腕で避けるようにしてジョシュアが走ってくる。
(ああ、ほんと。ばかみたい)
アウラは再び黒い空に向けて頭を上げる。雨が矢のように降ってきて顔に当たる。果てしなく黒い空に吸い込まれそうになる。
消えてしまいたい。
***
気がつくと見慣れた夫婦の寝室だった。頭を動かすとジョシュアが椅子に座りベッドに突っ伏して寝ている。
(なんだかやつれているわね)
ゆっくり起き上がろうとするとジョシュアが身じろぎして、はっとアウラを見た。
「……! アウラ、気がついたのか!? 熱は……」
ジョシュアがアウラの額に触れようとするとアウラがすっと顔を背けた。
「あ……、ごめん。メアリかアナを呼んでくるよ」
「……」
「そうだ水……! 喉が渇いただろう? 冷たい飲み物を貰ってこよう。待っていて」
「……なにか、私に話すことはありませんか?」
「なにか……って……?」
アウラは口をつぐみ、それから顔を背けた。
「もう結構です。アナを呼んできてください。あ、旦那さまも出勤まできちんと休んでくださいね」
ジョシュアは小さくたじろぎ、声もなく頷いて部屋から出て行った。
*
その日からジョシュアは離れに寄ることなく本邸に帰ってきているようで、帰宅が早くなった。アウラは雨の夜の翌日から再び寝室を別にしたが、ジョシュアはそれに文句を言うことなく黙認した。
ただ、食事中や居間で刺繍をしたり本を読んでいるアウラを思い詰めたような目で見つめている。
アウラは内心ため息ばかりついていたが、そんなアウラを見ながらジョシュアの胸の内は後悔にまみれていた。そして、アウラを失うのではと恐怖していたのだった。