いつもと違う夫
初回、二話投稿します。
二十日の予定の出張が大幅に延びた夫が、一か月半ぶりに帰ってくる。
その旨を書いた手紙に『女性を一人連れ帰るので、離れを整えておいてほしい』と書いてあった。
それは、アウラとジョシュアが結婚して一年が経つ頃であった。
*
「これは、どういうことでしょう?」
ラスベリン伯爵家に長く仕えている執事のベンジャミンと侍女長のメアリが眉間に皺を寄せて手紙を見ている。アウラの後ろでは、アウラが嫁いでから側にいる侍女のアナが手に持ったナフキンをぎりぎりと絞っている音が聞こえる。アウラは小さくため息をついて顔を上げた。
「けれど旦那さまの言いつけよ。ベンジャミン、メアリ、よろしくね」
「奥さま!」
「アウラさま!」
アウラは微笑み『話はもう終わり』と手紙を机に置き、立ち上がった。
それから五日後、夫のジョシュアが帰ってきた。
***
「今戻った」
「おかえりなさいませ、ジョシュアさま」
一か月半ぶりだというのにジョシュアはアウラに視線を合わさずハグもしない。
「顔色が優れませんわね。お忙しかったのですか?」
「うん、まあ……」
ジョシュアは元々口数の多い方ではない。けれどあからさまに態度がおかしい。いつもなら……。
「お客さまをお連れしたとお手紙にありましたが、どちらに?」
「えっ」
「ご挨拶しませんと」
「あ、もう離れにいる。また落ち着いたら、な」
「そうですか」
ジョシュアはせかせかと中に入って行き、アウラは冷ややかな目で控えているベンジャミンとメアリに夫を労うよう指示をした。
「いつもの旦那さまと様子が違うわよね?」
「ね、普段の旦那さまなら奥さまを見たら顔を赤くして崇拝する女神のように手を取るのにね」
玄関ホールに並んでジョシュアを迎え入れていたメイドたちがこそこそと話しているのが聞こえる。それをアナが視線で威嚇し黙らせていた。
***
アウラはケリー子爵家の三女として生まれ、王宮に侍女として出仕していた。礼儀を身につけつつ結婚相手を探すという、よくある理由のためだ。
ただそれは口実で、本当はそれほど裕福ではない実家にお金を入れるためである。しかし働くうちに一つ年下のアデライド王女に仕えていることに誇りを持ち、仕事を長く続けることを望むようになった。
だから王宮に勤める貴族たちがゲームのように楽しむ恋や結婚を遠い世界のことのように考えていた。
だが、その王宮でアウラはジョシュアと出会った。
ジョシュアは王宮に勤める財務官で、アウラは帳簿を財務省に提出する時によく顔を合わせていた。
当時ラスベリン伯爵を継いだばかりのジョシュアは地味で口数が少なく目も合わせず、書類をチェックすると「はい、不備はございません」と言ってさっさと背を向ける人だった。他の人の時は「この後、食事を」だの「お茶を」だのアウラに声をかけてくる人ばかりだったので、かえって印象に残っていた。
それにしてもなぜ『伯爵』という地位の人が窓口にいるのだろうと不思議に思いながらも、アウラは「真面目な人だな」ぐらいにしか思っていなかった。
*
(ちょっと欲張ったかしら)
両腕で抱えるように荷物を抱えてアデライド王女の住まう区画へ歩き、よいしょと抱え直したところで後ろから「落としましたよ」と声をかけられた。
「ありがとうございます、ラスベリン伯爵さま」
「え……、アウラ嬢? え、私の名前を?」
なぜか彼は真っ赤になって硬直した。
「伯爵も私の名前をご存知ではありませんか」
さらに湯気が出ているかと思うほど、彼の顔は赤くなった。
「それは、あなたは有名人ですから……」
「私が? あ、とりあえずそれをこの上に乗せてもらっていいですか?」
「いやっ、あの、半分持ちますよ」
「お忙しいでしょうから」
「今は暇です!」
「……そうですか。ではお願いします」
その後、偶然なのかなんなのか、廊下や食堂、庭園などで顔を合わせることが増えた。
*
その頃アウラは仕事を続けるにあたって悩みがあり、休憩時間になるとバラ園を歩くことがよくあった。今はバラの盛りで区画ごとに様々なバラが咲き誇っている。
アデライド王女からは可愛がってもらっているが、あまり社交的な性格ではないアウラは侍女の間では浮いているようで仕事のやりづらさを感じていた。
愛想のいい笑顔を浮かべたりたわいもない噂話をするのが苦手で、侍女としてはある意味致命的だった。本来なら人脈を広げて噂話から有益な情報を得るべきなのに、侍女仲間からは距離を取られている。
今はアデライド王女に言われたことを思い出していた。
ーーー
「もちろん噂話は貴族たちの動向を知る上で大事な情報だわ。けれどアウラのように各地の特産品や芸術に詳しいのも助かるのよ」
アデライドはまだ年若いが聡明で、上に立つ人間として人を使うのが上手い。例えば国外の賓客を迎える行事にはアウラを伴い、国内の貴族たちが集まる舞踏会などには情報通の侍女を側につけるなど。
アウラのことは、余計な事は喋らずかつ仕事が丁寧であると評価している。
(まあ、この美しさも敬遠される原因の一つでしょうけれど)
アウラは結い上げた艶のある銀色の髪に明るいブルートパーズのような瞳をしており少し近寄りがたい雰囲気を持っている。
「その上綺麗だし。おかげでわたくしも大変よ」
「なにかご迷惑をおかけしておりましたか?」
「兄のレオナールがあなたを配置換えしろと言ってきているのよ」
「第三王子さまがですか?」
「あなたはどう? 行きたい?」
驚きのあまりアウラはふるふると首を振った。
「し、失礼を。あの……」
「ふふっ。そうね。悪い方ではないのだけど、アウラの立場を考えると兄の側に仕えるのはお勧めしないわ」
第三王子レオナールは気楽な独身主義として有名で、美しい容姿も相まって女性たちからとても人気がある。
「アウラがあんな所に行ったら潰されちゃう」
アデライドはため息をつきながら小さく呟いた。
ーーー
「どうかしましたか?」
「あ、いえ」
アウラとジョシュアは噴水脇のベンチに座っている。なぜかまた、ばったりと顔を合わせたのだ。
アウラは(そういえば)と思い声をかけた。
「ラスベリン伯爵さま、最近変わられましたよね?」
「え」
「メイドたちが噂をしておりました。伯爵が垢抜け……いえ髪型とか変わられて素敵になったと」
ジョシュアの顔がかっと赤くなる。
「あの、その……アウラ嬢もそう思われますか?」
「? ええ、そうですね」
「そ、そうですか」
ジョシュアがアウラから顔を背けた。
(ああ、また……)
アウラはその雰囲気のせいか他の人から距離を取られることが多い。アデライドは別としてジョシュアも離れていくのかと、少し落ち込んだアウラが俯いていると、横から「嬉しいです」というかすかな呟きが聞こえた。
「え?」
「あのっ、まだ時間もありますしっ、ケーキでもいかがですか!?」
ジョシュアからの意外な申し出にアウラは目を丸くする。
嫌ではない。嫌ではないけれど、とほんの少し迷った。しかし断るのも失礼だろう、仕事上のつきあいだと考えればいいのだろうと考えた。
「ご迷惑でなければ」
温度差w