第5話:苦情問題
「『胃袋』の第一階層に異変が見られるとのことだね」
ザバン市公邸。部下二名の報告を受けている痩せた男性は、バナデア執政のナスケスである。齢四十四、油を塗り込んでビッと立てた髪と口髭は、誰の目にもすぐに彼がこの街のトップだとわかるトレードマークだ。横には執政補佐を伴っている。
ロンデル公領は地域としておよそ三分割されるが、バナデアはそのうち東部にあたる。魔導資源の活用が進み始めてから大きく拓かれたこの地域は、太古から人が住み着いてきた中部や西部と比べると発展も比較的新しいが、いまや迷宮都市ザバンを中心として領内第三の巨大経済圏を形成していた。第三公子の彼がこの直轄地の運営を任されているのも重要性のあらわれで、安定して資源と富を生み出しつづけることがナスケスに課せられた最優先課題のひとつなのであった。
「はっ、『沙巌熊』等の大型魔獣が陣取ることの多い最下層ですが、先日の階層主討伐以降、半水棲生物『碧蟹』が跋扈しはじめたそうです」
執政補佐バルカードの下で迷宮関連を担当している男性、ヨーキが畏まって答えた。
「具体的には何が問題なんだい」
「はっ、水魔法を用いて自身の棲息に都合良く環境を作り変えつつあるようで、『噴門』水没の虞もあるかもしれない、とのことです。こちらが冒険者ギルドからの報告書になります」
差し出された紙の束をめくるナスケス。
冒頭三枚には簡潔に現状がまとめられており、描かれた最下層の簡易地図に水没箇所が図示されていた。
「ふむ、前回の階層主討伐をゼロ日目として、四日経過時点の状況がこれか」
ページを進むと、いくつかの仮定のもと試算された今後の水量増加と推定影響範囲が同じように地図に記されている。あくまでもかなりの概算であるという注釈も含め、ナスケスには評価できる箇所であった。懸念を明快に伝えようとする姿勢が見えて好ましい。
「水没というといかにもまずそうに聞こえるが、試算のひとつでは、ひと月前後で『噴門』付近は膝下まで水が溜まる想定だと言っているね」
魔法水は量に応じて維持するための消費魔素も増えるため、全域が完全に水面下に沈んでしまうことは考え難い、というのが報告者の見立てである。迷宮固有の異物排出機構が作用する可能性もある。ただ、膝下までの一
尺(約30センチメートル)強程度であっても水に覆われていると、探索者の機動力はかなり奪われ、特に変異種に対抗するには危険性が格段に上がるのだ。少なくとも専門の用意が要る。
そうなると、環境復旧、あるいは攻略法確立のいずれかが成るまで、特に中堅以下のチームは第一階層最下層以降への進入を手控える可能性が高い。冒険者ギルドにて聴き取りを行えた範囲では、入場資格持ちかつ最下層到達経験のある20組中7組が様子見に回るつもりとの回答であった。
なお、『大噴門』では目標到達フロアを自己申告するよう課しているため、それを見れば簡易ヒアリングより正確な状況も掴めるが、その内訳は冒険者には開示されておらず、報告書上は実態調査不可として記されている。
「ゼロ日目以降、何組が入っているんだね。実際に減りだしているのかい」
「はっ、入場実績は報告書にはなかったと思いますが……」
「いやいや、入場帳簿を見るのは君達の仕事じゃないの。『大噴門』で確認してきなさいよ」
「はっ、すぐに手配いたします」
冒険者ギルドからの報告の行き届いた内容とは対照的に気の利かない部下ヨーキに、この男は明るい口調を保ちながらも内心で眉をしかめた。
「それにしても、要旨は簡潔だしきっちりと知りたいところは手厚い。事実と見解もはっきりと分けてくれている。何よりも、こちらの疑念をことごとく先回りしているね。第一報にしては随分と小癪なレポートだ。使える事務官が採用できたのかな……いや、ギルド名義ではあるものの、委託先チーム名が末尾にある」
報告書の署名を見てナスケスは首を傾げた。こなれた内容ながら、団体所属の専門家によるものでもないのか。大手氏族には何人かこの手のことが得意な人材もいたが。
第二階層以降への進入者は全グループ押さえているが、署名者の『悪食』というと三年ほど前にザバンに来た外国人ふたり組だ。迷宮関連ではここのところ目立った動きを聞かなかったが、攻略速度が速かったのと多少特徴的なグループだということもあって記憶の片隅に留めていた。
しかし、現場の人間にも情報処理に長けた者は少なくないだろうとはいえ、上で使いやすいように取りまとめるのは別の能力で、この方面での優秀さには不審なところもある。もしかすると他国からの密偵などだという可能性も頭に入れておくべきかもしれない。単純に良い人材だとだけ考えるのは昼行灯が過ぎるであろう。
「ふーむ。まあこの件はわかったよ。予算を回そう。対策をとる任務を手配してくれたまえ」
執政補佐の男バルカードは、主の結論を受けて指示にかしこまった。
◇◇◇
一段落したのを見てもうひとりが、別件ですが、と切り出した続きをナスケスは促した。
「『ジマイン』が本国の商会相手に街中で暴行を働いたとの報告が上がっております。居合わせた医療術士が手当ては済ませたそうですが」
「本国の商会というと、ああ、例の皇都からの出向、『コルネリウス商店』か。トネイロス家の肝煎りだったね。変に苦情を入れられる前に示しを付けておかなければいけないのか。また面倒なことをしてくれる」
差し出された報告書をさらってみるナスケス。こちらはザバン市警によるもので、当然内容は所定の様式で整理されている。
『コルネリウス商店』側は、代金の請求に決着がついたところで殴り倒されたという。一方、不当な取引の抗議に赴いたところ重ねて侮辱を受け、つい手が出た、というのが『ジマイン』の話。細かい差はあれど双方が事実を認めているため裁定をくだすもやむなしで、そうなるとなまじな仕置では後援の本国貴族につけこまれて別の要求を飲まされかねなかった。
「……鎖に繋がれたがる狼なんぞ、誰も恐れんだろうに」
ザバンは多様な価値観を持つ民族・種族でごった返す街ゆえ倫理観もそれぞれで、そのぶん市内の治安維持には厳罰を携えて臨んではいるが、正味なところあらゆる揉め事を検挙しきってきたわけではない。のびてしまった商人は跡形もなく治療したというから、そのまま立ち去ってしまえば知らぬ存ぜぬと泣き寝入りさせてしまう道もあったろうに、馬鹿正直に届け出てきた『ジマイン』責任者ナルコにわずかな苛立ちを覚えたナスケスである。まあ第三者の医療術師が居合わせたからには誤魔化しきれないと踏んだのかもしれないが。癇癪で死傷者を出さずに済んだこと自体は彼女達にとって幸運だったが、ものごとは万事良し悪しと言えよう。
「ふーむ、この医療術師も、例の『悪食』の一員なのか。そういえば迷宮外では、春に亜竜を狩ったという組でもあった。ナバテの警備隊員が森人の『天女』に癒やされたと聞いたことがあるな。世間は狭いねえ」
「ははあ、よくぞ辺境警備隊の話までご存知で……」
配下は感服しているが、彼等も領内の事件はある程度押さえておいてほしいものだとナスケスは内心またしかめつらになった。
「市民同士の暴力沙汰は、通常であれば鞭打ちと罰金です。怪我人が出ていないため減免対象ですが、逆に示しを付ける、という話でしたら本国商人を今回貴族に準じる待遇だと見做せば、暴行の下手人は死罪にも処せます。そう手配いたしましょうか」
さて、この件を担当しているほうの部下の進言に、ナスケスは口髭を捻った。死罪というのは脅しに使うべきカードであって、変に扱いを変えてまで弁明のための材料にするのはあまり賢いやりかたとは言えない。『コルネリウス商店』自体はバナデアにとって重要人物でもなんでもないのだ。ザバン市が特待を認めた形にしたくはない。
この男は執政補佐バルカードに、どうすべきだと考えるか話を振ってみた。腹案はあるが配下にも育ってもらわねばならない。
「そうですな、最下層の攻略法確立を、騒動を働いた『ジマイン』に労役として課してしまうのはいかがでしょう」
「お、そうそう。そういうの、いいね。面倒な問題への対処の基本は、細かく崩すか大きくまとめるか、だよ。ほかの君達も覚えておきたまえ」
バルカードの方では、そうは言ってみたものの。生命の危険を容易に伴う迷宮探索は、実際のところ単なる下手人の縛り首よりも相当厳しい要求である。死刑で脅したとて、ひとりを切り捨ててそれで決着としたがる可能性も高い。
獣人どもにどう飲ませるかというのは難しいところですが、と続けた執政補佐に、ナスケスはチッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を振ってみせた。
「鞭ばかりで考えると難しいだろうけどね、飴も混ぜてしまえばいいのさ。この際『コルネリウス商店』にスポンサードさせてしまって、クエスト報酬を払わせるかわりに今回の探索成果を独占的に扱わせよう。取扱価格は適正なものになるよう立会人を入れさせて、『ジマイン』にきっちりと利を示してやる。咎め立てを避けて両者とも儲けられる道だ。これを蹴って構成員を見殺しにするような腰の抜けた判断は、大氏族には取れないよ」
「はーっ、なるほど、鮮やかでございます。……ただ、階層主として未知の新型が出ている可能性を考えると、『ジマイン』が失敗することもあるのではないでしょうか」
「その場合も獣人に明らかな難題を課したことで『コルネリウス』の苦情問題は解決だし、本来の予算で第二弾を打てばいい。懐が痛むのは商会のみさ」
唸っている部下三名に、この程度の計算は働かせてほしいものだと思いながら、ナスケスは腕を組んで続けた。
「僕はね、どちらかというと無思慮な新顔に業腹なんだよ。犬コロどもが単細胞なのは昨日今日に始まった話じゃない。噛まれたくないなら噛まれないように振る舞う必要がある。大都会では常に誰かが守ってくれていたのかもしれないけどね、危地からカネを獲るこの街にはこの街の流儀があると、わきまえていなかったのなら思い知らないといけない」
万事がうまくいけば商店にも利益を得させてやるが、騒動の一端となった以上は相応のリスクを負ってもらう。あわせて獣人との取引についても慣れさせておこう。それが彼の方針であった。そして当然、支配者側の持ち出しを最小化する意図も大きい。
「ふむ、そうなるとあとは、目付役についてなんだが……」
「はっ、兵士をつけるのは現段階では少々危険すぎると考えます」
正直なところ、伝統的に『ジマイン』の出してくる文書は粗く、要領を得ないものが目立つ。荒事は得意な種族だが学がなく知恵が足りない。攻略法を確立した、と言って持ってこられても、うまく伝える力があるかどうかは別問題で、そのまま第三者の使い物になるかどうかは怪しいところである。あるいはおそらく出現するであろう新型階層主を駆除するにしても、本人たちからの自己申告だけで完結させるわけにはいかない。完全な他人でなくてもよいが、きちんと状況を整理してまとめあげて報告のできる、なんらか別チームがいるほうが望ましいのだ。これを指して目付役と言っているわけである。
ただ、部下の言うように、バナデア兵を派遣するのはあまり良い案とは思えなかった。カネと安全の問題もあるし能力的な限界もあるが、失敗する可能性が低くないことを踏まえると冒険者だけで賄わせた形にしておきたい。しかし獣人集団『ジマイン』は、競合氏族などから監査役を加えることはさすがになかなか受け入れないだろう。
そう考えを進めていたナスケスは、ひとつ良い心当たりがあることに気付いた。密偵疑惑もある最近目立たない独立グループ、報告に長けていて死なれても痛くない駒がちょうどいるではないか。おまけに『ジマイン』側で拒みづらい理由まで備えている。
「ふむ。居合わせて治療を施し獣人に恩を売った、もとい、証拠隠滅に加担した疑いのある医療術師は、『悪食』所属だったね?」
いぶかしげな顔を見せた部下たちに、この男は口髭を捻ってニヤリと歯を見せた。
「繰り返すけどね、厄介な物事は大きくまとめる、それが問題解決のコツさ」




