第2話:初めて見る景色
尾から飛ばされた毒針を、宙に浮いた石の盾がカツンと受ける。行き違いにエルレアの放った矢は、硬い甲殻を誇る『刃脚蛇虫』をやすやすと貫いた。
逃げ出した魔物は付近にいる別の魔物の呼び水になることがあるが、これを始末したことで第六層『幽門』付近の安全確保は無事完了である。
以前は引けなかった剛弓に装備を替えたエルレアは、第一階層に現れる大半の魔物にはヴェガの強化魔法なしにでも対抗できるようになっていた。
冒険者デビュー以降しばらくは、どことなく導かれるがままに与えられる課題をこなしてきたところがあったエルレアだが、カワティシ行以来、成長して仲間の助けになりたいという気持ちを、みずからのものとしてより強く持つようになった。『胃袋』でのさらなる探索習熟を希望したのも自分からである。滞在時間を伸ばして獲得素材を増やし、採算を合わせた上でクエスト消化を迷宮で行えるようにまずはなりたい、という具体的な目標をエルレアが挙げたことに、トキもヴェガもことのほか喜んだ。それで、この二ヶ月あまりの間、集中的に迷宮に潜って強化研鑽に励んできている。
今回の最下層挑戦は、『階層主』こそいないものの、その集大成という位置付けと言えた。
そんなエルレアの横でふよふよと浮いているのは、石製の円盾である。人形使役者ガンゾ=べラッソの残した知識をもとに、簡易的な使役人形としてトキが作製した。その名を『ムラサキ』、防御目的に特化したことで早期の実戦投入が可能になった、自律型の兵器だ。『マモリテ』の飛拳のように、みずから飛び回って後衛を守ってくれる。
今日ここまでの出番は少ないが、投擲にも魔法にも対応できることは、何回か行った地上での実証実験でも確認できていた。
「これで二十刻(約10時間)経過くらいか。今回は狩りは控えて採算度外視で進んでるとはいえ、予定以上にいいペースだ」
水筒で軽く喉を潤したトキの言葉に、エルレアもうなずく。
「ムラサキちゃんがいるので、斥候での安心感が大きいです」
「勢い良すぎて主人にぶつかっちゃったりするのが、まだちょっとお馬鹿さんだけど、暗闇でも問題なく攻撃を感知できるのはいいところね」
使役人形には、人形体を動かすための頭脳を担う擬似精霊を注入する必要があるのだが、これはトキはうまく作れなかったところにヴェガが名乗り出た結果、わりあい出来のよいものが生まれた。なにせ本人がもと精霊である。現時点での知能の足りなさも、学習を重ねれば、より洗練されていくであろう。
先輩ふたりの合作と言える自動浮遊盾は、主にエルレアの補助役として、まずまずの滑り出しを見せている。
「いまはとりわけ沢山のパーティーが潜ってるから、先行されて失活した『幽門』に当たるとタイムロスが出ちゃうけど、ここまでひとつだけだったのがラッキーだったわ」
ヴェガがペースの話題に触れなおした。
一行の横にある第六層の『幽門』も、現在既に利用できる状態で、紫の魔力光を放っている。誤って単独で通ってしまうと遭難するため、通過時以外には多少の距離を置くように、というのが『悪食』での教えで、忠実に従うエルレアはふたりよりもさらに二歩ほど下がった位置にいる。ゆらめく光を見ながらエルレアはあらためて次のフロアについて確認した。
「これを通ると、常に同じところに出るんですよね」
「ええ、七層目が常に最下層で、出る場所も多少のズレはあれど同じ位置です。魔物自体は普通に出没しますけど、階層主はいないはずだから、地形に変化がない以外は他の層と似たようなものと考えていいでしょう」
小休憩を挟んで、いよいよ最下層突入である。
◇◇◇
地面は、湿り切っていた。
「なんだこりゃ。水浸しじゃねーか。初めて見る景色だな」
至る所、あぶくと水たまりだらけだ。
他の層と似たようなもの、とは言えないかもしれない。付近の様子に目を見張ったトキの言葉に、ヴェガもうなずいた。
「足下がめちゃくちゃになってるわね。地形自体には見覚えがあるし、他の冒険者の活動形跡も少なくないから、いつもの最下層には違いないみたいだけど……」
近くに魔物はいないようではある。キョロキョロとあたりを見回しているエルレアの横で、かがみこんで足下の泡を素手で突付いたトキ。多少粘性があるようだが指先を突きこむとパチンと割れて液体がその場に残った。
「別に肌に影響ある感じはしねーな。毒性はないか、ごく薄いようだ。『胃袋』でこの手の泡というと、『碧蟹』が吐きつけるやつくらいしか思い当たらない」
「トキさん、そういうの躊躇なく触りますよね」
仮に泡が強毒性ならば触れた指が大変なことになっていたかもしれないのだが、エルレアが絡んだ時の判断の慎重さに反して、トキは自身ではこの手の大胆な行動が意外と多い、ということに最近エルレアは気づき始めていた。回復魔法も算段に入れてのことなのだろうが、得体の知れない黒竜にも山賊にも躊躇なく挑みかかるなど、実はわりと無鉄砲なヒトなのでは、と疑い始めているエルレアである。
それはそれとして、『碧蟹』は、フロア内の水溜まりなどに棲息する青黒く光る甲殻と左右対称の大きな鉗脚が特徴的な魔物だ。胴体が人の頭くらいの寸法で、三匹前後を同時に見かけることが多い。厄介さは『刃脚蛇虫』と似たようなもので、つまりこの迷宮『ネグランデの胃袋』内では雑魚に数えて差し支えない。何度も遭遇したエルレアも、当然特徴はしっかりと押さえている。
水魔法を用いて自身の棲みやすい環境を構築する習性があり、目の前一面に広がる光景もたしかにその痕跡に似ていたが、しかし規模が異なるという印象もまた強かった。普段はせいぜい十数畳程度の範囲なのだ。
「最下層は、いつもは『碧蟹』が跋扈している感じではないんでしたよね?」
「ええ、弱小種と言っていいもの。階層主がいなくなると、魔物の間でヌシ争いみたいなのが起こるらしいんだけど、勝って階層主になるのは大抵『胡粉護巌斗犀』みたいな日頃から脅威扱いされている種なのよね。最下層の雰囲気はボスに左右されるんだけど、カニが幅利かせてた例を見聞きしたことはないわ」
「ちょっと普段の魔物とは違うのが出るかもしれねーなあ。ヌシが現れるにはまだ早いはずだけど、注意しつつ探索しよう」
もともと、エルレアが最下層の状況を把握するのが目的である。今回第二階層に進出することは取り止める方針とした一行は、あたりの確認に移った。
◇◇◇
エルレアたちは、六刻(約3時間)ほどで探索を一区切りとして、『噴門』のある区画で結果を確認している。
立ち入れる領域はことごとく調べ尽くしたが、最下層全域で明らかに『碧蟹』が大量発生していた。通常個体も五体以上の塊を目にすることが多かったし、ふたまわり以上大きい個体も複数回見かけた。遭遇はしなかったが人のサイズを超えるであろう足跡も観測したし大型種の脱皮痕跡も見つかった。いっぽう他の魔物はおよそこのカニの群れに駆逐されてしまったようである。硬化しきった『沙巌熊』の胴体が一断ちにされていたのが印象的であった。これらの魔物の死骸に群がっている蟹もいたし、同種同士で共喰いしている様子も観察された。
出くわした個体は深入りしすぎない範囲で始末してきたものの、そのつど水魔法で応戦を受けた。水浸しの地面はこれも一因かもしれない。魔法で生み出した水などは、地上であれば短時間で魔素の散逸とともに消え去るが、魔素濃度の高い迷宮内では長持ちしているようである。
「噴門よりもさらに奥、大小の『碧蟹』で埋め尽くされていて、入るのを断念した区画があった。他より低くなっていて魔法水も随分溜まっていたな。おそらくそこに『沙巌熊』を両断したような変異種がいる。カニの王だか女王だか知らねーし複数いるかもしれねーが、その場所は仮に『玉座』と呼ぶか。この階層の魔素をさらに溜め込んで、完全な階層主になりあがるつもりだろう」
「主になってもその『玉座』に引っ込んでるんなら冒険者としては都合がいいけど、噴門周辺もそれなりに水が目立つわね。ここも二寸(約6センチメートル)ほど溜まってる。仮にこのペースで魔法水が増えていくと、遠からず噴門が水没しかねないわ」
難しい顔を見せるヴェガ。一帯での活動が制限されると、深部への道も閉ざされかねない。これは迷宮探索に携わる全チームに関わる問題である。
「最下層の異状については、居合わせたパーティーもかなり警戒されていましたね」
「ええ。しかし、むしろ長居は避けてクイックに先へ進もうという連中ばかりだったな。空位期間に第二階層を見ておきたい気持ちはわかるが」
「階層主がいない間こそ、最下層をしっかりと把握しておいたほうが次につながるのにね」
「俺達としては、魔法水問題もそうだが、この先効率的な駆除が求められる可能性を踏まえて、『碧蟹』の特徴を、もっとしっかりと押さえておきたい。甲羅の硬さ、ハサミの強度、高温に耐えられるか、どういう毒なら効くか、どういう時に水を吐くのか、あたりだな。わかってることもあるが、実際に魔物を捕らえてできる範囲で実験していこう」
そう言い出したトキを見て、こうなったら彼は徹底してるから、とヴェガは苦笑を見せた。
その言葉どおり。素手で甲羅を殴りつけてみたり、木切れや鉄板や自身の腕の端を鉗脚に噛ませてみたり、調理用の大釜に突っ込んで茹でてみたり、いくつかの手持ちの毒物を無理やり摂取させてみたり、あぶくにまみれてみたり、水流攻撃を身体で受けてみたりと、トキは自他ともにかなり情け容赦のない検証を行った。実験過程で意図的に負った傷を治療しながら、エルレアはここまでやる必要があるものかと内心びびっていた。
ひととおり納得した後で、今度はあたりの魔法水についても、熱してみたり電流を流してみたり土砂に含ませてみたりと、特性を把握しようとあれこれ試した一行である。仲間が危険でない限りにおいては、このような検証はエルレアには性に合って興味深く楽しかった。ただ、普通の水と区別できるかなと言って口に含んで味も確かめだしたトキにはドン引きした。さすがにガブガブと飲みはしなかったしきちんと沸かして濾しもしたものの、もとは泥まじりではあるのだ。
一連の確認を間近で見ながら、ふたりの先輩冒険者が様々な魔物や環境に明るいのは、こういうことを徹底してきた積み重ねなのだと実地で理解できたエルレアだった。




