第8話:節穴じゃないのよね
二百歳……!!
「ちゃんと伝えておきたくなっちゃった。聞いてくれる?」
「は、はい、話していただけるなら、ぜひ……!」
森人であれば齢三百に達する者もいるが、人間は生きて百歳いかぬくらいがせいぜいのはず。ヴェガの打ち明けてくれようとしている秘密に、エルレアの目は俄然冴えてしまった。中途半端に聞かされて眠れようはずがない。
「まずね、私は迷宮の『主』だったの」
「へ??!」
切り出しから信じがたい内容が始まり、エルレアは間抜けな声を上げて困惑してしまった。
「えと、あの、『胃袋』のボスだったんですか?」
「ううん、全然別の、『ザナドール図書館』っていうところ」
『ザナドール図書館』はもともと、サルパ朝ビネトスの賢帝ザナドⅡ世が開いた、古代の叡智が集う知の一大拠点だった。東西から分野を問わず様々な書物が集められ、そこで学ぶ者がまた新たな知恵を拓いてゆく、世界最高峰の学術研究施設だったのだ。図書館とはいうが大学のようなものである。ただ、設立から二百年あまりが経過した錬金術師ラネイ=バトウルの館長在任期に、内部での研究実験過程で起きた事故がきっかけで、一帯は一夜にして人の住めない死の魔素溜まりと変わってしまった。滅びた『ザナドール図書館』は、その後三百年ほどの間、魔物もヒトもいっさいが立ち入れない中で、いつしか迷宮へと変貌を遂げたのだった。魔素が迷宮に集約される過程で、近隣の地も少しずつ生命の息吹を取り戻していったのだという。ただ、迷宮内は依然、生き物の一切いない、時の凍りついた静寂の空間だった。内部で独自の生態系が構築されている『ネグランデの胃袋』とはまたすべてが異なるのだ。
ヴェガはこの『ザナドール図書館』に生まれた、意思を持った魔力体、つまり精霊だった。いつ、なぜ、どのようにして生まれたのかは、よくわからない。二百歳といったのにも大した根拠はない。ただ彼女は、生まれた瞬間から、時折訪れる侵入者をその圧倒的な力で排除しながら孤独に君臨する、迷宮の支配者だった。先人の遺した知識の宝庫を欲望のままに荒らそうとする者は、例外なく彼女の前に散っていった。鳥も虫も植物の綿毛にさえも、この死の棺と化した図書館への冒涜を許さず排除を続けていたが、意図を持たずしては本来通れない迷宮の門をくぐるのは、ほとんどが人間の冒険者だった。試みに侵入者に話しかけてみることもあったが、俗悪な強欲の見え透いた会話は学問の聖地に生まれ落ちた彼女をいつも失望させた。
その暴虐の傍らで、ヴェガは図書館に残された知の記憶をもとに、ひとり学び、研究を続けていた。彼女は古の詩歌に触れるのが好きで、また錬金術にも関心があった。それは過去に道半ばで散った学者たちの残した思念がそうさせたのかもしれないし、自身が生まれもってそういう志向だったのかもしれない。単純に暇だったのが一番の理由かもしれなかった。
ある日もまた、ヴェガは侵入者の前に立ちはだかった。
「ふみいるこへの夜を破るる……今すぐ立ち去らないと命をもって償うことになるわよ」
(夜のように静かであるべき図書館(文入る庫)へと、煩い者が踏み入った音(声)がするわね)
「なんだ、おっかない司書がいるんだな。書物好きの毒虫一匹くらいは入れてくれてもいいんだろ。……すがるの音の文をこふにも似たるれば」
(ジガバチ(すがる)の羽音は書物(文)を愛して(恋ふ)頁をバラバラとめくるようにも聞こえないだろうか、騒がしいのは立ち入り(踏み)を乞い縋る虫の声が聞こえたからに違いない)
招かざる野卑な客ばかりの中に、不意に見えた洒脱な知性の煌めき。孤閨を持て余してもいた精霊ヴェガが、若き冒険者トキに興味を持つには、それで十分だった。
◇◇◇
エルレアは圧倒されていた。
常人ならざるすさまじい魔力量にはつねづね驚嘆を覚えていたが、まさか常人どころかヒトでもなかったとは。
「精霊……ヴェガさんは神様みたいな方だったんですね……」
「神様がどういうものかはわからないけど、ヒトと随分違ったのは確かね。でも今は、人間の出来損ないみたいなものなのよ」
トキは何度も書庫に彼女を訪ねた。ヴェガも彼に心を開いた。そして、まだ見ぬ世界をともに見たいと望んだ。自身の錬金術研究の集大成として、迷宮の外に出るための依代となる人体、『人造人間』を生成した彼女は、精霊である自分自身をその中に押し込めたのだ。秘術で人間に生まれ変わったようなものだと言える。
永き時を支配者として過ごしてきた彼女は、なかば迷宮自体ともなっていた。主を失ったことで自壊を始めた『ザナドール図書館』を、魔法で作り出した異空間に収め、ヴェガはトキとともに地上の旅に出たのだった。
「エルレアちゃんの腕輪は、ふたつの異空間を作り出せるでしょう。私は3つ持ってるの。この部屋と、別に用意してる魔物素材の貯蔵庫と、そして『ザナドール図書館』」
あっけらかんと言われる話のスケールの大きさにエルレアの想像力はついていけていない。ヴェガの魔力は迷宮そのものまで抱え込めるほどなのか。亜竜すら桁がまったく追いつかないはずだ。
「魔力量だけはそうかもね。でも出力は人間並みに下がっちゃったわ。人造人間の肉体の限界なの」
「あ……じゃあ何かと歯痒いのかもしれないですね……」
「ううん、できないことが増えたんじゃなくて、できることが変わったのよ。私はそれに満足してる。トキくんと一緒に外の世界でヒトのように生きられて幸せ」
外に出てからは八年が経つという。その間はずっと冒険者としてトキと過ごしてきた。ただただ力を持つだけの世間知らずだったのが、世を渡るヒトとしても、冒険者業界に生きる者としてもまったく新たな人生を積み重ねている。世の中の知的水準も覚え、衒学家じみた言動も控えるようになり、それなりの流儀や振る舞いを身につけつつある。みずから飛び込んだ新世界に馴染んできた道程は、エルレアの今後辿ってゆくものにも似ているのかもしれない。
◇◇◇
「まあだから、魔物みたいなものではあったのよね。私のこと、怖かったり気持ち悪かったりするかしら?」
エルレアは、話を終えて顔色を覗き込んだ隣のヴェガに、まっすぐに向きなおした。
「いいえ、話してくださってありがとうございました。私は、ヴェガさんがどんな方でも、大好きです」
「フフッ、ありがとう。見込んだとおりだったな。この目は節穴じゃないのよね」
その夜、エルレアは久しぶりにヴェガと一緒の寝台で眠った。お互いに温かな気持ちでいると感じられた気がした。




