第5話:荒事の世界
ラツカ山地を行く道は、ふたつ山を越える。ザバン方面トマシモ峠と、カワティシ方面ダバヤ峠である。ガンゾ=べラッソの野盗団をくだして後、魔物には何度か遭遇したものの大きなトラブルはなく、天候も小雨が一瞬ぱらついた程度で、一行は午後二時過ぎに山麓の集落へと辿り着いたのだった。ヘトヘトに疲れ切ったシャマダ氏を見かねて荷物をトキが負ったことが功を奏した。華麗な撃退劇の主演に好感を抱いたレミ女史も、俺達はプロだという言葉を信用したようである。盗賊も片付いたので、同じ縄張りに別の野盗は出まいと見て、魔物だけなら得手のエルレアがかわりに斥候を担った。
ザバン側と違い、馬車網は整備されきっていない。山道を進んだ疲労を色濃く見せながらも、レミ女史とシャマダ氏はなお足を奮い立たせた。人里をもう少し進み、日暮れ前にラキバエという町に至ることができた。カワティシ市街の領主邸宅には翌日午前中に着ける見込みである。
食事もそこそこに依頼人ふたりは宿で倒れ伏した。さぞ大変だったことであろう。護衛用には隣に別室が用意されている。途中で裏切られたりしないように、護衛の待遇はある程度良くしておくのが一般的なのだ。部屋には硬いシングルベッドがふたつ置かれていた。三人分は我慢してくれとのことわりがあったが、『悪食』メンバーは自室用の異空間持ちでもあり、不満を覚えるようなことではなかった。
捕らえた新米盗賊にも水と食事を与えている。おとなしく協力姿勢でいれば枷も外すし助命も口を聞いてやる、と言うトキに対してまたガクガクと首を振る男だった。行程内でも換気しながら様子を見てきたが、今のところ異空間に起因する健康問題はうかがえず、半日くらいは中で人が過ごしてもなんともないようである。
『悪食』の三人は、今日の振り返りと明日に向けての作戦会議を開いていた。ベッドに腰掛けるヴェガ。椅子を引いたエルレア。小机にもたれるトキ。三角形で向かい合うのはいつものことである。
「エルレアちゃん、引いてる?」
「えっ、や、迅速に処理されていて凄いと思いました。……容赦なかったですね」
山賊征伐を思い返していたエルレア、何か表情に出ていただろうか。トキとヴェガの無慈悲な制圧は、人殺しの現場を初めて見たエルレアにはすこし恐怖を感じさせた。もちろん依頼人の危険を最小化するために素早く相手を無力化したのだとはわかっているが、理屈に気持ちがついていけていない部分がどこかにある。
「人をああやって殺せる人間が怖いですか?」
「いえっ、いえっ」
トキの言葉にエルレアは慌てた。彼等のことは大好きなのだ。護衛の過程の一部が残虐な振る舞いに映ったからといって信頼を失ったわけではまったくないし、短絡的な倫理観を持ち出して責めるつもりも筋合いもない。ただただ衝撃を受けたというのが近いのだが、蹂躙された盗賊を憐れむ気持ちもすこし浮かんだり、とはいえ逃がしていれば被害はこれからも出ていたろうと思ったり、思考はずっとまとまりきっておらず、なんと言ったらよいのかわからなかった。
「相手もこちらを殺す気でしたし、あれは当然の対処だと思ってるんです。血なんかも故郷では医療術師としてそれなりに見てきましたし、私だって魔物や獣は殺してますし、えっと、それに……」
「無理にがんばらなくても大丈夫ですよ。慣れない場面だったのはわかってるし、ああいうのに抵抗があっても、それですなわち仲間でいられないわけじゃない。ただ今回は、後処理まで見据える必要のあった『羅銘露』の時とは違いました。殺したほうがいい局面ではそこからエルレアさんだけを遠ざけつづけてあげることはできません。心が強くならないと荒事の世界では生きていけない」
荒事の世界。
力に訴える者がいる中ではどこかで避けることはできない。エルレアが冒険者になる前も、知らないところで似たようなことは起きていたのだ。山賊は旅人を襲い、護衛は野盗を殺す。エルレアが踏み入ったのは誰かにそれを任せきるのではなく、この当事者になる道なのである。今回は賞金首狩りを目標としていたわけではなかったが、それでも降りかかる火の粉を払えねば、逆に自分や仲間が火達磨になるしかない。
彼等はエルレアにすぐに人間を傷付けることを強いたりはしないが、そのぶんだけ彼等が自らの手を汚している。
慣れていかねば、強くならねば。エルレアはあらためてそう思った。
「はい、私、強くなります。……あの、もう六十年以上前のことですけど、はじめて鶏を絞めた時のことは、今でもしっかりと覚えているんです。今回も、なんていったらいいかわからないんですけど、単純にやっぱり、いまの自分にとって衝撃が大きかったんだなって思います」
顔を上げて前を向いたエルレアの肩を横からポンと叩いて、トキは微笑んだ。
「きっとそういうもんです。俺も戦場で童貞を捨てた時のことはよく覚えてますよ」
「え゙?!! 童貞?!!」
「ちょっとやめてよもう、また妙な言い方して」
素っ頓狂な声を上げたエルレアの横で、ヴェガが呆れた声で言う。
「あ、失礼、初めて人を殺した時って意味です」
「あう、あう、変な勘違いを……」
ピンと立った耳の先までを真っ赤にしながら、エルレアはせっかく伸ばしたばかりの背筋をまたこれでもかというほどに丸めて縮こまった。
尖った耳に口を寄せてヴェガは囁いた。
「フフッ、あんなに反応するなんて、エルレアちゃんも意外とスケベなのね」
「〜〜〜〜〜〜!!!」
エルレアが顔を覆って団子虫状態になってしまったので、会議はなし崩し的にお流れとなった。
◇◇◇
宿の主人に話を聞く、と言ってしばらく外していたトキが戻ってきた。そろそろ就寝である。エルレアとヴェガは既に寝支度を整えていた。
「捕虜がいるから腕輪の部屋は外界につないでおいてもらわないといけない。夜間に酸欠とか魔素中毒になられると困るしね。持ち主のエルレアさんは今日は自室禁止です。部屋のベッドで寝てください」
そう念を押して、トキは窓側の寝台を陣取った。
「朝、同じ方に潜り込んでても見ないふりしてあげるわよ」
こっそりといたずらっぽく耳打ちして、ヴェガは自分の空間に入っていった。エルレアはまた奇妙な声を漏らして丸まった。
薄い毛布をかぶった後も、エルレアはなかなか寝付けなかった。多少落ち着いてみても、普段寝ている場所が別だったということもあって、不思議な感じがする。慣れていかねばという話でいうと、トキとともに寝ることにもまた、慣れる必要があるのだ。
過去に同室の床で寝かせてもらおうとしたこともあるエルレアだったが、ヴェガに変に焚き付けられたのと先程の会話を思い出したのとで、なんだか妙に意識してしまう。
悶々としながら、もぞもぞと何度も寝返りをうつのだった。




