第2話:一朝一夕には
イメージトレーニングをしてほしい、とエルレアはトキから指示を出されている。
夜、広大なヴェガの部屋の中で、色の異なる砂で形作られた2体の人形を向いて、エルレアは弓を構えていた。監督役のヴェガが横で見守っている。
「私が不意を突かれて襲われてると思ってね。エルレアちゃんが撃てなければこっちがやられちゃうの。必ずしも殺さなくていいから、そういう局面での覚悟をあらかじめ準備していきましょう」
黒い人形は白い人形を後ろから左腕で羽交い締めにしており頭を横に覗かせているが、右手を含む全身はほとんど人質に隠れている。その背後には、矢が外れてもいいように土の壁まで用意されていた。
エルレアには局面の想像がうまくできなかった。矢を放つ。黒い人形の左肘に刺さった。一応、狙い通り。
「ダメよ。いまのは人を撃ったつもりないでしょ」
心中筒抜けである。
意図している訓練になっていないのは自分でも理解できた。そう遠くない距離で止まった人形の狙った部位に当てるくらいは造作もない、というエルレアの腕前はメンバーは既に知っている。『沙巌熊』戦でも魔獣の動きを読んでその腕をピンポイントで貫けた。ただ人間を傷つけるとなるとまた話が変わってくる。明確に主義として対人の非暴力を掲げているわけではなく、撃つ必要があるならば撃たねばとはエルレアも思っているが、単純に恐ろしくて冷静になりきれないのだ。
「相手は人間、でも撃たないとヴェガさんが殺される……」
エルレアはブツブツと呟きながらまた矢をつがえた。
昨日、素材売却後にギルドに向かったところ、ちょうど依頼人が緊急で泣きついていた護衛依頼があり、そのまま請け負うことになった。この手の突発依頼に備えてギルドで待機する者もいるが、今日はあいにく早くから他のクエストで出てしまっていたのだ。
護衛対象は、山をふたつ越えて南西の海洋都市カワティシに薬を持ち帰る領主の使者ふたりであった。ザバンの冒険者ギルドにも数回出入りがあり、身元は確かである。もともと来週半ばまでに帰る予定だったのだが、急かす早文が彼等を追い抜いて宿に届いていたらしい。ただ、カワティシへと続くトマシモ峠には魔物が出る他、最近は徒党を組んだ山賊が跋扈していると噂で、実際にいくつかの商隊に被害も出ていた。往路辿ったようにザバン西方からぐるっと回り込めば比較的安全なのだが、海路を挟むこともあり場合によっては三、四日は余計にかかる。そこで予定変更しての峠越えを主張したところ、護衛に雇っていた初級の戦士三人は話が違うと言って抜けてしまったのだという。人数、実力的に危険すぎると見たのは判断として適切であろう。つまりこの護衛任務は中級相当の難易度ではあるが、そのぶん実入りの良い条件とはなっている。
「手紙はわたくしが発ってすぐに送られたようでして、奥様の『青殻病』が悪化しているのだとか。ああ、飛んで帰れるならそうしたい……!!」
使者の中年女性はそう嘆いて大袈裟に身を捩った。
同情を買うためかもしれないが、ずいぶんペラペラと内側の事情を話すものだ、このクエストを『悪食』に薦めてきたギルド職員は、そうこっそりと苦笑していた。
一日一本出る正午の乗合馬車に間に合い、日暮れ時に着いたラツカ山地麓の集落で、一行は宿を取っていた。明日、峠を越える。寝る前にエルレアは冒頭の訓練を課されたのだった。トキがこの場にいないのは、護衛として対象の側にいる必要からである。
「うん、終わりにしましょう。やっぱり一朝一夕にはいかないわね」
今夜のトレーニングは終了である。
背後の壁は十数本の矢でハリネズミになっている。人質である白い人形にこそ誤って刺さることはなかったが、イメージが固まりだして以降、敵役の黒い人形は無傷なままだった。左肘に生える5本の矢は、エルレアの想像力が追いつかなかったことだけを意味している。
ヒトを撃つのはかくも度胸の要ることか、とエルレアは思った。仲間を助け出すつもりはしっかりと持ったはずだが、狙いはブレにブレた。これが実地ならば、撃った本数と同じだけ、人質のヴェガを死なせてしまったことになるのだ。
「現場をきちんと想像できたのは立派だったと思うわ」
ヴェガはそう慰めてくれたものの。
クエスト処理目標の話をしていた際にトキは、中級冒険者の自分たちであっても普通に頓死する可能性はある、と言った。それはエルレアの覚悟のなさを責めるものではなかったが、その可能性を減らす力があるのに減らせていないのはエルレアである。
土壁に刺さった矢を抜きながら、エルレアは心の底から反省するのだった。




