第12話:なんてデカさだ
公営警備隊は、ガーナッシュ地方一帯を統治するロンデル公が配備した、魔物の棲息域を監視する行政組織である。
ナバテの森は、本格的な魔の領分である漆黒の湿地ガルナッソと人里とを分かつ緩衝地帯でもあった。魔物が出るとはいえ、人間が大きな脅威に晒されることは少ない。また他国からも離れている。それゆえ国家的な安全保障上の優先順位は低く、軍事行動専門の部隊は置かれずに、治安管理の延長で運用されていた。この大きな特徴として一般隊員は現地雇用である。ただし幹部は管下貴族の子弟から派されることが多い。ここ数年ナバテ警備隊の隊長を務めるハーヴィーも、イェルス子爵家の出身であった。
ハーヴィーは比較的しっかりとした管理官で、その指導の下、警備隊員はみな、少なくとも森に出没する魔物には引けを取らないよう訓練を積んでいる。四人一組の巡回部隊は『小鬼』や『酒乱犬』などの森にありふれたモンスターを一蹴できたし、警備隊の総力を持ってすれば『疾風豹』や『厄伽藍土』といった強敵すら追い返せる自負があった。古株には、奥地ガルナッソからあぶれてくる『四伎鴉』や『泥子』あたりの異種にも対応経験がある。
しかし。
「まさかこれ程の化物が出るとはな……」
青褪めた顔で呟いた巡回部隊の隊長は、脇腹に大きな手傷を負っていた。
◇◇◇
詰所からシネイ湖へはなだらかな山を登ってゆく形になるのに対して、三叉路からヨガヒナ沢方面に至る道のりは緩やかな下りになっている。
ジャーメイン率いる巡回部隊は、昨日からの申し送りや途中行き違った冒険者の忠告から、屍霊にも警戒しながら普段よりもやや時間をかけて進んできた。そして、多少くねった道をゆき開けた視界を得た時に、下部遠方に、樹々よりもはるかに高い黒い小山が動くのを彼等は目にしたのだった。すさまじい巨躯、町の教会がまるごと緩慢に動いているかのようであった。
それが魔物だと判断した瞬間、リーダーであるジャーメインは緊急の狼煙を焚くことをメンバーに指示した。魔物に検知されるおそれも増すが、異常事態を速やかに本隊へと知らせなければ自分たちも含めた全体がより危険になる。
信号を送った後、さらなる事態の把握のために、狼煙からはやや離れながら対象との距離を維持して観察をはかった部隊だったが、結果的にはこれが失策だったのかもしれない。しばらく動きを見ていたところ、該当の魔物がいきなり戦闘態勢に入ったのか、急激に突進して、部隊のすぐ近くにまでつっこんできたのだ。
その衝撃の際に跳ね上げられた木っ端がジャーメインの脇腹を削りとっていったほか、石のつぶてがゴッシュの右腕を砕いていた。丸太を真正面から受け止める形になったトリスタンは、辛うじて防御姿勢をとったものの背を強打して口から血を吐いているし、サミーは飛んでくる岩をどうにか避けた際に、斜面を踏み外して左足首をつよく挫いてしまった。
咄嗟に最低限の目眩ましを張りつつ、曲がり角になっている岸壁の裏側にひそんだものの、こちらへの敵意もない単なる巻き添えだけで甚大なダメージである。ズシンズシンという足音が間近で響き渡る中、一同は声を潜めて互いの状況をすぐさま確認したが、かなりまずいというのが誰の目にも明白だった。
「噂に聞く竜のように見えるが……なんてデカさだ」
「他の何者かと交戦したんでしょうか、いきなり攻撃に移りましたね。あんなに遠くから突っ込んでくるなんて」
「……口元に人体らしきもんが垣間見えましたぜ。ヤツの獲物なんでしょうけど、たぶんもう跡形もねえ……」
「こちらはまだ気付かれてはいないと信じたいが……ゴッシュ、トリスタン、動けるなら先行して離脱するんだ。まさかこれ程の化物が出るとはな……」
大きく抉られて骨まで露出した脇腹を押さえながら、荒い息でジャーメインが指示を出したその直後、薄れた煙幕の向こうに、あまりに大きな黒い魔物の頭が覗いた。馬ほどもあろうかという眼球がギロリと照準を警備隊員たちに合わせている。鰐か何かのようなゴツゴツとした肌や鋭い牙が、彼にはなぜかスローモーションかのように鮮明に見て取れた。生物の本能が全力で警告しているのだ。
「クソッ、見つかった……!!」
「うわあぁぁぁぁーッ」
パニックに陥ったゴッシュが左手で槍を投げつけるが、その皮膚に無慈悲に弾かれて地面に落ちる。爪楊枝をぶつけられたよりもなお効果がないようである。トリスタンは膝が笑って尻餅をついてしまっており、サミーは四つん這いでなんとか遠ざかろうとしている。ジャーメインは竜から目を離せず身動きが取れないまま、絶望した。
巡回部隊員たちの慄きぶりを知ってか知らないでか、この超大型の黒竜は、ゆっくりと口を開け、そして勢いよく目の前の餌食へと飛びかかった。
「『砂編帷』!!」
刹那、あたり一帯の地面から針金のような棘が無数に高く伸び上がり、次の瞬間には絡み合って大きな織物のような形状を創り出した。迫る顎の右下を掠めるように空中に突如織り成されたこの薄く硬い帷子が、大型黒竜の牙をわずかに左に逸らす。竜は勢いのまま岸壁に頭をぶつけた。轟音が鳴り響き、地面が烈しく揺れ、土煙が巻き起こった。
ジャーメインたちに噛みつくべく開いた口から飛び散った、何かどす黒い汁が、周囲の草木や地面に付着して灼けるような音とともに煙を上げている。何者かによって生み出された土の防護壁は、警備隊員たちをその毒液からも守っていた。
きゅ……救援か……!??
迫りくる死に咄嗟に目を瞑っていたジャーメインには、何が起きたかよくわからなかったが、少なくとも今の噛みつきの餌食になることは避けられたらしい。
事態を少しでも把握しようと、この部隊長は必死に辺りを見渡した。




