プロローグ
――11年前
「はあ、はあ、はあ、はあ」
私の荒い息遣いが土砂降りの雨の中私の耳にだけ聞こえる。普通ならたったの4歳の少年が傘もささず、びしゃびしゃになりながらも一生懸命に走っているのを見ると思わず振り返ってしまうだろう。
しかもその少年はそんじょそこらの貴族では、歯が立たないほどの華美な服に身を包んでおり、その服は勿論走るのに適していない。
だが、そんな異常な光景だというのに誰1人として私を振り返ることはない。
――当たり前だ。
今は人の眠りが最も深くなる深夜3時。どんなに昼間人で賑わっている帝都でもこの時間となると人っ子一人いない。勿論私を除いてだが。
「どこに行けば奴らに捕まらないのだろう」
奴ら。私の父様と母様を殺した奴ら。母様はともかく、ここリアトリス帝国の隣国のアベリア王国の国王の近衛を勤めていたらしい、父様を殺せるような奴らに病弱で神童とも呼ばれるほど頭はいいが、将来宰相になることが確定している私の乳兄弟でさえ握ったことのある剣を握っていない私が適うはずもなかった。
魔法もあるが、私は最近それを扱い始めたばかりだ。付け焼き刃もいいところだった。
――父様、母様。
たった4年。いや、赤ん坊の時の記憶はないため、もっと短いが、それだけでもう二度と会えなくなってしまった両親の姿が脳裏を横切り、涙が自然と出た。それは頭から頬へ伝う雨水とすぐに同化していった。
「私にもっと力があれば!私が、ユウと同じく武に優れていて、病弱でなければ!」
私は自分の力のなさを嘆き、もう一人の乳兄弟の名前を出した。そして、いつも時は残酷だった。
「あそこから声がしたぞ!」
「確実に第三皇子殿下を、ホフン第三王子殿下をこの世から消し去り、第二皇子殿下を皇帝にするのだ!!」
「!!」
私はその声を聞き、追手が来たのだと悟る。邪魔なコートを脱ぎ捨て、シャツとズボンの軽装になった。
今脱ぐなら最初から脱げばよかったのだが、脱ぎ方次第ではここから連れ去られた風を醸し出せる。
敢えて目立つところにコートを脱ぎ捨て、私は王族が絶対に入ることはないとおそらく奴らも無意識のうちに除外している場所へ急いで向かう。
貴族街を抜け、平民街も抜ける。私が向かったのはスラム街だった。帝国のスラム街より酷いところはない。そう言っていい程帝国のスラム街は酷いのだ。私はスラム街へと駆け込み、帝国中の貴族からとても美しいと評判の白髪をわざと泥で汚す。
白髪は珍しいが、全くいない訳じゃない。私の瞳は黒いのだが、それはいつもカラーコンタクトで隠しているために何の問題もない。ついでに母様似の顔とシャツとズボンも汚す。元が高価な上、デザインも洗練とされているので、この子供騙しがどこまで通用するのかは分かりきっている。
いや、そもそも通用はしないだろう。それでも何もしないよりかはましだった。
私は身を隠すことにした。手近な小屋に入り、中に人がいないのを確かめてから、ほっと息をついた。
濡れた服もそのままに、私は眠りについてしまった。
そして。この日、ループするはずだった世界に決定的な変化が起きたことに私は気づかなかった。その変化は後に絶望しきったある人物を希望へと誘う変化だった。