妹が幼なじみに俺のパンツを売っていたのだが
「なあ優佳、今日一緒に帰れるか?」
「ごめん。直くん。今日もちょっと用事があって」
「そうか。なら仕方ないな。じゃあな」
「バイバイ。直くん」
今日もまた断られてしまった。これで何度目だろうか。先ほど誘った高橋優佳は俺の幼なじみだ。家が近いこともあり、優佳と俺は昔からずっと一緒に登下校していた。それは高校生になってからも変わらなかった。だが、最近は何かにつけて用事があるからと一緒に帰れないことも増えた。
幼なじみと言っても俺も優佳ももう高校生だ。これからも少しずつ一緒にいる時間が減って別々の大学に行き交流が更になくなりお互いに過去の人になっていくのだろうか。それはなんだか少しだけ寂しい気がするとこのときの俺は思っていた。
結局、俺は他に同じ方向に帰る友達がいないため1人で家に帰った。優佳以外に知り合いが高校にいないわけではない。ただ家の方向が誰1人同じ奴がいないだけだ。2階にある自分の部屋に入ろうとすると妹の晴香が自分の部屋から出てきて声をかけてきた。
「おかえり、お兄ちゃんお風呂空いてるよ」
「ただいま、分かった。もう少ししたら入るよ」
我が家は両親共働きで親が帰ってくる前に風呂に入るのが俺ら兄妹の習慣になっている。その口ぶりと恰好から察するに晴香はもう風呂に入り終えたのだろう。自分の部屋にリュックを置き、着替えをタンスから取り出して俺は風呂場へと向かった。
「お兄ちゃんまだお風呂入ってる?」
湯船に浸かっていると着替え場前のドアの方から晴香の声が聞こえた。
「ああ」
「じゃあちょっと失礼しまーす」
風呂場の戸にシルエットが見える。晴香が着替え場に入って来たのだろう。
「何の用だ?」
「ちょっと忘れ物しちゃって」
「最近多いな。もうちょい気をつけろよ」
「あはは、おっしゃる通りで」
全然反省してないなコイツ、毎回着替え場に何忘れていくんだと思っていると用事が済んだのか再び声をかけられた。
「では忘れ物は見つかったので戻るね。じゃあごゆっくり」
「言われなくてもそうする」
それからしばらく風呂に浸かりながら優佳との関係について考えていたらのぼせそうになったことは誰にも言わないでおこうと思う。
それから両親が帰ってきて一家で夕食を済ませ、俺は自分の部屋でゲームをしていた。ふと小腹が減り冷蔵庫に何かなかったかと1階に降りると玄関の方に向かう晴香を発見した。はじめはコンビニにでも行くつもりなのかと思っていたがそれにしてはなぜか挙動不審である。どうやら見つかっていないようだったので俺は晴香を尾行することにした。
何か悪事に手を染めているならば俺が妹を正してやらなければならない。そうでなくても隠れてこそこそしている何かを暴くのは楽しそうだ。こうして俺はこっそりと家を出た晴香の後をこっそりと追跡した。
家を出て数分後、晴香は近所にある公園に到着した。目的地はここであるらしい。スマホをいじりながら時々周りを見ている。どうやら誰か人を待っているようだ。俺は木の陰に身を隠しながら晴香の待ち人が来るのを待った。少し経つと公園に新しい人影が現れた。その人影が公園の灯りに照らされると、それは間違いなく俺の幼なじみである優佳だった。
なぜここに優佳がいるのか。俺が動揺していると優佳がベンチに座っている晴香の方に近づいていった。晴香が待っていた相手は優佳で間違いないらしい。晴香も優佳に気が付いたらしく立ち上がって手を振っていた。2人は合流すると周りを警戒しながらバックから何かを取り出した。そしてそれらを交換しているようだ。隠れながらだと良く見えなかったため俺は木の陰から飛び出し2人に近づいた。
「おい、お前ら何やっている」
「直くん?」
「お兄ちゃんなんで……」
2人の手に握られていたのは透明な袋に入れられた男性用のパンツだった。
例の密会の後、俺たちは我が家の俺の部屋まで来ていた。目的はもちろん2人が所持していた男物下着について問いただすためだ。優佳も晴香もブツが見つかり観念したのか素直についてきた。
「でお前らが持っていたあのパンツはなんだ。というかあれ俺のだろ」
どちらも見たことがあるパンツだった。状況が状況だけに偶然ということはないだろう。問題はなぜこいつらが俺の下着を持っていたのかだ。
「ばれちゃったか。ご名答このパンツはまさしくお兄ちゃんのものです」
「もう少し反省する素振りをしろ。なんで俺のパンツを盗ったんだ」
「盗んだなんて人聞きの悪い。私たちはちょっと借りてただけだよ」
「そんなの見つかった後ならどうとでも言えるだろ」
「いやいや、これまでしっかり返してたじゃん」
それを言ったと同時に晴香がはっとした顔になった。これまでということはまさか……。
「晴香、お前今回がはじめてじゃないな」
「……ばれちゃしょうがない。そうだよお兄ちゃんのパンツはもう数ヶ月も私たちに借りられてたんだよ」
今日昨日のことではないと思っていたがそこまで長いスパンで好き放題されていたとは思わなかった。
「だから申し訳なさをちょっとでいいから出せ」
優佳を見てみろ。下を向いてここに来てから一言も話してない。判決を静かに待つ容疑者のようだ。
「それでなんで晴香は優佳に渡してたんだ」
「それは簡単だよ。お小遣いのため」
「お小遣い?」
「パンツ1枚につき500円」
「晴香お前優佳から金貰ってたのか」
俺のパンツが金銭のやり取りに使われていたなんて予想もしていなかった。お金が絡んでくるとなると今回の件は結構グレー寄りのブラックな気がしてきた。
「だってお小遣い少ないんだもん」
「だからって兄の下着を売るな」
「最終的には返してるじゃん。それに私はお金が貰えてハッピー。優佳さんはお兄ちゃんのパンツが貰えてハッピー。お兄ちゃんは何も知らなくてハッピー。ほら皆幸せでしょ?」
真実を知った俺はもうハッピーじゃないだろ。この1日で既に精神がガリガリ削られている。
「もう突っ込む気が失せる。あと気になっていたが優佳は何に俺のパンツを使ってたんだ?」
俺がそう口にすると晴香が信じられないものを見たかのような侮蔑の目で俺を見てきた。止めろそんな目で俺を見てくるな。というかお前が侮蔑の目向けられる側だろ。
「お兄ちゃんほんとにそれ聞くの」
「俺のパンツが利用されてたんだから俺には知る権利があるだろ」
優佳の方を見ると優佳は小さな声でボソボソと何かを言っているように見えた。心なしか顔も先ほどより赤くなっているように見える。
「……に」
「ごめん。声が小さくて聞き取れない。なんだって?」
「……に」
「もう少し声大きく出来ないか?」
そう言った次の瞬間、優佳は急に立ち上がり口を大きく開いた。
「何ってナニですけど!」
「落ち着け優佳。親に聞こえる」
声を大きくしてくれとは頼んだが叫んでくれとは言ってない。内容が内容だけに親が聞くと話が間違いなくこじれてしまう。あとちょっと泣き顔になるの止めてくれ良心へのダメージが凄い。
「だって好きな人のパンツ使って○○○○してるのがばれたんだよ? 落ち着けるわけないよ」
女の子が人前で○○○○とか言っちゃいけません。というか今何気に凄いこと告白しなかったか。
「あー。お兄ちゃん優佳さん泣かせたー。いけないんだ」
イラッとしたので無言で強めにチョップして黙らせる。「痛っ」という声が聞こえた気がするが気のせいだろう。
「大丈夫だ優佳。今更それくらいで嫌いになったりしないから」
「ほんとに?」
「本当だ。俺とお前の仲だろ」
優佳がホッとした表情になる。この言葉は嘘じゃない。誰とも知れない奴にパンツ貸していたら晴香と絶縁するくらいしてたかも知れないが、優佳だったらギリ許せる範囲内だ。使用用途にはまあ若干引いたが。
「それで結局俺のパンツ何回貸していたんだ?」
優佳と晴香が顔を見合ってどちらが話すか決めている。どうやら優佳が話すようだ。
「……5回」
「まあ数ヶ月で5回なら」
「違う」
「違う? 月に5回という事か?」
そしたら10回以上俺はパンツ盗られて気づかなかったのか。優佳の方を見ると何か答え辛いような顔をしている。そして意を決したのか口を開けた。
「週5! 1週間に5回は最低でも借りてました!」
多いわ。週に5回以上ってそんなえげつないペースでパンツ盗られてたのか。話を聞いてみるとはじめのうちは1週間に1回だったのが2回になり3回になりついには5回を超えてしまったそうだ。なぜ誰もとめなかったのか。というか俺もそんな頻度で盗られてたら気づけ。セルフ突っ込みを入れながらある疑問が思い浮かんだので口にすることにした。
「週に5回も借りてたら1月で1万以上かかるんじゃないか?」
晴香は1回あたり500円だと言っていた。それが真実ならどう見積もっても月1万円は超えてしまう。高校生にとって毎月それだけの出費は痛いというレベルではない。
「実は……少し前からアルバイトをはじめまして」
「最近一緒に帰るのを断るのってまさか」
「アルバイトの日だからだね」
「パンツのために色々犠牲にしすぎだろ」
まさかそんな理由で断られているなんて知らなかった。思わぬ所で点と点が繋がってしまった。ちょっと最近感傷に浸ってた時間返してくれ。
「とにかくもうこれからは俺のパンツの貸し借り禁止だからな」
そう言うと同時に優佳と晴香が絶望した表情になる。なんだか悪いことしている気分になるのでその表情やめてくれませんかお二方。
「私の1万円……」
「俺のパンツを元手に晴香から分捕った金だろ」
「私のパンツ……」
「優佳のじゃなくて俺のだから」
人のパンツに重きを置きすぎじゃないだろうか。
「そしたら私は何を糧に生きていけばいいの」
「頼むから俺のパンツ以外にしてくれ」
「パンツより匂いの強いものって……。もう直くん本人しか」
「俺のこと臭いみたいに言うな」
汗とかの臭いには制汗剤とか使ってわりと気をつけているつもりなのだが。
「大丈夫。とってもいい匂いだから」
そんな満面の笑みで言われてもこっちとしてはより複雑な心境になるだけだ。
「そう言ったって優佳がそういうことしたいときに俺が近くにいるのは無理だろ」
若干濁して言ったが優佳が○○○○している時に隣に俺がいるのはどう考えても異常な光景だ。
「そうだけど……。だったらやっぱりパンツを貸してくれたりとか。お、お金なら払うから」
コイツ絶対ホストクラブとか行かせたら駄目だな。金が尽きるまで貢ぎかねない。
「それはもう駄目って言っただろ。そんな不健全な関係認めません」
「そんなぁ。そしたら私明日からどうしたらいいの?」
飯をねだる子犬のような目でこっちを見るな。まあ気づかず数か月放置した俺にも多少落ち度はある。優佳の事嫌いではないし一肌脱ぐか。
「それならハグならどうだ? パンツ借りてた頻度でするからそれで我慢できないか?」
優佳は一瞬目を輝かせた後、はしたないとでも思ったのか表情を戻し髪をいじりだした。
「で、でもハグとか恥ずかしいし」
人のパンツで致してたと白状した後で純情キャラは無理があるぞ優佳よ。
「じゃあパンツもハグもなしだな」
「お願いします! ハグ毎日したいです!」
勢いよく優佳は頭を下げてきた。今度はなりふり構わなすぎだろ。何気にハグするの毎日になってるし。
「よし決まりだな。ハグは明日からでいいか?」
「今日からがいいです!」
食い気味に返答が来た。ここからの流れでハグするのか? でも優佳は凄く期待の眼差しで見てくるし。ええい、ままよ。俺は力強く優佳を抱きしめた。その体勢を数分維持した後、優佳をゆっくりと解放した。
「大丈夫か? 痛くなかったか?」
「……最高でした」
恍惚とした表情をしているどうやら満足してもらえたようだ。ほっとしていると意識外の方向から声をかけられた。
「ヒューヒュー。アツいねお2人さん」
そうだまだ晴香がいたのを忘れていた。なんとなくイラついたので再び軽くチョップをお見舞いする。こうしてパンツ騒動は一旦終わりを告げることになった。
数日後、優佳は今日も俺の部屋に来ていた。
「直くん。今日も頼めるかな」
俺が無言で優佳をハグする。これから先俺と優佳も交流が減りお互い思い出になるのかもしれない。ただそれは俺が思っていたよりももっともっと先の事なのだろうと今の俺は思うのであった。