The worst taste
人物紹介
•八島亜紀:17歳.借金の取り立て人
•江川八日:24歳.パパラッチ.八島の義姉
•ホー・グエン・ミン:元プロキックボクサー
•真田晃司:夜柝市の名士.真田建設社長.JK狂
•佐倉寛己:34歳.税理士.闇金業者
「ホーさん。これは、掛け値なしの端的な最後通牒です。返答は必要ありません。謝罪も不要です。我々は貴方が四千万を返せるとは微塵も考えておりません。ですが、ツケは必ず回ってくるものです。ホーさん。貴方がへし折ってきた取立て人の鼻面も、鎖骨も、膝の皿も、全てが回ってくるんです。いいですか?これは最後通牒です。返信は必要ありません。」
留守録が終わり、 薄暗いアパートの一室にマヌケな電子音が鳴り響く。
ホーは拳を電話に叩きつけた。プラスチックの破片が飛び散り、電話は永遠に沈黙した。
殺風景で薄汚い部屋の中を静寂が支配する。ホーはその場に立ち尽くす。
自身の過去。移民。キックボクシングのプロ選手。女癖が悪かった。
詰まる所、気違い染みたパパラッチの格好の餌。パパラッチのジュードーに敢え無く絡め取られた。契約は打ち切られた。過去の栄光、ホーは執着した。
一も二もなく、闇金に金を借りた。端から返すつもりなどなかった。連中は非合法だ。連中はサツに泣きつけない。
ホーは暴力を駆使した。暴力を振りかざす奴らに真の暴力を教えてやった。刃物を突き出す奴。サップを振り回す奴。どいつもホーの裏拳には敵わなかった。次の奴も何てことはない。鼻っ柱をへし折ってやるだけだ。
喉が酷く渇いている。水を溜めた焼酎瓶に手を伸ばす。水道は既に止まっている。
その時、チャイムが鳴った。
ホーはボトルを捨て置く。ボクサーパンツのポケットから革のバンドを取り出す。血で赤黒く変色し、洗っても落ちはしない。
バンドを拳に巻き付け、ドアアイを覗き込んだ。
廊下に佇む小柄な少女。くすんだ灰色の髪。焼却炉の灰の色。風雨に曝された鉄柵の色。無為に伸ばした髪を黒のヘアバンドで二つに結んでいる。手入れに気を使っているとは思えないその髪は所々が逆立ち、怒り狂った山羊のようにも見えた。
服装──草臥れたダスターコート。サイズが合っているとは思えない、馬鹿でかいワークブーツ。色褪せたダブダブのジーンズ。マカロニウエスタンの悪漢を無理矢理、現代に焼き直したような格好。
女がドアアイを覗き込んだ。黒目の大きなアーモンド形の目がホーを見据えてた。口元はバンダナに隠されている。
女が扉から一歩引いた。
ホーの胃の腑が締め付けられる───こちらに気づいたのか、それとも…
女が無造作に足を上げた。ホーは後ろに飛びすさった。足の腱が悲鳴を上げた。目を瞑って耐えた。ボクサーの勘は外れない。
轟音。蝶番が弾け飛ぶ。アームがへし折れる。鉄の扉がひしゃげて倒れる。どた靴の靴跡が刻まれる。
女が玄関の奥に見えた。女が無造作に足を下ろす。
ホーは戦慄した───女が放った蹴り。あれは俗に言うヤクザキック。助走もつけずに放つ蹴り。純粋な脚力だけの所業。信じられない
女がホーを見据える。目尻に皺を寄せる。血色の悪い肌に黒い筋が走る。女はダスターコートの下に手を入れた。明確な隙。
ホーは飛び掛った。体全身のバネを動員した。女のバンダナ目掛け裏拳を叩き込んだ。風切り音。鈍い音。骨のひしゃげる感覚。
ホーの体は激痛に震えた。ホーは呻いた。後ろに飛びすさった。拳が血に濡れている。
女は突っ立ったままだ。しかし、既にコートから手は抜かれている。女の手に握られているのは見紛うことなく、木製のテーブルの脚だった。ビスや金具は血で錆びつき、持ち手にはボロ切れが巻いてある。付いたばかりのホーの血だけが鮮やかだ。
女は低く咳き込むように笑う。二本の角が揺れる。“脚”が女の革手袋に打ち付けられる。パシリ、パシリと乾いた音が鳴る。
ホーは息を吸い込む。バンドを強く握り締める重心を下に持って行く。低く構える。
女は構えない、“脚”を振り上げ、大股で歩いて来る。喜劇役者の足取り。“脚”が振り下ろされる。
ホーは身を縮めて躱す。速いだけの一撃。女は完璧に振り抜いた。女の溝落ち目掛け膝蹴りを放つ。
女が身を翻す。革の手袋が飛び出す。ホーの顔面に張り手が叩き込まれる。あり得ない体勢からの強烈な一撃。
ホーの脳が揺れる。視界が揺らぐ。膝蹴りは女のコートの端を撥ねるに終わる。
女は張り手を完璧に振り抜き、一回転する。“脚”を降り上げる。
ホーは揺れる世界の中で床に手をつく。手を軸に回し蹴りを放つ。足を払いにかかる。女の足をしかと捉える。
足に衝撃が走った。コンクリの柱を蹴った感触。女は小揺るぎもしない。返ってきた衝撃で床についた手がずれる。体が床に投げ出される。
女が獲物を振り下ろす。“脚”がホーの腰にめり込む。一撃でホーの骨板が叩き割られる。革を突き破り、白い骨が顔を覗かせた。
ホーは比類無き叫びを上げた。だが、誰も来はしない──ホーはアパートの住人達を脅し回っていた。借金取りへの所業を口外させなかった。ホーは言った。“叫びは聞こえない。いいな?”
ツケは全て回ってくる。
女が再び“脚”を振り上げた。二撃目はホーの左肩を捉える。落花生の殻のように右肩が砕け散った。ホーは叫んだ。
三撃目は右肩。ホーはさらに絶叫した。
女は咳き込むように笑う。“脚”を両手で振り上げる。ホーは有らん限りの力で叫び、のたうった。
ホーの頭に“脚”が振り下ろされる。眼前に蛮族の棍棒が迫る。ホーの意識はぶっ飛んだ。
“脚”の先とその金具は、ホーの顎を噛み終えたガムのようにしたところで止まった。
女はホーの襟首を掴み上げ、肩に背負う。アパートの廊下に出る。階段を降り、運び屋の元に向かう。
住民は全員引っ込んでいた。夜柝市の掟───見るな。聞くな。頭を使って良く生きろ。
駐車場にバンが止まっている。黒地に黄色のナンバー。車体にプリントされた文字“GAVIAL DINER”。その横にはワニのマスコット。サングラスを掛けいやらしい笑みを浮かべている。
女はバンの荷台のドアを開け、ホーを中に詰める。誂えたようにすっぽりと収まる。
運転席のシートの裏から顔が覗く。
「お早いお戻りで、八島さん。」
瘦せぎすの男が笑って言った。店のマスコットがプリントされた帽子を被っている。
「こいつで間違いないんだなよな?」
八島は、ホーの顎の無い面を店員然とした男に向ける。
「ええ、多分そうです。正直、その状態では断言出来かねますが。」
店員が顔を顰め、エンジンをかけた。排気ガスが噴き出す。八島が咳き込む。
「ゲホッゲホッ。なぁ、女の肌に排気ガスは大敵だぜ。」
八島はバンのフレームを叩いて言った。
「女と言っても、貴方はまだ十七でしょう?語るに及びませんし、肌の前に髪をどうにかすべきです。」
店員がマスコットとお揃いの笑みを浮かべる。
「うっせえ。」
八島はバンのドアを叩きつけるように閉めた。その勢いで車体が揺れる。店員とホーの体が跳ねる。八島がニヤリと笑う。
バンが当てつけのように走り出す。排気ガスを撒き散らす。
八島はバンダナで口を押さえ、遠ざかるマスコットの笑みを憎々しげに見つめた。
バンは、夜柝市のドヤ街の入り組んだ隘路に消えていった。
八島はアパートの裏手の駐車場に向かう。停めて置いたCS950のスタンドを外し、シートに跨る。スターターをキックする。
そこで、着信音が鳴った。ミック=ジャガーが“sympathy for the devil ”を歌う。
八島はスマートフォンを荷台のボストンバッグから取り出す。番号を見て、少し驚いたように目は見張る。暫し躊躇い、数秒の憂慮の後、ボストンバッグにしまい直した。
エンジンを吹かす。。CS950が走り出す。ミックが歌う。CS950が唸りを上げる。
スマートフォンの画面には、“江川姐さん”の文字が浮かんでいる。
本小説の文体は巨匠ジェイムス・エルロイ氏の影響を、これでもかとばかりに受けています。
『アメリカン・デストリップ』は死ぬほど面白いので是非、御一読ください。
まあ、このミスにも随分前に入っていたし、私が言うようなことではありませんけども。
他に影響を受けた、というより、ほぼ中核を成している作品は以下の通りです。
•『ホワイト・ジャズ』
•『シン・シティ』
•『Hotline Miami』
•『村上春樹』
•『開口健』
•『トマス・ハリス』
他にも数え切れないほどありますが、この辺で止めます。
え?途中、作者名が混ざってたって?
いやあ、細かいことはどうぞ気にせず宜しくお願い致します。