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想い出のオルゴール

作者: 神居 真

熟年カップル『昴と裕子の物語』の番外編ショートショート


 漸く静かになったと、窓の外を見ると、引越しのトラックが、後ろの扉を閉めて、出発して行った。

 今日、十二月二十二日土曜日は、秋田の弟の娘、姪の未季みきの引越しの日。東京の大学に通う為上京してから五年半、私が面倒をみていたけど、遂にこの家を出ていく。

 でも寂しくはない。未季と入れ替わりに、私の彼、神野じんのすばるが、引っ越してくる。

 彼も、そろそろ遣って来るころかなと窓の外を眺めていると、ノック音がして、未季が遣って来た。

「長い間、お世話になり、ありがとうございました。本日より、主婦として、武生さんと共に歩んでいきます。これからも、御迷惑や、御助力頂く事が、多々あると思いますが、長い目でのお付合い、よろしくお願いします。本当に、長い間、ありがとうございました」

 武生君は、昴の息子。結婚式は来年の三月だけど、今日から昴の家にて一緒に住むことになっている。

 昴とは、八月のその婚約お披露目の席で知合い、お付き合いする様になった。

「はい、よくできました。私のところから卒業ですね」

「裕ちゃん」未季が、涙を浮かべ、私に抱きついて来た。

 でも、これは感動的な場面などではない。私が常々、形式が大事と教えて来たので、こうすべき時と判断して、泣いている振りをしているだけ。内心では、一刻も早く行きたくて、うずうずしている。

「早く行きなさい。それから実家に帰る前に、もう一度、顔くらい出しないさい」

「ラジャー」

 どこでそんな言葉を覚えたのかしれないけど、未季は敬礼して、駆け出して行った。

 未季は、年末から正月に掛けて、秋田の実家で武生君と一緒に過ごす予定になっている。

 それにしても、昴は遅い。二時頃に来ると言う話だったのに、もう二時を大きく回っている。

 大きな荷物は、谷中の自宅に、そのまま置かせてもらう話になっていて、ここに住むための荷物は、既に宅急便で送られてきている。

 だから、着の身着のままで来るだけなのに、まだ来ないし、連絡も寄こさない。

 あの歳になると、教育しても無駄だけど、人を待たせておいて、平気で遅刻するとは何様のつもり。

 暫く気を揉みながら待ち、四時になっても連絡が無いので、私が負けたみたいで悔しいけど、電話を掛ける事にした。

「神谷さん、どうかした?」 どうかしたとは、何て神経。

「今、何時だか、分っていますか?」

「四時ちょっと過ぎかな」こいつ、態とに違いない。

「昨日、あなたは私になんと言ったか、覚えていますか?」

「地下の片づけが終わったら行く。二時頃かな」

「で、今は?」

「そんなことで、怒んないでよ。まだ片づけ終わってないんだ。『終わったらいく』が主で、その予定時刻が二時頃だと言っただけで、二時頃にそっちに行くとは言ってない」

 そう来たか。これで一流企業のサラリーマンだったとは、信じられない。

 昴は、今は定年退職して、小説家を目指しているけど、ハネダ自動車の研究者で、嘗て世間をあっと言わせた人型ロボット『ハシモ』の開発責任者だった伝説の研究者。

 でも、常識しらずで、だらしなく、何を考えてるのか判らないつかみどころのない男。

 十三年前に亡くなった神谷かみや徹真とうまとは正反対の男。

「『私が誤解してました、ごめんなさい』といでも言うと思ってんの。二時と言う言葉を使った以上、無理なら電話を入れて、遅くなると相手に伝えるのが常識でしょう。そんなこともわからない御馬鹿なの?」

「御免。この分だとあと二時間ちょっとかかる。七時頃にはそっちに行く」

 子供が、説教されて、無理やり言わされたように、いじけて話してきた。

 まぁ、世間知らずのお子ちゃまなのだから、仕方がないか。

「夕食はどうする気?」

「作ってくれるの?」

「じゃあ、七時を目標で夕食を作って待ってるから」

「愛してるよ」

「馬鹿!」

 あぁ、情けない。なんで、こんなろくでなしを、選んでしまったのだろう。

 好きになってた自分が馬鹿なんだけど、この人と本当に上手くやって行けるのか判らなくなる。

 三カ月付き合い、この人ならと確信して、今月の八日に肉体関係を持ち、遂に待望の同棲生活、否、同居することになった。なのに、いざ同居するとなると、憂鬱になってくる。

 プロポーズはまだだけど、間違いなく愛し合っていて、近い内に入籍して、夫婦になる筈なのに、彼の馬鹿さ加減を見ると、自分の心が分らなくなってくる。

 七時か。あと三時間近くもある。その間、私は一人ぼっち。幸せな筈なのに、なせが不幸な気分になっていく。

 そう言えば、昴が、以前のデートで、言っていたことを思い出した。

「幸せと言うのは、心を許せる量の積分値なんだ。自分がどれだけ大きく心を開けるか。そして、そんな心を許せる人物が、自分の周りに、どれだけ沢山いるか。それで幸せは決まるんだ」

 今は、未季が居なくなり、私の周りには彼一人。なのに、あの人にも、心を十分には開けていない。私は、今、とても不幸な状態ということになる。

 私は、彼の部屋の扉を開け、段ボール三つをぼうっと眺め、備え付けのセミダブルのベッドに横になり、天井を見上げた。

 今晩から、あの人と二人での生活を始める。でも、彼と幸せになるには、私の心を大きく開かなければならない。

 私は彼の事が大好きで、結婚するつもりで、セックスもした。

 なのになぜか心を開けない。主人と居た時の様な安心感の様な、心の解放ができない。

 それは、あんな馬鹿で、常識知らずな男に、私の心を侵食されたくないと考えているからなのだろうか。それとも、好きと思っているのは誤解だから? 赤い糸の運命が、そう仕向けてみせているだけなの?

 実は、彼と同居する事になった理由でもあるけど、私と彼は前世から恋人同士だったらしい。初めて関係した日、私達は互いに「やっと見つけた」と頭の中に知らない声を聞き、蒼白い光に包まれた。そして、気づくと、二十四時間触れ合わないと、互いに異常をきたすという離れられない縛りを掛けられていた。彼はイライラして何も考えらなくなり、私は鼓動が二百を越え、重態に陥る。毎日、手を触れ合うだけで、普通に生活していけるけど、もう一生、彼と別れられなて運命のさだに縛られている。

 私が彼を好きになったのは、そんな運命とは全く関係ない筈だけど、それでも、好きになった気持ちまで、前世の二人が互いに左右したのではないかという気になってくる。

 まるで、マリッジブルー。私の中に、急に不安で一杯になった。


 六時五十分に、呼び鈴がなった。

 鍵は渡してあるので、勝手に入って来ればいいと無視しようと思ったけど、料理の手を止め、インターフォンに向かった。

 彼は小門の前で、殆ど白髪のボサボサ頭を向け、開錠されるのをぼうっと待っていた。

 因みに彼は、六十二歳。斯くいう私も、見た目は三十代でも、五十六歳の御婆ちゃん。

「どうぞ。料理の最中なの。独りで入ってきて」

 キッチンで最後の仕上げをしていたら、彼が「お邪魔します」と入ってきた。

「只今でしょう」

「御免、そうだった」

 ますます、この人と一緒になってよいのか不安になる。

 食事を片づけ、自分の部屋のベッドで、もう一度、出会う以前の感情から振り返った。

 やはり、赤い糸の運命とは無関係に彼が大好き。でも、運命の仕業と言われれば、そうかもしれないと考えられる場面もある。そんな不安が込み上げて来るのを、「私は彼が大好き」と何度も繰り返し押しとどめた。「あんなダメ男だけど、彼が大好き。その感情は間違いなく、私自身のもの」そう言い聞かせた。

 でも、なぜか心を解放できない。その理由が分らない。

 きっと、一緒にお風呂に入って、セックスを重ねて行けば、少しずつ、心が開いて行く。

 そんな事を思った時、隣の部屋で、開梱作業をしている気配が止り、ドアが開く音がした。

 いけない、私としたことが、言い忘れていた。

 私は立ち上がり、慌てて扉を開け、彼を呼び止めた。

「昴さん、お勝手先での喫煙は禁止にしました」

「えっ、じゃあ、玄関先ならいい?」

「家の外も、部屋の中でも、禁煙です」

「そんなぁ」

 私は「付いて来て」と、彼を奥の納戸部屋を改造した喫煙室に連れて行った。

「貴方が喫煙できる、唯一の場所は、ここだけです」

「有難う。禁煙なんかしたら、気が狂ってしまうと思った」

 そういって、彼が私の手に触れてきた。

 同居することになったので、うっかり忘れていたけど、昨晩九時に別れたので、あと一時間強で、二十四時間制限のリミットになるところだった。

 彼はちゃんとその辺も気を配ってくれていた。

「この部屋の管理は、あなたにお任せします。でも、毎週土曜日のごみの日には、吸い殻がきちんと無くなるようにして下さい。それから、万が一にも火事が起こらない運用を考え、使用ルールを決めて報告して下さい。そうそう、それともう一つ大事な決まりです。二人の接触は手ではなく、ハグに変えましょう。朝、出社前と、夜、夕食後の二回です。いいですね」

「分かった」

「これから、私はお風呂に入りますが、一緒に入りますか?」

「いや、片づけ終わってからにする」

 くそ、振られてしまった。でも、心の扉を開くにはセックスが必要。夜中に夜這いでも掛けようか、そんな事を考えながら、御風呂場へと向かった。



 翌朝、ノックの音で目を覚ました。時計は既に七時を回っている。

 いけない。私としたことが……。

 もう一度、ノック音がして、私はパジャマのままだけど、「はい、どうぞ」と応えた。

「神谷さん、朝食ができたよ」ドアから顔を覗かせた昴が、ニッコリとほほ笑んだ。

 私がいつまでも起きてこないので、朝食まで準備させることになり、申し訳ない。

「御免、寝坊しちゃった。直ぐに行くね。でも、昨日、名前で呼んでって言ったでしょう」

「そうだった。御免、裕子さん」 そう言って、ドアを閉めて出て行った。

 寝坊したのは、昨晩、いつまでも寝つけなかった所為。

 同居初日で、私自身、したい気もあったし、心の解放には、セックスが不可欠とも思っている。それに、彼とセックスしてから、早や二週間も経っている。

 だから、彼の部屋に行くか、行かないかで、悩み続けた。行くと決めて、ベッドから出ても、私から誘うのは、エッチな女と思われそうで、行く勇気が出なかった。

 結局、昨日は、行動に移せず、悶々としてまま何時までも寝れず、寝坊してしまった。


 普段着に着替えて、居間に行くと、食卓には既に朝食が並べられていた。鮭に、卵焼きに、御新香と味噌汁というシンプルな和食。私の朝は、トーストとサラダと目玉焼きという洋食派だけど、折角作ってくれたのに、文句は言えない。

 席に着こうとすると、テーブルの端に、私の大切なからくりオルゴールが置いてある事に気づいた。倉庫部屋に仕舞ってあったのに、彼が持ってきたらしい。

「なんで、ここにあるの? まさか、勝手に持って来たの?」

「御免、徹真さんの部屋と、来夢さんの部屋以外は、自由に見ていいって言ったから……」

 そうは言ったけど、倉庫部屋まで、見て回るとは思わなかった。

「これ壊れてるみたいだけど、構造に興味があるんだ。ばらしても良いか?」

 正直、「それだけはダメ」と言いたい。発条ぜんまいが巻けなくなり、壊れているけど、これは、私にとって大切な宝物。

 私がまだ二十四歳の時、ドイツから帰国した徹真が、この銀製のオルゴールをお土産だと渡して来た。ドイツの骨董店で見つけ、当時百万円近くも出して、購入したものらしい。

 百万円も出すなら、婚約指輪が欲しいと思いながら、「ありがとう」と受け取った。

「開けてみて」と言われて、上の蓋を開けると、中から小鳥が、ダイヤの指輪をポンと私の方に飛ばして、綺麗な声で囀った。

 そして、徹真が「僕と結婚して欲しい」とプロポーズしてくれた。

 あの後、どうやって指輪をセットしたんだろうと、何度も試みてみたけど、私には再現できなかった。徹真か、私を喜ばせようと、何度も試行錯誤したと思うと、喜びは一入だった。

 あのサプライズは、三十年以上経った今でも、はっきりと思い出せる。

 このオルゴールは、私にとっては、神谷徹真からの最も想い出深いプレゼント。

 だから、絶対に嫌だけど、これからは、昴と生きていくことになる。

「好きにして、いいわ。食事にしましょう」

 私は、暫く悩んでから、いつまでも徹真の想い出に浸っていてはいけないと、そう応えた。


 味噌汁を啜ると、出汁が利いていて、とても美味しかった。昴が、料理を作れる事は知っていたけど、これほど、美味しい味噌汁が作れるとは知らなかった。少し悔しい。

 食事の片づけを一緒にして、今日は、何処に行こうかと、尋ねると、「御免、早速、ばらして見たいんだ」と、ハグしてから、オルゴールを持って、部屋に篭ってしまった。

 そして、昼前には、「昼飯はいらない」と、勝手に独りで出かけて行ってしまった。

 夕方に、帰って来てからも、ずっと部屋に篭りっきりで、私なんてお構いなし。

 同居後、初めての日曜日だのに、結局、私は今迄通りに、独りで休日を過ごすことになり、昴と顔を合わせたのは、食事の時だけと言う始末。

 こんな人と、本当に上手くやってけるのかと、また悩む事になった。


 でも、その夜、彼は単なる興味から、分解するといったのではないと分った。

 夜中に、何度も煙草に行くので、その度に目を覚まし、確信した。明日のクリスマスイブの夜までに、ちゃんと動く様に、修理しようとしているのだと。

 昼の外出も、修理に必要な部品を探しに出かけたに違いない。

 私の心の扉が少しだけ開いた気がした。

 でも、徹夜までして無理しないで欲しい。彼の身体が心配になった。

 実は、壊れて直ぐ、私も修理できるところを探し回った。でも、専門家ですら、修理は無理と匙を投げた品物。流石に、ロボット工学の世界的権威でも、無理だろうと言う気がする。

 それでも、彼が頑張ってくれていのが嬉しくて、少しだけ期待してしまう。

 そして、朝食の時、昴に訊いてみた。

「徹夜で、あのオルゴールを直していたみたいだけれど、直りそうなの?」

「起こしちゃった? 御免。直るかどうかは正直わからない。あれは機構学の結晶で芸術品なんだ。発条動力を歯車で分散させ、カムシャフトでシリンダを独立に動かし、ふいごの流れを制御して笛をならす仕組み。組み方を間違えると、きちんと囀らないし、鳥は全く動かない。オルゴールと言うよりも、カラクリ時計に近い複雑な機械なんだ」

「知ってる。以前、専門家の人にも見て貰ったけど、複雑過ぎて、直せないっていわれたから。直らないと諦めていたものだから、無理はしないてね」

「そうか。じゃあ、自分には無理なのかもしれないな。でも、このシンギングバードボックスが、どんな動きをするのか、見て見たいんだ。昨日、ユーチューブで、カールグリスバーム社製の類似品を見たけど、感動的だった。だから、どうしても、直したいんだ」

 彼の真剣な眼差しに何も言えなくなった。けど、また心の扉が閉じたのか、私は悲しくなっていった。

 私の為に、徹夜までして、修理しようとしてくれたと誤解していたけど、そうでは無かった。修理しようとしてたのは、確かだけど、それは単に自分の興味から、直したいと思っただけ。

 彼の身体を心配していた自分が、情けなくなる。

 食後、一緒に片付けはしてくれたけど、朝のハグをすると、彼は、また部屋に戻って行ってしまった。


 この日は、月曜日だったので、私は、いつも通りに仕事に行った。夢中で仕事をしている時は、昴の事も忘れて居られて、皆に頼りにされて、幸せな気分になれる。

 なのに、帰宅途中で、どんどん、気分が落ち込んでいく。今日はクリスマスイブで、町はクリスマス一色だというのに、私の心は、孤独に包まれていく。

 そして、会社から戻ると、昴はまだ部屋に篭って、作業していた。

 いい加減に、直らないと諦めればいいのに、意地になっているらしい。

 仕方なく、仕事をしてきた私が夕食を作り、夕食の準備ができたと、彼を呼びに行った。

 そして、部屋に近づくと、彼の部屋から、懐かしい鳥の囀りが聞えていた。

「直ったの」 私はドアのノックもしないで、部屋に飛び込んでいた。

「うん。何とか間に合った。旦那さんからの大切な想い出の品でしょう。はい、私からのクリスマスプレゼント」

 彼は、発条を巻きながら、そう言って、私にそれを渡してくれた。

 何も言ってないのに、昴は、これが、私の大切な想い出の品だと知っていた。それだけでも、嬉しかったのに、蓋を開けると、あの時と全く同じ動作と、同じ歌声で囀り始めた。

 もう二度と聴けないと思っていたのに、その鳥の歌声が、私に、徹真がプロポーズしてくれた瞬間を鮮明に蘇っえらせる。

 やはり、この想い出は忘れられない。忘れるなんて絶対にできない。

 そう思った瞬間、堰を切ったように、涙をぽろぽろと零れ、止まらなくなり、何も言えなくなった。

 昴は、これが、主人との想い出の品と知りながら、徹夜までして修理してくれた。

 今でも、徹真を忘れられずにいると知りながら、そんな私を愛してくれている。

 昴はやっぱり包容力のある人。専門家でも直せないと言ったものを直してしまう凄い人。

 常識知らずで、バカがなんだ。この人は、普通の人では絶対にできない無理な事を、成し遂げてしまえる人。必死になって全力で立ち向かい、必ず乗越えていく人。

 私の心の扉が、その時大きく開いたのを感じた。幸せが一杯押し寄せてきた。

 そして、このカラクリオルゴールは、徹真と昴の両方の想い出がつまった宝物になった。


 その日の夜、私からのクリスマスプレゼントのつもりで、昴の部屋に行くと、既にイビキを掻いて、熟睡していた。徹夜なんてするから、こんなことになる。

 そう思ったけど、私は寝ている彼のベッドに潜り込み、彼に寄り添い添い寝していた。

                                    (了)


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