勇者の幼馴染
どこにでもあるような田舎の農村。そんな長閑な村に響き渡るのは男の悲鳴であった。
「ぎゃあああああっ!! 痛いって、痛い! ディアナちゃんっ!? 許してくれってぇぇぇっ!」
「うるさいですよ、ド助平野郎。なーにニヤニヤ風呂覗いてるんですか糞が」
逆エビ固めを食らっている男と、男の上で淡々と非難を浴びせる少女。
毎回毎回覗きをしては幼馴染に痛い目を見せられているのに、相変わらず懲りてない若い男を見て村人たちが苦笑いして去っていく。関わろうとしないのは冷たいのではなく、慣れ切ってしまったからだった。
今回はどうやら、村にある宿が管理する公共浴場の女湯を覗こうとしたらしい。
「そんなに裸が見たいなら金貯めて風俗行ってこい」
「そういう問題じゃないんだよ! まったく無防備になっている女性の、湯に浸かって肌がほんのり赤くなっている情景に心惹かれるのであって! 玄人のお姉さんに遊んでもらうのとは趣が違うんだ!」
それもそれで良いけど! と懲りてないことを宣う男に少女は呆れていた。
少女は村人には珍しいタイプの完全な美少女だった。洗練された美しさというのだろうか、漆黒の髪はいつだって艶めいていたし、同じ色の切れ長目と王宮に置かれる彫刻の女神のように整った顔立ちは村の人間たちを魅了していた。そんな彼女が溜息を吐くと、その息さえも甘いのかと錯覚しそうなほど美しい。
「まったく、もう二度としちゃダメですよ」
しばらく痛めつけてから、するりと男を離した。幼馴染特典というべきなのか、少しこの男には甘くなってしまうなと少女は反省した。
男、レックスは痛めつけられた腰をさすりながら立ち上がる。そこそこ悪くない顔立ちだが、幼馴染の少女と横に並ぶと劣って見える。並よりは上かな? くらいの顔だ。
農夫の息子と木こりの娘だった彼らはこう見えて仲が良かった。そのため、いつか二人は結婚するのだろうと考えていた。
しかし、状況が変わったのはこれから数か月後のことだった。
「お迎えに上がりました、勇者様……!?」
相も変わらず変態活動に勤しんでいたレックスを見つけ、ディアナがヘッドロックで締め上げている時だった。
「勇者様になってことを!!」
ギブギブと言いたげに腕をパチパチ叩いてくるレックスを無視して、非難の声を上げた女性の方を向いた。
三人の美少女。彼女たちは運命の巫女と名乗り、王都から来たのだと告げた。
もちろんその間にレックスは拘束を解いてある。見られてしまったとはいえ、村の者以外には刺激が強いと判断したためであった。
「レックス様は勇者に選ばれました。どうか世界に平穏をもたらすべく魔王討伐の力になってください」
「そんなこと言われても」
美少女三人に囲まれ満更でもなさそうなレックスをジト目で見る。王都から来たという三人は確かに美少女であったが、ディアナには敵わない。美少女三人もディアナを見た瞬間は惚け、続いて締め上げられているレックスに目をやったぐらいだ。
そんな美少女幼馴染がいるというのに、女にデレデレのレックスはあれよあれよという間に王都に連れていかれてしまった。
***
「はぁ……」
「陛下。お疲れですか?」
こじんまりとした貧乏な木こりの小屋の外見とは打って変わって、内装の部屋は広大な城のように広々としていた。空間接続魔法でつながれた小屋のドアは大広間と直結させている。冷たい石造りの壁に囲まれた壇上には彼女に似合う鮮やかな赤と金で彩られた玉座が設置されている。
玉座の上にちょこんと座るのは、黒髪黒目の美少女ディアナである。物憂げに溜息を吐き、ひじ掛けに乗せた腕で頬杖を突いたままぼんやりと側近の方を見た。
「疲れてませんよ、ただ……玩具を取られてしまったのが痛かったですね。退屈すぎて待ちくたびれました」
彼女の本当の名はディアヴォルナリーテ。正真正銘の魔王である。
とはいえ、別に悪いことはしていないし、どちらかというと魔族やら魔物やらを統括して管理する立場なのだから、人間にとっては被害を最小限にしてくれる友として扱ってほしい。滅ぼされるとか、マジでごめんだ。
彼女は先代の魔王から立場を継承して当代の魔王となった。しかし数百年も魔王でいると変わらない日常に退屈してしまうというもの。だから姿を変えて、側近たちを巻き込んで普通の村人として暮らしていたのだが、出会ったレックスという男はなかなかに面白い男だった。
(頑丈だったし……問題は起こすけど、良いサンドバックだったな……)
魔王であるからして、その力は一般人のそれとは比べ物にならない彼女の攻撃を「痛い」と言うだけで済ませる頑丈な肉体。時たまイケメンと呼ばれてもいいだろう行動を起こすのも、女性目線でいうとポイントが高い。変態なのも大いに結構。でも、できれば自分だけにしておいてほしかった。
言えば胸くらい触らせてやっても良かったのに。
「それで、勇者たちはいつ来るのでしょうか?」
「それが……実に申し上げにくいのですが……」
もうすでに勇者の到着を待って5年も経っている。あれの年齢は別れた時は15の時だったから、今は20歳か。十分に結婚できる歳ではないか。のこのこ倒しに来たら、今度こそ逃がさないように婿にしてしまおう。あの玩具を手放すのがこんなにつらいとは思わなかった。
「既に、王国では魔王は倒されたとの報告が」
「ん? どういうこと?」
魔王が、倒された? 私、ぴんぴんしてますけど。
完全に虚を突かれたディアナは側近に問いかける。膨れ上がる威圧感に側近は足を震えさせるが、どうにか言葉を紡いだ。
「どうやら、好き勝手していた野良魔族を魔王扱いしていたようで。本物の魔王は人間に敵対行動してませんから、間違えられたらしく」
言葉を聞き終えて、彼女はふっと嗤った。
「つまり、レックスはここには来ないと?」
あ、アカン……ぶち切れてらっしゃる……!!
思わず故郷の方言を使ってしまうほどの恐ろしさだった。ディアナの周りの空気が凍り付き、大広間に掲げられた旗もぐらぐら揺れ、照明が重さに耐えきれず落ちてきては割れていく。漆黒の髪が逆立ち、闇の色をしている目にハイライトなどない。かっ開かれた目はそれこそ澱んだ沼のようにどろりとしていた。
「ねぇ、私の可愛い僕、魔王はこの世に二人も要らない、そう思いませんか?」
にっこりと笑ったまま続ける。美少女だからこそ狂った笑顔はシャレにならないレベルで怖い。
「あと、そうですねぇ。本物と偽物を取り違えるような愚王も要らないんじゃないでしょうか」
いや、王様は報告受けただけで間違ったのはアンタのお気に入りの勇者でしょうよ。
そんな正論を言える者は、側近たちの中にはいなかった。
「行きますよ、皆さん。お仕置きの時間です」
「「「はっ!!」」」
***
「おかえりなさい、レックス」
「えっ、なんでここに来てるんだ? ディアナ」
王城の大広間。凱旋した勇者を出迎えたのは、彼の幼馴染であるディアナだった。彼女は真っ赤な玉座に腰かけ、その足台になっているのはどこかで見たことのある小太りなおっさんだった。
いや、あれ、国王じゃね?
魔王を倒した報告をしに王城に来たら、村人の幼馴染が王様を足置きにしてた。これ、どういうことなの?
混乱する勇者。その周りの美女に育った三人の娘も目を白黒させている。
それもそのはず、大広間に出ていた貴族はすべて王様の扱いに何も言わず、ただ首を垂れているのだから。
「魔王退治でしたね、お疲れ様です。ご褒美は何がいいですか?」
にっこりと笑って、玉座から降りる。着ているのは、あの頃のような粗末なベージュのワンピースではなく、赤い赤い血の色のドレス。見ているの者の心を捉えて離さないような、底知れない魅力があった。
そんな彼女の姿を見ていると、なぜかこの光景に違和感を覚えなくなってきたレックスは彼女から投げかけられた問いに頭を悩ませる。
「えっと……その……」
旅で仲良くなった美女三人を嫁にしてウハウハ、などという望みを抱いていたレックスは彼女の姿に見惚れた。それと同時に彼女を嫁にしようと考えていた幼少期の記憶が戻ってくる。
「な、何でもいいのか?」
「ええ、どうぞ」
「け、結婚してくれ! やっぱり俺はお前が好きだ!」
重婚の約束をしていたにも関わらず、考えを変えたレックスに三人は非難の声を上げようとした。だが、いくら息を吐いても、喉を手で押さえても声が出なくなってしまう。
ディアナの視線が、彼女たちを貫いたと同時に。
「……良かったですねぇ、国王陛下。レックスさんがお利口さんで」
そっと離れたレックスには聞こえない音量で彼女は言った。
にっこりと嗤う魔王。その笑顔に心臓ごと掴まれたようだった。真っ青な顔をして、王様が何度も頷く。
彼女はレックスに静かに向かっていく。そして、たどり着いた後はその白魚のような細い腕を彼の逞しくなった腕に絡めた。
「結婚するからには、私一筋にしてくださいよ?」
「ああ! 安心しろ、浮気はしないさ!」
まったく信用できない言葉ににっこり笑って、彼女は唇を彼のそれに押し当てた。
「愛してますよ、旦那様」
国を滅ぼしてしまおうかと思うほどに。
飲み込んだ言葉も溶け合うくらいのキスを交わして、幼馴染は結ばれたのである。
その後、二人は男の方が死ぬまで別れることはなかった。案の定浮気もあったが、地図から一つの島国が消えた程度で済んだ。
王国は消されなかった。納得のいっていなかった三人の娘に無理やり婿を取らせ、農村に引っ越した勇者夫婦については不干渉の不文律としたのが功を奏したのだ。
魔王は終ぞ夫に正体を名乗らなかった。ただ愛を一途に注ぎ、魔力のすべてを駆使して人間の夫との間に子供を作った姿は非常に献身的な妻の姿だっただろう。よその女に鼻の下を伸ばした途端、夫にバックブリーカーを仕掛ける姿を除けば。
二人の愛は王国を巻き込んで、そして最後は誰の干渉も受けず永遠のそれと刻まれたのだった。