第4話 神経回路の癌
この文章には科学的根拠は全くないのでご注意ください。
第4話 神経回路の癌
鎮はアルコールの代謝の機序を知りたいと思った。しかしこの代謝の機序を化学式で示されても鎮には理解ができないため、化学式は使わないことと思念波で命令を送っていた。
アルコールはエタノール(エチルアルコール)とメタノール(メチルアルコール)に分類される。エタノールは直接的な毒性を持たず、メタノールは直接的な猛毒となる。通常、人はメタノールを口にしないと思われがちだが、実はアルコール飲料を摂取するとき微量ながら日常的に口にしている。その理由はアルコールの醸造であれ蒸留であれアルコール飲料、つまりお酒の製造過程でメタノールも生成してしまうためである。
さて人体がエタノールであれメタノールであれアルコールを摂取したとき、肝臓でその代謝が行われる。エタノールは最終的に酢酸(つまり酢)と水に分解され無害化されるが、メタノールはギ酸と二酸化炭素に分解されギ酸という有害物質が残ってしまう。このギ酸の量が多ければ肉体に最悪致命的な障害を与え、量が少なくともニューロンに悪影響を与える。
これがアルコール依存症の発症原因ではないかと考え、次のような仮説を立ててみた。
1.ギ酸が正規の神経系統を破壊し、新たな有害神経回路を構築する。
2.新たな有害神経回路がギ酸を要求する。
つまりは新たな神経回路は神経系統の癌のようなものであり、この癌は免疫システムから逃れるため駆除されることなく神経系統や脳にはびこることになる。これがアルコール依存症の発症原因であると鎮は考えた。通常の癌は細胞の異常化によるが、この癌は回路の異常のため現代の医学では発見することは難しい。
通常この有害神経回路は摂取したメタノールの量が少なければ正常な代謝により消滅するが、代謝が間に合わなくなれば恒常的なものとなるとも考えた。
アルコール依存症は精神の病とされているが、その特徴は一般的に摂取する酒量が日常的に多く、アルコールの摂取欲求が、身体の異常と関わりなく非常に強いことである。かつては、この摂取欲求が強く日常的な摂取を止められないのは意思の弱さであるとされた時期もあったが、昨今では意思の強弱に関わりなく何らかの脳内機序のせいであると見なされている。この摂取欲求が癌化した有害神経回路のシステマティックだとすれば辻褄は合う。
また、アルコール依存症患者にとって糖尿病が贅沢病と呼ばれる以上に世間の風当たりは強い。酒を飲んでは世間に迷惑をかけるアルコール依存症患者は、一種の世間の鼻つまみ者である。医者でさえ治療を半ば放棄し患者の種々の症状の訴えにも耳を貸さない。あたかも患者を社会から隔離し社会に迷惑をかけない患者に仕立て上げることこそのみが医者の役割と思っているかの如くである。
この癌化した有害神経回路と治療の過程における精神的圧迫がアルコール依存症患者の症状をより強く悪化させているのではないかと鎮は考えるようになっていく。
初期の有害神経回路は単純な機構で、ただギ酸の排出機構と繋がるだけである。その単純な機構がアルコールの摂取欲求となり身体を徐々に蝕んでいく。
結論としての仮説はギ酸による有害神経回路の構築とその回路のアルコール摂取要求がアルコール依存症の初期の状態と考えられる。
このことを確かめるため鎮は己の身体を実験に用いることを決めた。その方法は摂取するメタノールにマーカーをつけ、その行方を追跡することとした。
幸いにも延命の約束を呑龍から得ているため己の身体を実験台に使うことに恐怖はない。もしかしたら呑龍に誑かされているのかもしれないが、一度は諦めた己の命であるから僅かでも光明が差すならばこの実験も悪くはないなと思う鎮であった。