PHASE.3 殺し屋の挽歌
「ああ、スクワーロウ、そいつは殺し屋だな」
調べをつけてくれたダド・フレンジーは、いきなり身も蓋もない答えだ。
「デイヴィット・スカーロ、東海岸いちの腕利きの殺し屋だ。元・特殊部隊って噂もある。主にマフィアがらみだが、こいつに狙われたと思われる殺しがこの三年で四十件近く。まったくスクワーロウ、えらいやつに目をつけられたもんだ」
「まだ、狙われてるって決まったわけじゃないだろう」
私は、少しむきになって言った。理由もよく判らずに殺されてたまるもんか。冗談じゃない。
だがやはり、私の勘は正しかった。だがクレアに、本当のことはこれで話せなくなった。殺し屋かあ。私が殺されたら彼女、果たして次の就職先を見つけられるだろうか。
「安心しな、スクワーロウ。お前さんはけちな探偵業、なんだろう。こいつの報酬は一件十万ドルクラスだ。そんな大金かけて、お前さんを殺すような豪勢なやつと、まさか知り合いじゃあるまい?」
「その通りだ。まったく、涙が出るほどありがたいね」
やけ気味に言うと私は、冷めかけたダイナーのコーヒーを口に含んだ。ダドの言う通りだ。さすがの私もそこまで恨まれた記憶など、あるはずがない。
「そうだろう。スクワーロウ、お前さんは誰か他人の心配をしてる方が、さまになってるよ」
狸に警告して来い、と、ダドはたるんだあごを翻した。
「あんたのところに殺し屋が現われたとなれば、本当の目的は奴だろう」
「馬鹿言え。ヴェルデのやつはもう、ほとんど堅気だぞ」
「そいつを知ってるのは、よっぽど内情を知ってるお前さんだけだ。世間はそう思っちゃいない。タッソ家はいぜん、この街で一番古いギャングの老舗だ」
確かに、言われてみれば、ヴェルデの方がどう考えても狙われる理由はある。
「例のジャッジスの件もある。あの男だってお前たちを殺すくらいの金を隠し持っていたって、不思議じゃないだろ?」
私は頷いた。ヴェルデを利用して不正に稼いだ金融資金をマネーロンダリングしようとしたマイケル・ジャッジスを、私は昨年の秋、捕まえたばかりだ。あの男はニャーヨークに送還されたが、もちろん赤い狐と連絡を取っているに違いない。
に、してもデイヴィット・スカーロ。なんか調子狂う奴だった。物腰からして確実にプロの殺し屋には違いないのだが、どこかずれていると言うか、私との見解に致命的な食い違いがあるような気がするのだ。
(名前を変えるか、この街を出て行けと言われたな)
「あんたがいると、うかつに仕事も出来やしないんだ!」
脅し文句にしては、あの男、随分必死だった。
私がヴェルデに接触したら、再びあの男は姿を現すだろうか。
ふふふ、それにしても私もハードボイルドな男だ。普通の探偵稼業なら、尻尾を丸めて逃げてしまうところを、こうやって危険を弄んでいるのだから。
(こんなにタフな展開も、久しぶりだな)
私は葉巻を吸おうと思ったが、シガレットケースなど持っていなかった。そうだ、五年ほど前、禁煙したんだった。
「わしが狙われるやと!冗談もええ加減にせえ」
狸は、天ぷら屋にいた。白木のカウンターに、店主が差し向かいで揚げてくれる高級店だ。リス・ベガスでも天ぷら程度なら珍しくもないが、ここまで本格的なものとなると、庶民には手が出ない。私も一度、食べてみたいものだ。
「お前、この前の事件、わしは被害者やで!金も騙し取られて、女にもフラれたんや!もうほっといてくれ」
と、ヴェルデは揚げたての黄金色の衣に包まれた鱚をさっくり、食べた。ここでは天かすすらが高級品だ。少しでいいからご相伴に預かりたいものだ。
「やくざだろ、あんた。狙われるのはデフォルトじゃないか。それにしても今日は、やけに贅沢してるな」
私がカウンター席に勝手に座ろうとすると、ヴェルデはうるさそうに丸々した手を払った。その隣に、スーツ姿の老紳士が、礼儀正しく座っていた。綺麗にたてがみを揃えた、紳士は馬だ。
「退職祝いや。こいつはウェイン・スプリンター。名前くらい聞いたことあるやろ。親父のいちの腕っこきや」
「ええっ、あんたがあの殺し屋『ダークホース』ウェイン?狸じゃなかったのか」
不謹慎をおして、私は思わず声を上げてしまった。なんと、タッソ家きっての伝説の人物だ。
「ああ、狸の組織に馬がいたら変やろう。せやから親父は、このウェインに裏方仕事に徹しさせたのや」
「ええ、本当にその通りでございますよ」
長い首を何度も折り曲げて、馬は頷いた。
「私は幸せでした。先代の親分も今の御坊ちゃまも理解のあるお方で。こうして蓄えをもってこの街を去ることが出来ます。あっ、親方、人参をもう一本」
「へえっ」
ウェインは顔を綻ばせて天ぷらまで注文した。いや、信じられない。タッソ家が誇るプロの中のプロ、半世紀近く誰の目にも触れなかったと言う殺し屋の正体が、こんな穏やかなおじいちゃんとは。
「阿呆かい、せやから誰も疑わへんのやないかい。ウェインは親父のほんまの秘蔵っ子でなあ、親父が言うには『奴がしてのけたのはただの仕事に過ぎん。だが、最後まで問題起こさんと、任せられるのはウェインだけや』となあ」
「私も、ようやくお払い箱です。ビアンカのおかみさんも亡くなり、この街を愛した私の妻も亡くなりました。後は悠々自適、息子が開いた農場で、静かに一生を終えたいと思います」
ウェインはそこで趣味の写経をして暮らすらしい。馬の耳に念仏って嘘だったのか。
「へい人参」
カウンターから親方が、人参一本丸ごと天ぷらにしたやつを寄越す。ウェインの特別注文なのだそうだ。三十年来の客なのだと言う。
「この天ぷらのように今でも、この街で忘れがたいものが沢山あります。いや、手がけた話は何ひとつ忘れておりません。ノワール親分に最初に頼まれたこと、最後に頼まれたこと、すべてはこの頭の中です。…頭の中に仕舞ったまま、あの世に行きたいと思います」
「ウェインはな、もうこの街にいるのに飽いたのや」
「まさに何を見ても、何か思い出しますので」
ウェインは言うと、さっくり天ぷらをかじった。まさに恬淡、と言う境地はこれか、ハードボイルドの向こう側がそこにあった。
しかし、えらいのはヴェルデだ。組織の殺し屋さんなんて、使い捨てが普通なのに、きちんと務めさせて退職のお祝いまでしてくれるとは。
「あんた、いいとこあるな」
「誉められる筋合いあらへんで。わしの一家のことや」
狸は照れ臭そうに笑うと、箸の先を振った。確かに、いくらハードボイルドでもこれ以上邪魔するのは、無粋と言うものである。