PHASE.2 二人目のスクワーロウ
「スクワーロウって男はいるかい」
その男が現われたのは、リス・ベガスの街を春一番の砂嵐が吹き荒れた、正午前のことだ。私とクレアは二人がかりの仕事を徹夜で終え、朝食兼昼食になってしまった食事を、ようやく摂ろうと言うところだった。
「すみません、ご相談ですか?」
クレアがあわてて毛並みを直して対応に出たが、その男はじろりと彼女の顔を見返したまま、しばらく何も言わなかった。
「あの…何かご用件でしょうか」
「ああご用件だよ、お嬢さん」
男は少しめくれあがった鼻の穴を歪め、小さい牙を見せてにたりと笑った。
「だがあんたは、スクワーロウじゃあないだろう?」
キッチンでコーヒーを淹れていた私が思わず様子をうかがうほど、太くて底響きする、どすの利いた声だった。
四十前後の男は、それほど大きくない体格だが無駄のない肉付きをした、オオコウモリだった。暗闇の中だったら何も見えなくなりそうなサングラスをかけて、その漆黒の羽根をそのまま畳みこんだみたいな、丈の長いコートを羽織っていた。コートは貝殻のボタンを几帳面に留め、首元までぴっちりと閉めている。物腰からして、只者ではないのは判った。
私は知る限りこの街の裏社会の人間の顔と名前を思い浮かべたが、コウモリはまだ、そのリストにはない。だが確実にそっち側の人間だと思った。
「スクワーロウさんに、何の用事なんですか?」
クレアもそれを感じたらしく、やや声が強張った。するとコウモリは、芝居がかって片眉を吊り上げた。
「スクワーロウと話す。大事な話だ。同じ個人事業者としての、実に切実な問題の、な」
まさかこいつ殺し屋か。
とっさに危機感が走ったが、今別に、私は命を狙われるような案件に関わっていない。しかしこのまま、クレアに話をさせるのも危険だと、私は思った。
「私がスクワーロウだ。職員で不満なら、私が話をうかがいますよ」
急いで私は出た。沸騰したケトルを持ったままである。
「おお、あんたがスクワーロウか!」
すると何を勘違いしたか、歓声を上げた男は言った。
「歓迎してくれるのはありがたいが、コーヒーは不要だ。さっき最高のキリマンジャロを飲んできたからな。そしておれは、あんたに歓迎される筋合いのない人間だ」
「だったら出て行ってくれ。…と、言いたいところだが、あんたから用事があって来たんだろ。まず用件をうかがう前に、名前くらいは、うかがいたいものだがね」
私は不気味なその男を睨み返すと、それと判らないようにクレアに目配せをした。引出しに拳銃がある。やっと訪れたランチタイムに銃撃戦なんてごめんだが、自分で歓迎されない相手だと言ってる人間をもてなすのに、さすがに素手では心もとない。
「おれの名前か。それはあんたが、よーく知ってるはずだよ」
人を脅かすのが趣味なのかコウモリはまた、得体の知れないことを言った。
「あんたのことなんか知らないな。私はこの街に、三十年近くはいるがね」
「おれは『スクワーロウ』だ。ちょうどあんたと、同じ名前のな」
私は内心どきっとした。さすがに、この答えは予想してなかった。
「そのスクワーロウが何の要件だ」
私が動揺を隠して言うと、『スクワーロウ』はこれみよがしに鼻を鳴らして肩をすくめた。
「苦情だよ。…実はな、あんたとおれが同じ名前だってことで、こっちは迷惑してるんだよ」
「そんなの私の知ったこっちゃない」
私は思わず声を荒げた。まったくなんと言う言いがかりだ。
「知ってもらいたいね。いざ開業したら、あんたばかりご指名の客でうんざりだ。おれの商売を邪魔しないでもらいたいね」
それこそ知ったことか。ふざけたことを言うコウモリだ。私はこの街では警官だったときから換算したら、もう三十年近く、この名前でやってきたのだ。どうもおかしいと思ったら、生意気なライバル業者か。新参者め、こっちこそ営業妨害も甚だしい。
「この街で探偵をやるなら、まず名前を変えたらどうなんだ。依頼人との信頼はね、この街でずっとやってきた私と同じ名前にしたらとか、そんな安易なことでは築かれるものじゃないんだ。私の看板を負うのは、君には無理だと思うがね」
こくこくと、クレアが頷いていた。そうなのだ。信頼と実績の地元企業として、これまで私は、お客様に誠心誠意やってきたのだ、若造め。
「あんたの看板なんか負う気はないね。それに、おれは探偵じゃないんだ。駆け落ちした猫とか、浮気した猿とか、失踪した馬なんかを捜してる暇なんかない」
「探偵じゃないって?だったらあんた何者だ」
もう一人のスクワーロウはぴくりと頬を震わせると、強張った声で言い返してきた。
「清掃業者さ。この街の新しい、な」
「掃除屋なら掃除屋らしく、私のものっぽい依頼は断ればいいじゃないか」
私が正論を言うと、男は途端に顔色を変えた。
「うるさいなっ、そう言うわけにもいかないんだよ。だって…(小声)困ってるのにかわいそう、じゃないか」
「えっ、何だって!?」
物騒な男かと思ったら、また変な雲行きになってきた。
「と、とにかくだ!あんたこそ、まかり間違っておれの仕事に首突っ込んじまったら、必ず後悔する。取り返しのつかないことになるんだからな!だから親切で忠告にきてやったんだ。いいか!あんた、命が惜しければ、とんでもないことになるその前に名前を変えるか、この街を去れ!あんたがいると、うかつに仕事も出来やしないんだ!」
「掃除屋なんだろ?どういうことだ?」
「探偵屋なら、自分で考えろ」
男は名刺を置くと、一人でぷりぷり怒りながら出て行った。
「何だったんでしょう、あの人…?」
拳銃まで取り出しそうになっていたクレアは、ぽかんとしている。私も何だかなあ、である。物腰からして裏社会から私を懲らしめに来たのかと思ったが、掃除屋だと言うし、どうにもちぐはぐだった。
「同じ名前だって言ってましたね」
「どうだかね」
私は名刺を見て苦笑した。黒地に赤い羽根を広げたコウモリのイラストが飛び回っているド派手な名刺だったが、ひときわ目についたのはそこに印字されているあの男の名前だ。スクワーロウは『Squirrow』だが、これは『Scarrow』である。
「あの男、スカーロだね」
今回の事件はその、奇妙な訪問者の登場から始まったのだった。