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Side くっころ08

「……っくっころさんっ!?」


 なぜか霞がかった靄の向こうから、タロさんの私を呼ぶ声が聞こえる気がする。


「ちょっ、くっころさんっ!? おいっ!! こらっ!!」


 体が勝手に前後に動き、首ががっくんがっくんとなりながらタロさんのちょっと焦ったような声が続く。


「こらっ!! てめっ、いい加減正気に戻れっ!!」


 続いて頬に弾けるような熱い何かが、二度、三度と続けて衝撃を与える。


「いい加減にしやがれっ!! この駄犬がっ!!」

 バチぃンッ!!


 そしてひときわ大きな破裂音が耳に届くと、まるで首から上が弾け飛ぶような鋭い衝撃が身体を襲い、身体の奥底より甘美なうずきが湧き上がって思わず吐息が漏れ出してしまう。


「あふぅん……」


 そのうずきに身を任せれば、新しい何かが自分の中に芽生えるような、そうでないような気がして、体を両手で抱きしめながらもその快感に身を任せてしまう。……だが足りない。もっと……、もっと弾けるようなナニかを……


「も……、もっとぉ……」

「ぅひっ!?」


 っといかん。私は何処へ進みかけていたっ!?

 引き返すことのできないナニかに足を踏み入れていたことに気づき、慌てて我を取り戻すと、首を振って両手で頬を叩く。


 ……どうやらいつの間にか、呆けてしまっていたようだった。

 目の前にはやや青ざめた顔をしたタロさんと、その後ろで距離を取る白銀の巨狼が一匹いた。


「あっ、……っと。すまない。私とした事がみっともない所を……」

「いや、それはいいから口元のよだれを拭いてくれ」


 言い訳を手のひらで制され、逆の手で差し出されるハンカチ。


 よだれ? 何のことか分からないが、ありがたく受け取るとそっと口元を拭い、……そして硬直した。


 何故? どうして? ホワイ? あんだすたん?


 どうして口元を拭っただけのハンカチが、一瞬でベトベトになったのだ?

 受け取った時は洗濯されたばかりの綺麗なハンカチだったはずだが……。それが口元をひとぬぐいしただけでこれ程までに汚れてしまうとは、一体何があったのだっ!?


「一体……、何がっ!?」

「や、くっころさんが私達を視界に収めた途端、いきなり固まったまま動かなくなったから、往復ビンタかましてみた」

「タロさんっ!! 何やってるのっ!?」

「そしたらよだれ、ダラダラと垂れ流すから何事かと思ったよ」

「私っ!! 何やってるのっ!?」

「しかも終いには、……いや、この話は辞めておこう」

「私っ!! 何やらかしたのっ!?」

「で、話は変わるんだが、どうしていきなり固まったんだ?」

「放置っ!? 放置なのっ!?」

「いや、体調でも悪いんなら別の手を考えようかと思ったんだが?」    

「うっ……」


 私に何があったのかは気になるが、タロさんの純粋に心配してるだろうその言葉におもわず言葉が詰まってしまった。


 ……言えない。流石にタロさんでもこれだけは言う訳に行かない……。

 

 いかにも狩人といった風体の、革の胸当てに小型の弓矢を装備したかっこいいタロさんとその横にたたずんだ、白銀に輝く美しい毛並みを持った体長2mを超えるであろうフェンリルに心奪われ、妄想の中で行く所まで行ってしまったなど口が裂けても言う訳には行かないだろう。

 あ……、思い出すとあの光景が……。


「ちょっ!? くっころさん、よだれよだれっ!!」

「ふおぁっ!?」


 タロさんの言葉を受け大慌てでハンカチで拭う。ハンカチには更に大量のよだれがついてべっとべとになってしまった。

 なるほど、あの大量のよだれはこれが原因だったのだな。と、冷静に分析するが、淑女としたことがはしたない。と自分で自分を戒める。


 気分を切り替え、改めてタロさんとその後ろに佇むフェンリルへ目を向ける。と、ちょっとした違和感を感じた。


 タロさんのフェンリル、以前より少し体格が小さくなって丸みを帯びていないか?

 とも思ったが、一度しか見ていないのだから私の気のせいだろう。


 しかし本当にまぁ、タロさんはいつ見てもかっこ良いなぁ。初めて見る狩人姿のなんとまぁ様になっていることか。これでご飯は六杯行けるだろう。

 更にその後ろに佇むフェンリルの存在感もありいつもの二割増し……、いや、五割増しぐらい、いや、十割増しでかっこいいのだから見惚れても仕方ないと思うっ!!


「くっころさん、よだれ」

「はうっ!?」


 いかんいかん。真正面から見ると少しぼぅっとなってしまう。

 だがこれ以上、タロさんに恥ずかしいところを見せて幻滅されても困る。

 取り繕うためにも背筋を伸ばし、毅然とした態度で答える。


「すまない。

 少しその美しさに見惚れてしまっただけで私はなんともない」

「そうか?」

「そうだ」


 懐疑的な目で見られたので、胸を張って答える。 


「だってよ、良かったな」

「ヴォフ」


 タロさんは嬉しそうな表情になるとフェンリルに目を向け、フェンリルは心なしか誇らしげに一声鳴いた。

 いや、タロさんのことを言ったのだが……。ううん、タロさんも満足気なようだし敢えて訂正はすまい。

 そしてタロさんの視線は私の胸当ての方へと向かい、


「ところでくっころさん、その胸当てなんだが……」


 と、事も無げに切り出してきた。


 ……くっ、やはり聞かれてしまったか。

 だが大丈夫、こんな時の答えはすでに何十通りも用意してある。


「隙間にこのクッションでも詰めといたほうが痛くないぞ?」

「これは中を空洞にすることにより、通気性を高め、接触面を減らすことで万が一鎧を貫かれても無事なように……ふぉわっ!?」


 被った!? しかもタロさんてば、私に合わせてお手製クッションを作ってくれていたようだった!? 欲しいっ!! それすっごい欲しいっ!!


「あぁ、通気性か。ならこれはいらないな。すまん」


 だがタロさんは私の言い分に納得したのか、軽く謝るとクッションを持って家に向かおうとした。

 もしかしてしまってくるのかっ!?


「あ、ちょっ!? 下さいっ!! 実はこすれて痛いので凄くありがたいですっ」


 なので慌ててそう伝えると、タロさんはニッコリと笑って振り向き、「じゃ、どうぞ」と言って私に放り投げてきた。


「ありがとうっ!! 直ぐに着けさせてもらう」


 クッションを受け取ると喜び勇んで胸当てを外す。

 そして胸当ての内側にクッションを仕込み、もう一度胸当てを装着し直す。


 妹からプレゼントされたこの胸当て、私の宝物の一つであるのだがいかんせん、少しだけサイズが大きいのだ。……その、胸のあたりが。

 母も妹もかなり大きな胸のためか、成長を見込んで大きめのカップで作ってくれたらしいのだが……、私の胸は成長のきざしを見せないので実はブカブカのままなのだ。

 まぁ、その……、大事ではあるのだが、大きすぎると色々なところに当たって実は痛かったのでこのクッションは本当に嬉しい。

 妹のくれた胸当てにタロさんからもらったクッション。

 私の大好きな二人からのプレゼントに思わず頬が緩んでしまう。

 タロさんも私が嬉しいのを感じてくれたのだろう。暖かな眼差しで私を見てくれている。


「待たせたな。さぁ行こうっ!!」


 なので精一杯の笑顔でそう手を差し出すと、タロさんは一瞬きょとんとした後に、軽く鼻で笑って「あぁ」と私の手を取ってくれた。

 


 ここから王城までの距離は徒歩で約5日、馬で約2日といったところだろう。

 既にお義母様へ出立の挨拶は済ませたし、しばらくの間タロさんとのふたり旅だ。


 宿場ではやはり一部屋でいいだろうか?

 いやいや、それではふしだらな女と思われてしまう。最初は一人一部屋と言っておいて、金銭面から一部屋で行くという流れにしよう。

 今日はタロさんの好きなきわどい下着を選んできたし、場合によってはタロさんと初めての……ぐふふ。



「じゃ、普通に歩くと5日はかかるからな。

 くっころさんはか……、えと、こいつの背に乗ってくれ。二時間で目的地まで駆け抜ける」

「……へ?」

「馬とそれほど変わらないからすぐに慣れるだろう。

 ただ馬の何倍ものスピードが出るから振り落とされないよう、注意してほしい」


 え? あれ? 二時間?

 ちょっと待ってくれ。え? お泊りは? 初めてはタロさんと。って思った私の純情はっ?


「判ったか?」

「う、……あ、はい」


 って、言えるわけないじゃないかーっ!!

 こんな真剣な顔したタロさんに、「お泊りは?」なんて恥知らずなこと言えるわけ無いではないかーっ!!

 馬鹿だっ!! 私は馬鹿だぁっ!!


「よし、じゃ頼む」


 心の中で叫びまくる私をよそに、タロさんがフェンリルに声をかけるとフェンリルは私の目の前まで歩いて来る。そしてまるで乗れとでも言うように伏せの体勢をとった。


 やはりこれは乗れ、という事なのだろうか?

 つまり私が先に乗ってタロさんが私の後ろに。つまり、たくましいタロさんの腕の中に私が包まれて、フェンリルの背中で愛のランデブーが出来るというっ!!

 いやいやいや、私は一体何を考えているのだ。これはれっきとした移動の一環であり、そんなやましい気持ちなど何一つも……、一つも……、少しぐらいなら期待しても……構わない、かな?


「ヴォフ(早く乗んな)」

「ふぉわぁっ!?

 

 びっ、びっ……、びっくりした。大人しいかと思ったらいきなり耳元で吠えるなど……、いや、違うな。

 ……そうだ。私はこのフェンリルにも言わなければならない事があったのだった。


 そう思い直すとフェンリルの背中をひとなでし、気持ちを落ち着ける。


「その……、以前は命を狙って済まなかった。

 それなのに命を助けてもらい返す言葉もない。あなたの主人あるじにもだが、あなたにも礼が言いたかった。本当にありがとう」 


 心をこめてそう言うと、フェンリルはまるで気にするなとでも言うように、私の手に頬を擦り寄せる。


「ありがとう」


 もう一度そう言うがやはり何か違和感のようなものを感じ、思わずタロさんへ向き直ってしまう。


「すまないがタロさん、この子は私が戦ったフェンリル……で良かったのだよな?」


 そう言うとタロさんの動きが一瞬止まる。

 しかし、すぐに何事もなかったかのように動き出すと、何事もなかったかのように笑いながら問いかけてきた。


「なんで?」

「いや、謝ってから気づいたのだが、もし人違いなら私は少し恥ずかしいことをしたのではないかと思ってな」

「大丈夫だ。

 ちゃんとここにくっころさんと戦ったフェンリルが居るから、気にしないできちんと謝って許してもらえた。って思えば良い」

「そうか、変なことを言ってしまったな。

 ではタロさん、行こうか」


 フェンリルの背にまたがり、タロさんに向かって手を差し出す。


「そうだな。それじゃ行こうか。

 くっころさんはしっかり捕まっておけよ」

「へ?」


 あれ? 乗らないの? たくましい胸板は?


 そう思ったのと、タロさんの姿が一瞬にして消え、私の体が思い切り後ろに傾いたのはほとんど同時だったろう。

 体に染み付いた癖で落ちることこそ無かったものの、急スピードで走りだしたフェンリルから落ちないようにしっかりとしがみつく。


 景色が恐ろしいスピードで後ろに流れ、風を切る感覚は馬の何倍も強い。

 とは言え、確かに馬に乗っているのと感覚としては近しい物があり、乗りこなすとまでは言えないものの何とかなれることは出来る。

 やっと少しは慣れた所で隣を見ると……。


「まだ余裕はありそうだな。

 もう少しスピード上げてもいけるか」


 すごく余裕のある表情で、タロさんが並走しながら怖いことを言っていた。


「よし、倍速で行くか」

「ひゃぁあああ~!?」


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