十三 裏切る者
その言葉は、決して龍人たちを驚かすことは無かった。
「ああ、分かった。どこでやる?」
「そうでしたね。私としたことが、舞台が消えているのをすっかり忘れていました。」
デオムは指を鳴らした。今まで巨大な穴が開いていたところが平たんになっていき、白い舞台が現れた。
デオムはその舞台の上に降り立ち、指差した。
「さて、最初に私に殺されるのは誰でしょう?」
言葉ではそうだった、だが、その目は、その指先は明らかに龍人の方を向いていた。龍人は敵の指先の、その一点だけを睨みつけてじりじりと歩み寄っていく。一歩一歩に力を込めて、足から足へ大地を掴むように。彼の体からは善良な心が抜け落ちて、敵への限りない憎悪と執念が溢れだす。抑えきれない感情が彼の頭から零れ落ちていく。それらが地面を焦がし、濡らし、響かせ、轟かす。彼の周囲の空気は、すっかり怯え切ったように、縮まって逃げ出していった。
やがてデオムの前に歩み出て、龍人はその声で言い放った。
「死ぬのはてめぇだ。」
デオムはそれを聞いて笑い付いた。
「本気ですか? 仮にも私は天使なのですよ? もうとっくの昔にこの世界に生まれ落ちた、天使なのですよ。あなたにはその事が……」
龍人の周囲に渦巻く魔法の気配が一層怪訝になり、遂にそれは逆巻く炎になり、デオムの体に触れんばかりに荒れ狂う。デオムはため息をついて、その炎を煙のように手で仰ぐ。
「あなたにはその事がおわかりでないようですね。では教えてあげよう。」
デオムは声が単調に、低調になる。相手の事を敬うことも愛おしむことも無い黒い二つの瞳は、ただの節穴のようにも見える。そこから世界の深淵を覗かそうとしているのが手に取って分かる。デオムの復讐の炎の前に、彼らはあまりにも無力だった。龍人は気にすることなく、重厚に身構えた。
「仲間が世話になった借りがある。ここで返すぜ。」
「あなたには出来ませんよ。」
デオムはにっこり笑った後、あまりにも冷酷な表情をした。その顔に触れるすべてのものを凍てつかせてしまいそうな程におぞましく、雲や木々に目があるのならすぐにでもそれを閉じただろう。だが、あいにく相手は龍人であった。彼は視線を泳がすことも、体がピクリと動くことも無かった。
「恐怖で動けないはずです。」
「なら試せよ。」
龍人が言うと、空間を揺るがすような轟音と共にデオムの姿が消えた。それと同時に龍人の姿も消えてしまった。
逆風を巻き上げ、デオムと龍人が衝突する。瞬きの刹那に、両者は一歩も譲らず攻撃を打ち合う。龍人は水のように柔軟に敵の攻撃を全てかわして、隙をついて反撃する。デオムは反撃をものともせず攻撃を打ち続ける。龍人は一撃をかわし損ね、そこにデオムが追い打ちをかける。龍人は床に叩きつけられた。
「これで終わり。」
デオムが龍人を踏みつけようとした時、龍人は咄嗟にかわし、その拳に炎を宿してデオムを殴りつけた。敵の体が放物線を描いて舞台端に飛んでいく。だが、敵はすぐに立ち上がり、口角の出血を手の甲で拭い、龍人に対して笑みを浮かべた。どうやらデオムにダメージはほとんどないようだ。デオムは再び龍人に襲い掛かる。龍人は雷属性を纏って応戦したが、それでも敵の速度の方が上であった。両者は舞台の上で激しく戦いながら、縦横無尽駆けていく。龍人は風を足に纏わせ、デオムに渾身の蹴りを入れる。デオムはそれを片手で軽く弾き、その拳が龍人を捉えた。
「龍人!!」
みんなが叫んだ。龍人の体が宙を舞うが、旋風の支えを受けて彼は地に足をつける。苦しそうに荒い呼吸を繰り返しながらも再び身構える。
「……ったく。」
彼がボソッと呟くのを見てデオムが美麗に鈍く輝く黒翼を広げ龍人に向かう。彼が小声で何かを言ってるのは何度も感じていた。彼のその囁きには余裕のようなものすら感じられた。デオムはそれが気に入らなかった。窮地に陥りながらも明るく振る舞っている龍人が一昔前の、自分を堕天させたこの世界の神にそっくりだったからだ。龍人にはほとんど関係ないところ、デオムは自身の怒りを爆発させて龍人に襲い掛かった。
「気に入らないんだよ!! その面も、薄ら笑いも!!」
世界を全て終わらす計画。それもデオムの神への怒りが招いたことだったのだ。世界も、天界も、魔界でさえも、デオムは消滅させる気でいた。ハーキュリーなどここでは意味を成さない。全ては世界滅亡の儀式を完成させるため。デオムは仲間など必要なかった。始めから捨て駒にしようとしか思ってなかった。デオムに敵はいなかった。すぐに世界が滅亡するはずだった。それを阻むものが目の前に十二人。反抗し続ける者たちと、捨て駒だったはずの者たち。元は眼中になかった者たち。それが、今自分を阻む最大の障壁になっていた。デオムは激昂する。その目が白い光を赤く反射させるように。
「僕の邪魔をするな!! 世界を終わらせるんだ!!」
デオムは今敵を倒すのに可能な方法を模索していた。あらゆる手段を使うつもりだった。目の前の障害を取り除くことを優先に考えた。自らに更なる力があれば、こんなに手こずる事も無かったのに。
「龍人。時間だ。」
みのるがそう言った気がする。アタルたちはみのるの方を見た。みのるがゆっくりと舞台の方へ向かう。
「お前の弱点は分かった!! お前はもう時期死ぬのだ!! お前には何も救えず、何も守れず、何も残らない。世界は終焉に向かう。世界は滅ぶ。お前の大切に思っていたものも、学校も、仲間たちも、何もかも消えてなくなるのだ!! お前は絶望の中で死のような苦しみを永遠に味わうのだ!!」
デオムは龍人の前に立ちはだかり怒りのままに声を上げた。彼は心から救われたような気がした。気がしただけなのだ。デオムはみのるの脳裏に語り掛けた。
「みのる君。君には分かるだろう。君が協力するなら、君たちを助けよう。命だけは保証しよう。永遠の苑で君たちは永遠にともにいられるのだ。恐怖はあるまい。僕も成れの果ての天使。嘘は言わない。そのために、一つ、条件を出そうと思う。協力してくれ。簡単なものだ。舞台に上がれ。」
舞台に上がる。たったそれだけで永遠を保証される。ただし、彼は死ぬけど。
「分かりました」
みのるは舞台を目指す。仲間もそれを止めようとはしない。それどころか、みんなが前に歩んでいく。
「そろそろですね。私たちも」
仲間たちの様子を合図に優燈たちも行動を起こす。
デオムは翼をはためかせ、その黒風を龍人に送り付ける。逃げていくような風に背中を向け、龍人はデオムに向かい合う。
「これで、あなたも、世界も、終わりです。」
デオムはすでに冷静だった。いや、その内側にあふれるような優越感が、堪えきれない勝利の余韻がふつふつとその凍りついた仮面の下から湧き出ていた。彼の周囲には『破滅』の炎が燃えたぎっている。
「ごめん。龍人。」
みのるは龍人の隣に、並び立った。二人はうつむき、デオムを前にする。学校を守ると決めた日から共に歩んできた彼ら。苦しい日も、悲しい日も、楽しかった日も、共に嘆き、共に泣き、共に笑い、共に乗り越えてきた。龍人はため息をついて、前を向いた。
「お前ってやつは。」
彼の周囲には風が漂い始める。『破滅』の力を得たデオムを前に、少しも戦意を失っていなかった。そんな彼をデオムがあざ笑う。腹を抱えて笑いに笑う。
「未だやる気かい? もう勝ち目はないぞ?」
馬鹿笑いするデオムに、龍人は言った。
「あんた、さすがに強いな。だけど、大切なもんが足りてない」
「負け惜しみを!」
デオムが龍人の言葉を区切った。
「お前は負けるんだよ!! お前は死ぬんだよ!! お前は僕に殺されるんだよ!! お前は永遠に苦しむんだよ!! お前は仲間に殺されたんだ!! 殺されたも同然なんだ!! お前は仲間にとってその程度の価値しかなかったんだよ!!」
龍人を取り巻く状況は良くない。圧倒的な力の差、仲間の裏切り、すでに心が折れてもいいはずだった。だが、龍人は龍の息吹を纏う。
「大切なのは負けない事さ。俺はてめぇには負けねぇよ」
デオムが破滅の力を龍人に叩きつける。龍人はそれを拳ではじき返した。
「なに!?」
デオムは驚き、仰け反り、咄嗟に距離を置いた。未だに何が起こっているのか理解できていないようだった。
「お前、一体……。」
「さっき、お前に足りてないもんが何か言ってなかったな。」
龍人の周囲にまばゆい光が纏いだす。炎を拳に、心に水を、体を雷に、風の力を龍のように生み出し、その身は大地と化し、龍人は構える。負けるはずも無い。彼の力は彼だけのものではなかった。今まで越えてきた困難や、仲間たちの思いが、そして優燈の祈りが彼に力を与え続けるのだ。地震のような波動が、龍人の鼓動のように響き出す。
「俺には今まで越えてきたものがある。どうしようもない仲間たちの想い。自分の力が足りなくて救えなかった想い。『今』を失いかけてるのに、ここで負けるわけにはいかねぇって思うんだ。それが第一。」
「ふざけるな!!」
デオムが突撃しようとする。だが、その体が途中で止まってしまう。
「壁……!?」
壁では無かった。それは龍人の周りを囲むような気魄。決して通り抜けることのできない空間。光は屈折せずに真直ぐ飛んで来る。龍人の視線が直接デオムの目を貫く。それだけの威圧感の中でみのるは平然としている。裏切ったのならすでに味方でないはずだ。
「あとは、言うまでもないだろう?」
龍人の隣にみのるが立っている。真直ぐにデオムを凝視する。それだけでない、仲間たちが舞台に上がり、集まっていく。
「クソ!!」
デオムが全てを吹き飛ばそうとする。だが、龍人は、その彼と肩を並べる仲間たちは微動だにしない。
仲間が立ち並ぶ。みのるもサキも、美菜も、穂乃佳も時音も。アタルもカケルもマモルもデゥエスも。龍人の両翼になるように、彼らは立っている。
「き、貴様ら!!」
デオムが叫んで力を解放する。だが、その瞬間に、突然自分と力を並べる者の出現に気付く。それは新たな刺客ではない。目の前に並ぶ、彼らの周囲に、『破滅』が付加させる時空の歪みの護衛。一つ一つはデオムに遠く及ばない。だが、それらが全て揃うとなると話は別だった。
「一応言っとくか。お前に欠けているもの」
デオムは龍人の言葉も聞かずに背後を向いた。そこには魔法壁から脱したファテゥと優燈だった。
そして彼らにも時空の歪みが力を貸す。全てがデオムに刃を向けるように視線を向けている。
龍人が口角を上げた。
「それは仲間だ。」




