午後4時 薄くなる影
優燈の周囲に光が満ちて敵の大軍も味方の傷も、きれいさっぱり消えてしまった。
ヒヘカミオラ
「あなたの本当の姿を現せ」
「ありきたりな言葉も、
呪文にしてみると案外強かったりするんだよ?」
無邪気に笑う彼女。味方は全員立ち上がる。痛みも敵も幻想と変わらない。だからこうすれば全部消える。優燈はそう伝えたかったのかもしれない。
下足室で休憩する龍人。そこにみのるから連絡が入る。龍人は下足室から少し離れ、電話に出る。
「もしもし、どうした。」
「龍人、もうじき、敵が到着する。次も、もの凄い数だ。」
「そうか。」
龍人は廊下の壁に持たれて、窓からグラウンドの様子を見る。もう、ずっと戦って、荒れ果てていた。その先には、薄っすらと黒い線のようなものが見える。
「大丈夫? 辛かったら、しばらく砲撃だけで何とかするけど。」
「いや、大丈夫だ。」
彼が発したのは小さくとも力強い声。揺らぐ事の無いものであった。
「それに、もう砲弾も残り少ないんだろ?」
龍人の言う通りだった。マネージャーたちが合流してからある程度の回収はできるようになったが、それでも撃ち尽くす方が早かったし、どこかあらぬ方へ飛んで行ったボールも数多くある。有効的に使わないと砲撃も真価を発揮できなくなってきた。
「そういうこった。んじゃ、俺たちはそろそろ行って来る。」
「ああ、無理をさせて、すまない。」
みのるは力なく龍人に謝罪した。諦めてしまった訳ではなく、心の底からそう思っているのだろう。龍人はそれを察してか明るく振る舞う。
「謝んなって! 俺は馬鹿で、敵をぶん殴る事しか出来ないから、それで誰かの役に立ててるんなら、それでいいのさ。無理なんかしてねぇよ。」
「そうか。ありがとう。」
みのるは少し笑って、また、小さく礼を言った。
「じゃあ、これで……」
そう、みのるが電話を切ろうとした時だ。
「やっぱり、待ってくれ。」
龍人が不意に、それを引き留めた。
「どうした?」
みのるが訊くと、龍人はこう切り出した。
「なぁ、もし、次の敵襲を乗り切ったら……。」
それから龍人は自分の思いを話していった。みのるはあまりの衝撃に言葉を見失ったが、それでも最後は同意した。
「……そういう訳だ。」
「分かった。幸運を祈っているよ。」
二人は電話を切った。龍人は下足室に戻り、号令をかけた。
そう、彼らの前には次なる敵が待ち構えている。
下足室を飛び出し、グラウンドに並び立つ彼ら。その視線の先には全世界を覆うような大群が、天地を黒く染め上げていたのだった。
立ち尽くす彼ら。傾き始めた太陽が荒れ果てた大地を、天空を金色に塗り替えていく。まだ、彼らの目は絶望に飲まれてなどいないのだ。未来へ向かおうとするたくましい意志が、この世界を押し潰そうとする重圧から彼らを守り続けている。
決して折れることの無い、まだ名もない、草木のように。雄々しく、彼らは敵陣へと向く。
彼らの先陣を切り、歩を進めるのは、龍人だった。
「おし、行くぞ!」
龍人の号令に、みんなが呼応する
「おお~~っ!!」
そして彼らは駆け出す。無限に思える戦いに物怖じ一つせず。
そして彼らは敵を倒す。弱みを見せないよう懸命にこらえて。
そして彼らは前へ出る。負けないように、自分の声を荒げて。
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「ほんと多いな。ったく。」
何とか武器を構える十勇士。
「さすがに辛くなって来たが。」
「でも、負けないぜ。」
「こんだけ、仲間が居ればな。」
立ち上がる三銃士。
「えへへ。まだ、まだ。」
「よろよろ。」
足元はおぼつかないが、それでも立ち上がる穂乃佳と時音。
「ふらふら。」
「だけど、勝たなきゃ。」
「ここは俺たちの学校なんだ!! 誰があんな奴らに渡すもんか!」
彼らは動きの鈍くなった体を引きずるように、攻めて来る敵に向かって行く。
だが、彼らの頭上に今まで以上に巨大な漆黒の戦艦が現れた!!
「なんだ、あれ……。」
それは見るからに異様な、緑の紋章の入った戦艦だった。今までのとは全く違う。
「うひゃははやは!!!」
その戦艦から、不気味な笑い声が聞こえてくる。
「なに、あれ。」「キモイ。」
龍人たちは呆然としていたが、ここであることに気付く。敵が攻撃してこなくなったのだ。さらに、戦艦からの変な声が聞こえてくる。
「貴様らか、ここで抵抗し続けているのは。だが、その抵抗もいつまで続くやら。我々に狙われて無事だった場所はもはやこの世に存在していないのだからな。うひゃははやは!!!」
「キモイ。そして、うざい。落としてやる。」
十勇士の一人がその辺に落ちていたボールを拾い、金属バットを使って戦艦に向かってボールを打ち出す。
「うひゃははやは!!! そんなもん効かんわ!!」
変な声がそう言うと、緑の戦艦は強力なバリアを繰り出した。そして、なんとボールを弾き返してしまったのだ。
「くそ! どうすれば……。」
彼らが絶望しかけたその時、彼らの背後から、一人の女性が声を掛ける。
「確かに、今まで通りの攻撃は効かないみたいだけど、大丈夫。」
「あ、あんたは……。」
龍人ですら驚く、その人物とは。
「女子テニス部部長、楠正苗よ。」
小柄で華奢な割に凛とした風貌。学校がこんな状態なのに、彼女は特に様子を変えない。さすがはプロに最も近いと噂される女子テニス部の部長である。彼女は優し気に龍人に微笑みかける。
「君が、土田龍人君だよね。いろんな人から噂で聞いてたけど、結構頑張ってるみたいだね。」
「それはどうも……。」
龍人も突然の事で良く分からず、とりあえず軽く会釈する。
「一週間前、私も家族をさらわれて、ずっと一人で泣いてたの。だけど、みんなが頑張ってるって聞いて、私も、このままじゃいられないなって。みんなの頑張り見てたら、なんだか自分が泣いてたこと、恥ずかしくなってきちゃって。今更だけど、手伝わせてくれる?」
龍人は笑顔で答える。
「ああ、もちろん!」
「ありがと!!」
楠正苗はテニスラケットを手にして、敵の戦艦に向けて掲げる。
「これで、あんたを落とす。」
それを聞いて戦艦の変な声はあざ笑う。
「うひゃははやは!!! 出来るならやってみろ!!」
「バカ……。」
正苗はそう呟き、サーブの構えを取る。その瞬間、周囲に物凄い威圧感が漂った。それは渦を巻く竜巻のようになり、正苗を包んでいく。
「な、何なんだこれは……!」
十勇士たちも驚きを隠せない。これが人の成せる業だろうか。
「見てなさい。これが私の、本気よ。」
竜巻が消えると同時に、正苗はそこから高々とボールを上げる。ボールは上空から正苗に引き寄せられるように一直線に落ちてくる。それは女子テニス部員も見た事の無いサーブだった。
と、ここで龍人が気付く。
「テニスのサーブって、上向きに打てねぇだろ。」
だが、正苗は鼻っからボールを上空に打ち上げるつもりは無い。
そのまま彼女は疾風のごとくラケットを振り下ろした。ボールはグラウンドに叩きつけられたのだ。
それをみて戦艦の変な声は笑っていた。
「うひゃははやは!!! なんだ、弾丸がそれてるぞ! うひゃははやは!!! 失敗か!?」
正苗はうつむいている。まさか、本当に失敗したのだろうか。
いや、その時、彼女は顔を上げた。
「バカはあんたの方よ。」
「なに!?」
「ボールをよく見てみなさい。」
正苗に言われるままにボールを見ると、地面にありながら、くるくる回っているのが分かる。しかもその回転は徐々に速くなっていき、遂には巨大な竜巻を巻き起こした!
「く、どうなってるんだ!?」
戦艦の変な声が焦っているのが分かる。物理攻撃だけならともかく、ここまで気流の影響が大きいと、戦艦もろともばらばらになってしまう。
さらに、上に上にというこの暴風が、グラウンドに落ちていたボールやパイプ椅子を巻き上げて、上空一帯の戦艦を端から全部爆発させていった。
「き、貴様……!」
チュドン!!
そして、上空は綺麗になった。
いや、上空だけでは無かった。
グラウンドに居た敵は、チップ兵。圧倒的な暴風にほとんどが吹き飛ばされていたのだ!
龍人たちは絶句した。
これが、この学校の誇る女子テニス部の部長なのだ。
「まだだよ。」
不意に正苗がそう言う。
「まだ、ここに向かってる人たちが居るの。」
「な、なんだって!?」
龍人たちには驚きが隠せなかった。ここまで心強い味方が他にもいるらしいのだ。
「ここに向かってる人たちってもしかして……。」
十勇士が口にしようとしたら、正苗がラケットで地平線を指して。それを遮る。
「話は後よ。今は、目の前の敵に向かって!」
彼女の言う通り。どれだけ減らしても再び現れるのが今回の敵なのだ。龍人の表情は明るさを取り戻した。
「そうだな。おいみんな、どんな奴が来たって返り討ちにしてやるぞ!!」
「おおーーっ!!」
龍人の掛け声に呼応して、彼らは一斉に走り出した。彼らの心はまだまだ折れそうにない。
その様子を見て、みのる達も安心する。
「やっぱり、みんなの元気は凄いや。こっちも負けてられないね。全弾装填準備、ここは全力で支援するよ!」
「了解!」
みのるの号令と共に、支援部隊は砲撃の準備を開始する。
「みんな、頑張ろう……!」
そう、前線部隊の善戦を祈って。
とはいえ、前線部隊には疲労の色もある。多少の人数は増えたが、こちらが不利なのは変わらない。
ほとんど支援を受けていない左翼で戦う龍人たち、穂乃佳と時音は特に疲れていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……。」 「へと、へと……。」
それに気付いて、龍人は敵の攻撃の合間を縫って二人に声を掛ける。
「穂乃佳と時音! 疲れたなら、一旦退け!」
敵の攻撃が龍人をかすめる。それを間一髪でかわして蹴り飛ばした。今度は龍人の背中に向かって凶刃が伸びる。
「しまった!」
「てりゃっ!!」
キンッ!!
それを穂乃佳が竹刀で弾いた!
「疲れてるの、私と、時音、だけじゃ、ないでしょ……。」
穂乃佳は上がった息で途切れ途切れに話す。そんな穂乃佳の背中を時音が守る。
「みんな、頑張ってるの。だから、私たちだって……!!」
穂乃佳と時音は向き直って敵勢に突撃する。龍人は彼女たちを追い抜いて、敵中に躍り出る。
「バカだな。ほんとに。」
龍人が振るったほうきの柄が敵を一気に吹き飛ばした。その時に出来る僅かな隙も、穂乃佳と時音がカバーする。
「ほんとだよ。龍人くん。」
「コクリ。」
穂乃佳が力なく笑った後、時音も僅かにうなずく。
龍人は呆れて笑った。
「俺じゃねえっての。」
敵が彼らを取り囲む。
まず一人が、龍人に飛びかかる。龍人はそれを受け流して、そのまま蹴り飛ばした。続く二人目が穂乃佳を狙うが、時音が横から竹刀で打ち、穂乃佳と時音の入れ替わりざまに時音を狙う三人目を穂乃佳が叩いた。そして敵は同時に襲い掛かった。
「この馬鹿どもが!!」
龍人は一喝して敵を吹き飛ばした。だが、敵は正面から再び迫って来る。
「ほんと、切りがねぇな。」
龍人も疲れが出てきた。穂乃佳と時音はほとんど限界だ。なおも迫り来る敵勢。じりじりと距離を詰められていくが、そこで電話が鳴った。龍人はすぐに声を張り上げ、呼びかける。
「お前ら!! 退くぞ!! 遅れんなよ!!」
龍人の掛け声と共に前線部隊は一気に下足室に向かって駆け出した。
「やれ! みのる!!」
「後は任せて!!」
彼らが下足室に飛び込むと、砲撃部隊が一斉射撃を始めた。無数のボールとパイプ椅子が、敵をどんどん薙ぎ払っていく。
「やっぱ、何回見てもすげえな。」
「ああ、あんなもんで毎日練習してたって思うとぞっとするよな。」
下足室で束の間の休息をとる前線部隊。窓から見るとボールの雨が降っているようだった。ここで龍人が気付く。
「優燈はどこだ?」
「?」
時音が首を傾げる。
「上にいるのかな?」
穂乃佳も首を傾げる。
「……!!」
突然、龍人は下足室を飛び出した!
「待って! 今飛び出したら!」
穂乃佳が言うのも聞かず、そのまま敵勢の元に向かった。
「クソ!! ボケ!!」
龍人は阿修羅の如く敵を薙ぎ払っていく。
「龍人!?」
屋上のみのるは唖然としていたが、すぐに砲撃を中止させた。ボールが当たったらただでは済まないからだ。みのるはすぐさま次の指示を出す。
「彼に当たらないよう、出来るだけ奥を狙って!!」
「でも! この投球マシーンじゃこれ以上奥は無理だよ!!」
「じゃあ、パイプ椅子は!?」
「ダメです! 照準がズレててどこに飛んで行くか分かりません!」
サキにそう言われ、焦るみのる。穂乃佳に電話を掛ける。
「穂乃佳、龍人を助けれるか?」
「うん。頑張ってみる!」
電話を切って、穂乃佳はすぐに竹刀を持った。
「みんなは休んでて、ちょっと外に出てくる。」
そして駆け出そうとしたところをアタルに止められた。穂乃佳は訳が分からず混乱する。
「な、なんで!?」
「穂乃佳、疲れ切ってるお前が行ってどうにかなるのか?」
冷静なアタルに対し、穂乃佳はかなり焦っていた。
「でも、行かないと! 龍人君が!!」
「大丈夫だ。」
「何が大丈夫なの!? どいてよ!」
穂乃佳がアタルを突き放して進もうとするのをカケルが止めた。
「俺たちが行く。」
「え……?」
「俺たち三銃士が行く。だからお前はここで待ってろ。」
「でも、私が行かないと……!」
三銃士の実力は穂乃佳も知っている。だが、みのるから直接連絡を受けたのは穂乃佳だった。彼女は自分が行かなければいけないと思っているのだ。それを分かった上で、マモルが声を掛けた。
「みのるが電話を掛けたのは、お前だけに行けって事じゃなくて、龍人を助けろって事だったんだろ。」
「……。」
マモルに言われて、穂乃佳は何も反論できずうつむいた。そんな穂乃佳に、アタルはこう言った。
大丈夫だ
俺たちだって、この一週間ずっとみんなと居たんだから
必ず、龍人と優燈を連れて帰って来るよ
そして三銃士は敵の群がる戦場に赴いて行った。
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「さて、そろそろか。」
黒い外套を纏った三人。彼らは遥か彼方から敵の様子を眺めている。
「あの三人はどうでもいい。だが、残りの二人が厄介だ。」
一人がそう言うと、もう一人は首を傾げた。
「ほんとに厄介なのは一人だけだろ。ファテゥさんもぼけてきたんじゃないの?」
「タしカに。」
三人目もうなずいた。
「まァ、ラオットを落としタ奴も面倒ダと思いマすけどね。」
「アヒルちゃん。あんたのそのキモイ喋り方どうにかなんないの?」
「アハハ。ナりマせん。ワタし、アひるジャナくて、デオムです。」
「どっちでも一緒でしょ! ねぇ、ファテゥさん?」
「デゥエスにデオム。お前たちは元気がいいな。だが、その元気が命取りになることを忘れるな。」
男が二人を叱りつけるように言うと、少女は口をまげて不機嫌そうに返す。
「ふぁーい。でも、もう運命で決まってるよね?」
「アア。ほんとダ。」
「確かにな。」
三人は笑みを浮かべ、龍人たちの様子を凝視していた。