こくはく成功
2年前、ぼくは社会人になった。社会人になんかなりたくないと思っていたのに、小中高大を無難に卒業して、大手でも零細でもない、中の中の会社に入った。従業員100人ほどのソフトウェアシステム開発企業のシステムエンジニア。
朝、起きる
電車にのる
仕事を無難にこなす
電車にのる
寝る
まるで、スタンプカードを押すような日常。毎日のようにぼくは何のために生きてるんだろう、と考えてしまう。
須藤君はぼくの同期だった。10人の同期のリーダー的存在だ。真っ先に皆をまとめあげ、皆がそれに従う。ただついて行くだけの、ぼくとは真逆だ。ただ、彼は同期の飲み会にだけは行かなかった。ぼくも、何かと理由をつけて行かなかった。リアの中に非リアがいても仕方が無いと思ってのことだ。
ある日、須藤君がぼくだけを飲みに誘ってくれた。事業所の席の対面に座る彼はさらっと
「ゆうと、今日飲みに行かないか?」
事務的な会話以外を須藤君と話すのは、初めてだった。
「いいよ。」
ぼくは答えた。なぜ、了承したのか?その時エアコンが効きすぎていて、頭がガンガンしていたからかもしれない。
会社終わり、最寄り駅から何駅か離れた居酒屋に入った。
「ゆうとって、しっかり自分てものを持ってるのな。」ら席に着くなり須藤君が話し始めた。
「どういうこと?」
「お前は無理して人付き合いしようとしてないだろ?人付き合いしたくないならしたくないで、いいんだよ。無理する必要はない。」
「須藤君は無理してるの?」
「してるさ。無理して、場を仕切ってる。昔からそうやって仮面をかぶって生きてきた。今さら変えられねーよ。」
店員さんが来て、須藤君は烏龍茶を頼んだ。ぼくはビールをたのむ。
「下戸なの?」
ぼくは率直に聞いた。
「ああっ。だから飲み会には行かねーよ。行ったら仮面をかぶってたことがばれちまうからな。お前は飲めんのか?」
「少しならね。でも、10人規模の飲み会には絶対に参加しない。会話できないから。溜め息の材料になるだけだから。」
「溜め息の材料か。うまいこと言うな。」
笑いながら烏龍茶を飲む。
「ゆうとは彼女いないだろ?」
「聞くまでもないでしょ。」
「好きなやつは?」
「ずっと、好きだった人はいるよ。」
「どんな、娘だよ?」
「中学と高校の同級生。高校以来会ってないし、連絡もとってない。」
「連絡先知ってんのか?」
「高校の時と変わってなければ。」
ぼくは携帯電話を開いた。すると、須藤君がそれを素早く引ったくった。
「名前は?」
「さがらゆか。」
登録欄からそれを見つけ、なんと電話をかけた。そして、ぼくに渡した。
「もしもし。」
電話口から4年ぶりに聞く相良由佳の声がする。
「もしもし。元気?」
「萩原くんかー。ひっさしぶりー。ボクは元気だよーー。」
4年前の相良由佳とおんなじだ。だけど、何かが違う気がした。
「急に、どしたの?」
「んー、元気かなぁーと思って。」
「元気、元気。萩原くんから電話してくれるなんて、うれしーーなーー。」
「彼氏がいるのか聞いちゃえよ。」
須藤君がちゃかした。
「あのっさーー。相良さんさーー。今ーー、職業は?」
「市民病院で看護師やってる。」
「うっそ。すごい。」
「萩原くんは?」
「システムエンジニアだよ。」
「おっ、ITかっこいいー。」
「そんなことないよ。まだ、研修中ですからー。」
須藤君が聞け聞けって茶化す。
「あっあのさーー。そのーー。相良さんさーー。そのー」
「わたし、萩原くんのこと好きだったんだ。」
「へっ。」
その瞬間頭の中で、まわりの景色が回り始めた。目の前で烏龍茶を飲む須藤君。となりの席のカップル。窓の外の道路を行き交う自動車。心、こころ、ココロが宇宙に行ってしまったようだった。
「すっ、好きだーーーーー。相良由佳さん。ぼくと付き合ってください!!!!!!」
大声で叫んだ、店じゅうに響き渡った。須藤君が拍手し、なぜかまわりの客も拍手し始めた。
「いいよ。」
こんなことが起こるのだろうか?23年間生きてきて、こんなに嬉しいことは無かった。10年間片思いしていた人と、たった5分話しただけで、付き合うことになった。つまらない日常は、この瞬間のためにあったのかと思った。
気がつくとさっきまでの祝福の拍手は消え、まわりの客は各々しゃべり、外の自動車は相変わらず行き交う。須藤君は、やったなおい、と言いながらぼくの肩をぽんぽん叩く。ぼくのまわり半径5センチにピンク色のオーラがかかっている。きっと、そうだ。