女王様と約束
シロウサ宅急便のトラックが激しいブレーキ音を立てながら電柱にぶつかる。全身を叩くような爆音を出しつつトラックは横転し、やがて停止した。
「だ、大丈夫ですか……」
横転したトラックの窓から何者かが這い出てきた。運転をしていた配達員だ。まだまだ社会に出たばかりといったフレッシュな顔立ちの配達員は、よろよろと腰をあげ、現状を見やった。倒れた女性、倒れたトラック、倒れそうな電柱、倒れそうな自分。
マッチョな白い兎がダンボールを片手で運んでいるシロウサマークが背中についた真っ白い作業服を着ていた配達員であったが、みるみるうちに服より顔面漂白されてゆく。ついでに頭からちょっと血も垂れてる。
当然である、人を轢いたのだ。
一方、目の前で突然起こった出来事にしばしポカンと口をあけて埴輪のように直立していた千尋と大阪は、シロウサ宅急便が物悲しげにこちらに視線をよこしたのを合図に、ハッと我に戻った。
「じょ、女王様!」
三人が駆け寄ると、女王様は日向のように温かな微笑をたたえながら、少々の血反吐を吐いた。全身をアスファルトにゆだねながら、どこか優雅な彼女の手足は、ちょっと変な方向に曲がっている。
「あら、皆さん。どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないです、轢かれましたよ! 僕が轢きました!」
「あらぁ、また?」
シロウサ配達員が蒼白になりながら絶叫すると、女王様はやれやれといった風に首を傾げた。まるで呆れたような動作に、千尋は目を丸くする。
「またって、大丈夫ですか?」
「大丈夫ではないんだけど、まぁ、大丈夫でしょう。うふふふ」
笑っている。美しいが、不気味だ。
「……大阪先輩。女王様、頭でも打ったみたいです」
「や、大丈夫だろ」
「「大丈夫なの!?」」
千尋とシロウサ配達員が同時に突っ込むと、大阪はチッチッチと舌を鳴らしつつ人差し指を振った。
そんなひどく古臭いアクションを絡めつつ、
「ランデブー女王様はB型で、おっちょこちょいなんだ。それでよく轢かれるんだ。三日にいっぺんくらい。だから頭蓋骨が丈夫であらせられるんだよ」
「ええ。私、頭蓋骨が丈夫なのよ〜」
どこから突っ込んで良いのか分からず、千尋は「頭蓋骨が……」と呟いた。非現実な現実に対処しきれず、すべてを受け入れようとして、いやいやと頭を振る。
「でも、体がおかしな方向に曲がってますよ!」
千尋が指摘したとおり、女王様の手足はグロテスクな状態になっていた。モザイクがかかってもおかしくないヘビーな形をしている。
「あら本当だわ。これは病院に入院したほうが良いかもしれないわね〜」
今まさに気づいたという様子で、女王様は口元の血のりを手で拭いながら……、
「立ち上がるんかい!」
「念のために病院へお送りしましょう」
千尋の驚きを華麗にスルーしつつ、大阪は女王様の傍に寄ると手を伸ばし、さっと抱きかかえた。
「あの、救急車は……?」
怯えた様子で配達員が尋ねる。頭からの出血量が増えているが、あまりのことに気づいていないようだ。
女王様はそんな配達員の胸元を撫でると、
「私、この界隈で女王様してるの。ランデブーで聞きまわればすぐに分かると思うわ。病院から帰ったら、お話しましょう?」
そっと内ポケットから財布を引き出し、ウインクを投げやった。配達員は女王様の美貌に一瞬で頬を染めると、小さく頷く。血が滴った。
言葉を介さない不思議な密約に「なんだこいつら」と千尋は心で思おうとして、払った。心を読まれたら何か怖い。
「千尋ちゃんって、言ったわね〜」
「ヒィ!」
めくるめく恐怖心まで伝わったかと千尋は戦慄した。しかし、女王様はそんな千尋にニッコリと女神のように微笑むと、
「後はよろしくね」
「へ?」
「取材は出来なかったけど、ちゃんとつくって、一番にゲームやらせてね。私を満足させるのよ」
「えええ!」
千尋は飛び上がった。そして全身全霊でお願い事に抗った。
「困ります、困ります! っていうか、ええ!」
顔を青くし、脂汗をかき、両手を振り回す千尋。しかし女王様は平然と、まるで千尋の反応などそよ風とひとしいといった風に、微笑む。
「やぁね。千尋ちゃんの取材を受けようとして、トラックに轢かれたんだから、千尋ちゃんのせいなのよ〜? 痛い思いさせた分、楽しい思いもさせなきゃ、人道に外れるわ」
「そんな無茶苦茶な!」
「あら、千尋ちゃんったら、ランデブーのお願いなのに、聞いて下さらないの〜?」
女王様は甘いお菓子のようなフェイスを残念そうにすると、潤んだ瞳を千尋に注ぐ。ウルウルと可愛らしく、純情そのもののような女王様。
その瞳孔がカッと爬虫類よろしく細く開いたのを、千尋は見逃さなかった。
殺 さ れ る。
「や、やります……」
「嬉しいわ〜、有難う〜」
きゅるりんと瞳孔が丸く愛らしくなる、女王様。千尋はそれを目に収めつつ、自身が人間として食物連鎖の頂点にいると思っていたが、それは間違いだったと痛感する。
「じゃあ、後はよろしくね〜」
女王様は朗らかに手を振り、大阪にお姫様抱っこされながら凄惨な事故現場を背にする。千尋はそれを見送りながら、女王様の姿が完全に見えなくなったところで脱力した。
その後、配達員は倒れた。