主人公、三話目にして売られるかもしれず。
千尋が大阪に連れられてたどり着いたのは、繁華街のある裏通りだった。
昼間だというのに薄暗いのは、ビルとビルの間に挟まれているためなのか、こじんまりとした作りのためなのか。粘着質な闇の中、古臭いアパートのように店の扉だけ並んでいる。看板も何もない。千尋は息を呑んだ。
「いいところだろう」
大阪の頭にはネジを差し込むところさえないんだろうか、と千尋は思う。
「まぁ、そんなに怯えるな。夜になればもうちょっとは明るくなるんだけどな」
大阪はぐいっと千尋の手を引張って進む。慣れた道なのか迷いがない。それがいっそう彼の歪んだ感性、その不気味さを演出している。
大阪は三回生、千尋は一回生であり、よくよく考えたら千尋は、大阪のことをあまり知らない。後輩たちに食事を奢り、時折ドライブに連れてってくれ、相談事があれば親身になって聞く。
そういう大阪しか千尋は知らないが、もしかしたらそれは表の顔だったのかもしれない。本当の大阪は、面倒見の良い先輩という仮面を被った悪魔かもしれないのだ。
千尋は思う。
そうだ。大阪先輩はSMエロゲーのプロットをか弱い未成年の可憐なロリ系美少女(千尋の自称)に任せた。思えばそれが片鱗だったのだ。
千尋は更に思う。
このままでは悪魔に売られ、変態親父の慰めものになり、逃げられないように薬物を打たれ、両手足に手錠をつけられてなお慰めものにされ、肉体も精神もサバンナの砂となって、千の風になって、使い物にならなくなったらドラム缶に詰められ、コンクリートを流し込まれ、黒服の男たちによって東京湾に落とされ、最近ようやく水質が回復して戻ってきたお魚さん達の新しいスウィートマイホームになってしまうに違いない。
想像し、千尋は青ざめた。逃げるのなら今しかない。千尋は足の力を抜くとバタバタと抵抗した。
「あっ、こら、なんだよいきなり!」
大阪は千尋を掴んだ手を強めた。千尋の抵抗が激しくなる。
傍目からみてまるでそれは、玩具の購入をせがむ子供と、その子供を必死に宥めようとする父親そのものであった。だから、このような声を彼女にかけられたのは当然のことだった。
「あら大阪クンじゃないの。大学生のくせに子供がいたのね〜」
千尋は驚き、声をかけてくれた細長い影を凝視した。
人がいた! しかも女の人!
「助けてください、コロサレルゥ! 売り物にサレルゥ!」
「おい千尋、お前人聞きが悪いぞ」
「あらあら〜それは大変ね。大阪クン駄目よ。女の子泣かせちゃ〜」
「ランデブーさん、こいつは女の子じゃなくてコロボックルですよ」
ランデブーさん?
千尋はやけに間延びする声帯の持ち主に疑問符を浮かべた。しかも大阪はあまりにも親しげな気がする。まさか仲間ではないだろうか……。
千尋は怯えながら、俯いていた顔をあげた。
「可哀想。怖かったでしょう〜」
小さな風鈴のような透明な声。花も嫉妬する可憐な美しさ。千尋に声をかけた人物は、度肝を抜かれるほど端麗な女性であった。
つきたての餅のような白い肌に、コバルトブルーのコートを纏う。絹のような黒髪が胸元でさらりと音をたてる。女神のような穏やかな笑顔が輝きを放っている。
薄暗い路地裏で、彼女は神々しくオーラを放っていた。
「うおっ、眩しい!」
千尋は両腕で目をガードした。
「あら、ごめんなさい。少し美しすぎたわね〜、私」
どうやったのか、女性はほんの少しだけ自身の光源を下ろすと、千尋に手を差し伸べた。千尋は訝しく思う。綺麗に輝いていたとしても、大阪と同じく千尋を売ろうとしているかもしれない。目映いほどのオーラの向こうにキシャーとかキャシャーンとか奇声を発するメデューサが(長くなりそうなので切る)。
「大丈夫よ〜。あなたを売って、変態親父の慰めものにして、逃げられないように薬物を打って、両手足に手錠をつけてなお慰めものにして、肉体も精神もサバンナの砂として大空を吹き渡ってみて、使い物にならなくなったらドラム缶に詰めて、いいえその前に臓器を抜いてモグリ医師に売りさばいたりドイツのアングラ肉屋に死肉を売りさばいてウィンナーにしてもらたり残った皮膚を剥製にしてマッドコレクターに贈呈したり名前や戸籍は不法侵入無国籍外国人に高値で売りさばいたり生きていた痕跡まで吸い取ったりはしないわよ〜?」
ヒッと、千尋は息を呑み込んだ。
「ランデブーさん、千尋の気持ちを勝手に読まないで下さいよ。しかも疑問系で。千尋も、そんな失礼なことを思ってたのか?」
呆れるように腕を組む大阪。千尋は警戒しながらも立ち上がり、衣服についた埃を払う。そして大阪を埴輪に酷似した空虚な眼球で仰視する。
千尋の無言の抗議に大阪はポリポリと頭を掻くと、
「どう書けばいいか分かんなくてスランプなんだろ? だから、知り合いの女王様を紹介しようと思ってさ。丁度良かったな、この人」
女性に手のひらを伸ばした。
「紹介するよ。ランデブー女王様だ」
ランデブー“女王様”!
千尋は唖然としながら大阪の言葉を右から左へ
「受け流さないでくれる〜?」
「は、は……い、」
極限まで萎縮しながら返事を搾った。
「ん〜、大阪クン。また新しい女王様のゲームを作る気なのねぇ。女王様アクションゲーム、女王様恋愛シュミレーションゲーム、女王様シューティングゲーム、今度はなんのゲームかしらぁ〜?」
「女王様と永遠と絆の君と響きあい生まれ変わり伝説を呼び覚まし魂を呼び起こし生きる意味を知るRPGです」
「長いな!」
思わず千尋は突っ込んだ。
「あら、もうちょっと長くてもいいんじゃな〜い?」
怖くて千尋は突っ込めない。
「まぁいいわぁ。取材でしょう? いいわよぉ。よろしくね、えーと……千尋ちゃん?」
「はい」
「ふふふ、可愛いわね〜」
ランデブー女王様は薔薇の如く芳しいオーラを八方に放つと踵を返した。
「こっちが店なの。ついてらっしゃい」
そして女王様は、パリコレモデルよろしく颯爽と歩き出すと横から薙ぐように走ってきたシロウサ宅急便の3tトラックに撥ねられたのだった。