さえずりの代償
むかし、むかし。とおいむかし。まだ夜に星がなかったころ、森には太陽の羽を持つ鳥が住んでいました。
その鳥の黄金の羽はまばゆいほどに輝き、また、さえずりは美しい音となって、聞く者をうっとりさせました。
他にない黄金色の羽と世界で一番美しい声を持つ彼女を、会う者誰もがほめたたえます。
「なんて美しい声なんだ」
「まるで天国のようだわ」
「それに、あの羽の見事な輝きったら!」
「ほんとうにきれいね」
毎日毎日歌っているだけで、黄金の鳥には山のような贈り物がなされます。それだから黄金の鳥は何不自由することなく暮らしていました。
黄金の鳥の美しさは誰もがとりこになり、彼女をお嫁さんにしようとたくさんの求婚者が現れますが、黄金の鳥のお眼鏡にかなう鳥はなかなか現れませんでした。
その一方で森の奥では嫌われものの鳥がいました。
真っ黒な羽を持つカラスです。
くちばしから尾っぽまで黒いカラスは、口を開いてもガアガアとしわがれたみにくい声しか出ません。
彼と話したいようなものはいなくて、会っても避けられていました。それだから、カラスはひっそりとたったひとりで生きていました。
そんなある日、カラスはどうしても用事があって仕方なく森の外へ出ました。
カラスは自分が嫌われものと知っていたので、人目を避けながら用事を済ませ、急いで森の奥へ戻ろうとしました。
けれど、森に入った時にたまたま黄金の鳥がさえずる様を見てしまいました。
彼女は太陽の光を浴びてきらきらと輝き、さえずりは心地よく耳に響きます。
「ああ、なんて美しいのだろう。彼女を妻にしたら、きっと毎日が楽しいのだろうなあ」
黄金の鳥の姿が目に焼きついたカラスは、たちまち彼女に夢中になりました。
それからというもの、カラスは毎日彼女のもとに通いました。
もちろん彼女にはたくさんの求婚者がいますから、カラスも負けじと贈り物を用意しました。
けれど、彼女は鳥の王さまからさえお妃さまにと望まれていました。鳥の王さまからは毎日山のような黄金や宝石やごちそうなど、豪華な贈り物が届いていました。
対してカラスはせいぜい野山で摘んだ花束を贈るのが精一杯です。
どう考えてもカラスの恋が叶うとは思われませんでした。
ですが、カラスには唯一の長所がありました。
それは、根っからの真面目で働き者という点です。
彼は昔からせっせと働き、自分の家や周りが居心地がよくなるように整え、無くなると困る物を蓄える癖があったのです。
ですからカラスはその経験を生かし、黄金の鳥に頼み込んで彼女の住みかが心地よくなるように整えていきました。
カラスの働きぶりは予想以上で、黄金の鳥の生活はますます快適になっていきました。
彼は彼女のわがままを何でも聞き入れてくれますし、夜になれば黒い羽のカラスはどこにいるかさえわかりません。夜に一番輝くことが出来る黄金の鳥は、その点が気に入りました。
「わたしより目立つ鳥が夫なのは嫌だわ。カラスだったら地味で目立たないし、面倒なことは全て引き受けてくれる。うるさいことも言わないわね」
黄金の鳥はカラスの姿が自分を引き立てるから、と。たったそれだけの理由でカラスの求婚を受け入れたのです。
カラスと黄金の鳥が結婚をしたということで皆は残念がりましたが、黄金の鳥は新しい家のある森の奥でも毎日毎日さえずりました。
その美しい音は風に乗って森の外まで届き、今までと同じに他の生き物達の耳を楽しませるのでした。
カラスはかいがいしく黄金の鳥の世話をしてくれました。
毎日森に入って食べ物を調達し、寝床のわらや葉っぱも交換します。水浴びのために新鮮な水もせっせと汲んできてくれました。
黄金の鳥は最初の頃はカラスのまめまめしさに感銘を受け、しばらくは二羽での穏やかな生活を送りました。
けれど、黄金の鳥は次第につまらなく思えてきてしまいます。
カラスは黄金の鳥を決してほめたり賞賛したりしません。愛の言葉さえないのです。
どころかカラスがほとんど喋らないために、会話すらめったにありません。
もともと華やかな毎日を過ごしていた黄金の鳥は、変化のないつまらない日々に飽き飽きしてしまいました。
真面目なカラスなら冬にも飢えることがないだろう、との目論見で黄金の鳥は結婚をしたのですが。(これでは監獄にいるのと変わりないじゃない!)と考え、うんざりしました。
そんなある日の冬、黄金の鳥は思わずカラスに言いました。
「クルツの実が食べたいわ……冬の間にそれだけでも食べられたら、元気が出るのだけど」
あまりに喋らないカラスに腹を立てて出した言葉でした。
だいたい、クルツの実は夏にしかならない南国の果実なのです。しかも非常に貴重で高価なものなので。いくらカラスでも入手はできないと思われました。
けれどいく晩か家を留守にした後、帰ってきたカラスの手には、確かにクルツの実が握られていました。
まさか、と思いながら黄金の鳥はその実を食べましたが。それは確かにクルツの実でした。
「これ、どうやって手に入れてきたの?」
黄金の鳥の疑問にもカラスは答えてくれませんでしたが、わずかに照れたようにも見えます。
いつもと変わらずせっせと働く後ろ姿を見た黄金の鳥は、つくづく思いました。
(この人なら、わたしの言うことをなんでも叶えてくれるのね)……と。
「今日は食欲がないの。バニラの花のスープなら飲みたいわ」
「寝床がごわごわして気分が悪いの。東方の絹を使ったベッドが欲しいわ」
「羽をお手入れするのに、深夜の月の滴が必要なの。一滴ずつしか溜まらないから、根気強く集めなきゃいけないのだけど……わたしは寝不足は嫌だし」
黄金の鳥はカラスにこれまで以上のわがままを言い始めました。それは次第にエスカレートし、しばしばとんでもない要求も出ます。
けれど、どんな方法を使っているかは知りませんが、カラスは必ず彼女の望みを叶えてくれました。
それでもやっぱりそれだけにかかりっきりでは暮らせません。食べ物を集めたり寝床の藁を集めたり。毎日の仕事の合間に無理難題をこなすのですから、カラスは大忙しでした。
忙しなく働くカラスを見ながら、黄金の鳥は面白がっていました。
「ほら、カラスはわたしのためにあんなにいろんな事をしてくれる。当たり前よね、わたしはこんなに美しい羽と綺麗な声を持つんですもの。それでも嫌われ者と結婚してあげたんだから、カラスはわたしを大切にすべきなのよ」
黄金の鳥はカラスに色んな“お願い”をし、そのたびに彼は駆けずり回るのです。
カラスを思う存分働かせながらも、黄金の鳥は次第にうんざりしてきました。
「それにしても、あの黒い羽のみすぼらしさったら! ずっと見ていたら気がめいってしまうわね」
無理難題を言ってカラスが右往左往するのも、必死になるのも面白いけれど。毎日毎日同じ顔を見ていた黄金の鳥は飽き飽きしてきました。
防寒のために抜けた羽をせっせと集めるカラスを尻目に、黄金の鳥はこっそりと森の奥から外を目指しました。
結婚した以上、黄金の鳥は他の鳥から贈り物をもらう訳にはいけません。姿を見せるのもいけないのです。
けれど、黄金の鳥はあの日々が懐かしくてたまりません。皆に褒め称えられ、賞賛を浴びてたくさんの贈り物に埋もれた日々が。
(姿を見せたらまずいなら、声だけならいいわよね)
冬の肌寒いある日。黄金の鳥は森の出口に程近い樹に留まり、思い切ってさえずりました。
「まあ、再びあのさえずりが聞こえるなんて。なんて美しい音でしょう」
さえずりを聞いた皆は以前と同じに、限りない賞賛を黄金の鳥に贈りました。
姿を見せることは叶いませんが、黄金の鳥はまた張り合いのある毎日に戻れたことを喜びます。
カラスとの平凡で退屈な日々に見切りを付けた彼女は、毎日毎日美しい声でさえずり皆の耳を楽しませるのでした。
けれど、黄金の鳥はまだ物足りなさを感じていました。
以前はさえずりの合間に色んな鳥とお喋りを楽しんでいたからです。
果実やお菓子をつつきながらのお喋りは何よりも楽しくて、黄金の鳥にとって至福の時間でした。
(姿が見せられない以上は正体を明かしてお喋りはできないわよね)
もともとお喋りだった黄金の鳥は、だいぶ長い間喋れなくてウズウズしていました。
(だからといって独り言は寂しいし、聞くひとがいないとむなしいわ)
そこで黄金の鳥は一計を案じ、歌声でお喋りを始めたのです。
「シロサギのおじいさんの病が重いそうよ」
「カカサギの夫婦にヒナが生まれたわ」
お喋りの元になる情報は、さえずりを気に入った木々がざわめきで教えてくれるのです。彼らは森のすみずみの出来事までも、黄金の鳥に伝えてくれました。
やがて黄金の鳥のさえずりは、森の出来事を知らせる役割を担いました。
皆はそのさえずりを元に誕生のお祝いに行ったり、お見舞いをしたりお手伝いをしたり。森の動物達は黄金の鳥のさえずりを基準に暮らすようになってきました。
やがて、黄金の鳥は自分のさえずりの重要性に気づきます。
最初は得意になってお喋りを披露していた彼女ですが、ふといたずら心が湧いてきました。
(わざわざ全部を知らせる必要はないんじゃないかしら)
そこで、わざと知っている情報を抜かした情報を歌声に乗せ、さえずりました。
すると。それを信用した馬が知らずに出かけ、帰りは増水した川を前に立ち往生して困ってるではありませんか。
(ああ、可笑しい! あんなに大きな体をしてるのに、わたしのさえずりを信じて困ってるわ)
黄金の鳥は愉快な気持ちになりました。
それで味をしめた黄金の鳥は、さえずりに時折うその情報を入れたり、わざと情報を抜かしたりしました。
それで森に住む動物達が困り右往左往する様を眺め、クスクス笑うのが楽しみでなりません。
動物達はだんだんとおかしいことに気付き始めましたが、そういう時は必ず正確な情報のさえずりが来ます。だから、あからさまに疑問をあらわす動物はいませんでした。
そんな日々を送っていた黄金の鳥は、相変わらずカラスに見向きもしませんでした。
けれど、カラスは森の奥から黄金の鳥のために食べ物や資材を届けてくれます。
文句一つ言わず、黙々と世話をしてもらっても、黄金の鳥は当然と受けとめて感謝も労いもしませんでした。
(こんな冴えないカラスと結婚したせいで、隠れてさえずらなきゃならないなんて。わたしの生活はめちゃくちゃだわ。昔に戻りたい)
カラスのために、カラスのせいで自分はこんなふうになったんだ。黄金の鳥はそう思って、カラスを疎み嫌っていました。
そんなある日、木々から信じられない噂が黄金の鳥の耳に入ってきました。
『ハトが鳥の王さまのお妃になるよ』
ハトは灰色の地味な羽をしていて、姿も美しくない上にさえずりとは言えない鳴き声しか上げられません。
黄金の鳥と比べてあまりに地味で平凡で、ライバルにすらなれないと思って見下げていたのに。そのハトが賢く強い鳥の王さまのお妃さまになるのです。
それは大変な出世ですし、なにより見下してきたハトが自分より上の身分になる。それは黄金の鳥にとって大変悔しく、耐え難いことでした。
本来なら、自分こそが鳥の王さまのお妃となっていたのに……と、黄金の鳥は地団駄を踏みます。
「きっとわたしの後がまを狙って、鳥の王さまをたぶらかせたんだわ。許せない!」
黄金の鳥は大変怒り、ハトを許すもんかと思います。
ただ、木々がもたらしたこの情報は、まだ森じゅうには知られていません。
それをいいことに、黄金の鳥はある計画を立てました。
「ハトの娘さんは、金持ちのワシの商人に言い寄っているわ」
「ハトの娘さんは知らないオスの卵を生み捨てたそうよ」
「婚約者がいるカモに擦りよったそうよ」
「娘がいる白鳥に熱い視線を送っていたわ」
それからというもの黄金の鳥のさえずりには、必ずハトに関しての噂を入れました。
しかも誰が聞いてもいい気がしない、ひどい嘘ばかりです。
昔からのあることないことを針小棒大にせっせと皆に吹き込みます。 真実の中に少しの嘘を巧みに混ぜ合わせて。
やがて、森の動物達のハトを見る目が冷たくなっていきます。そして、ハトが森から追い出される事態になってしまいました。
ハトが自分を好きだとの嘘を信じた白鳥が、妻子があるにもかかわらずハトを追いかけはじめたからです。
そのせいで白鳥の家庭はめちゃくちゃになってしまいました。
最初はハトを庇っていた動物達も、黄金の鳥のさえずりを聞かされ続けてハトを見る目が変わって冷たくなりました。やがて、ひどい女だ! と皆でハトを森から追い出してしまったのです。
ハトは泣きながら無実だと訴えましたが、味方はたった1人……カラスだけでした。
けれど皆の嫌われもののカラスの話など誰にも聞いてもらえず、最終的にハトは森を追い出されてしまいました。
嘆き悲しんだハトは十日十晩泣き続け、やがて流れた涙が新しい川となりました。ハトは川の中に溶け込み、ひっそりと息を引き取りました。
鳥の王さまであるワシは大急ぎで森へやって来ましたが、全てが手遅れでした。ハトは森を追い出され、流した涙が川と変じていたのです。
ハトの死の原因を調べ、真実を知った鳥の王さまは激怒しました。あまりの怒りで空が燃えるような夕焼けになったほどです。
「その身勝手でごう慢な心には、太陽の羽など似合わない! それから、二度と偽りを口にできぬようにしてやる」
鳥の王さまの命令で捕まった黄金の鳥は、自慢の羽を一本も残らずむしられてしまいました。しかも、喋れぬように舌を切られてしまったのです。
これではお喋りどころか、二度とさえずれません。
おまけに鳥の王さまの命令で、森を追い出されてしまいました。
季節はまだ雪が降り積もる冬です。
羽を失った鳥の肌に、痛いほどの冷たい風が吹き付けます。
助けて、と言いたいのに。舌を切られたせいで言葉がしゃべれません。
凍えるほどの寒さの中で震えながら涙を流した鳥は、当てどもなく雪の中をさ迷い歩きました。
鳥は、いく日もいく日も吹雪の中を歩き続けました。
肌を覆うものは何もなく、みすぼらしい格好のまま。冷たい風と雪にあたりながらひたすら歩きます。
(……寒い……お腹がすいた)
どうしてでしょうか?
こんな時、鳥が思い出すのはカラスでした。
ぼんやりするあたまの中で考えてみれば、どんなに立場が変わっても変わらず接してくれたのは、カラスだけでした。
(……の実が食べたい)
何日も頑張って歩いてきましたが、とうとう体が動かなくなってきました。周りを見ても真っ白な景色で動くものは何一つ見えません。
うずくまった鳥の体に次々と雪が降り積もり、その姿を隠していきます。
(ああ、もうダメ)
声を出したくても、全く出ません。体の半分以上は雪に埋もれて、もはや出ることも叶わないでしょう。
鳥がそのまま目を閉じようとした時でした。
「ガア―」
聞きなれた、しわがれた声が聞こえた気がしました。
まさか、と鳥は目を開き力を振りしぼって耳をかたむけました。
「ガア―」
「カアカアカア」
違う場所から次々としわがれた鳴き声が続きます。
鳥が呆然としていると、ひときわ大きな声が、近くで聞こえました。
「カア―」
(ああ……)
忘れてはいませんでした。
カラスが黄金の鳥を呼ぶときに出す声です。
ふわり、と翼に包まれた鳥に、初めてカラスのまともな声が聞こえました。
「仲間に手伝ってもらい捜してたんだ。もう大丈夫だから」
初めての愛のある夫の言葉でした。
鳥は、カラスに連れられて違う山へとやって来ました。
そこはさらに寒く雪深い場所でしたが、鳥の王さまに追われている以上身を隠す必要があるのです。
カラスはぽつぽつと森のその後のことを話してくれました。
鳥の王さまは白鳥の娘を新しい妃に迎えたこと。
それをきっかけに白鳥夫婦は仲が戻ったこと。
森はだんだんと平穏を取り戻したこと。
カラスも自ら森を出て独り鳥を捜していたこと。
見かねた仲間が協力してくれたお陰で、こうして妻を見つけて助けられたことを。
長い長い話でした。
けれど、鳥は不思議と言うよりも何だか信じられない気持ちでした。
暖まり気分が落ち着いた後、ついついカラスに当たってしまったのです。
舌を切られたのでうまく伝えられたかわかりませんが、とにかくたどたどしい音でこう言いました。
“羽もさえずりもないわたしをどうして助けたの?”――と。
考えてみれば、鳥は今まで外見的なことしか皆に褒められたことがありませんでした。
優しいだとか頭がいいとか気立てがいいとか。そういったことで褒められたことは一度もなかったのです。
自分の価値は羽と美しいさえずりしかなかった。それを失った今、自分に何の価値があるのでしょうか?
そんな鳥の気持ちが伝わったのでしょうか? カラスはすぐそばに座り、鳥の背中に翼を回しました。
「僕が好きになったのは、子どもみたいな君だからなんだ」
意外なカラスの言葉に、鳥は更に疑問を持ち彼を見ます。
「君はずっとずっと大人になりきれてなかったんだ。楽しいことしか考えてなくて、難しいことや辛い苦しいことは何一つ学んで来てなくて。とても危なく感じたんだ」
だから、僕が着いていてあげたかったんだ。とカラスは言いました。
「でも、もう大丈夫だね。君はとても大切なことを学べたんだから」
山奥で、鳥はゆったりと体を癒していきました。
体が回復していく中で、切られた舌だけはどうしようもありませんでしたが。なぜか鳥の体に羽が夜毎に増えていくのです。
今までと同じ黄金色ではありませんが、銀色に輝く立派な羽毛です。
羽が増えるたびに、鳥の体は元通りになっていきます。ですが、なぜか逆にカラスはやせていきました。
心配になった鳥がどうしたか、と仕草できいても「何もない」ときっぱり言われ、頭を撫でられるので何も聞けませんでした。
体が回復するごとに、鳥もカラスを手伝うようになりました。
今まで何かをしてもらうのが当たり前で、何もできない自分に気付いたからです。
(本当に恥ずかしい。カラスの言うとおり、わたしは子どもだった)
大変さを知った鳥は、カラスに何かをしてもらう度にありがとう、と感謝をするようになりました。
食べ物一つ得るのがどれだけ大変か。家を作るのにどれだけ手間と時間が掛かるか……鳥は今まで知ろうともしませんでした。
厳しい冬の中でゆったりと流れる日々は、確実に鳥を癒していきました。
それと同時に、カラスがどれだけ落ち着いた大人であったかを理解をして、いつの間にか鳥にとって無くてはならない大切な夫になっていたのです。
(このひとと結婚してよかった)
今、鳥は心の底からそう思えました。
ゆっくりと春が近づいて雪解けが始まったころ。鳥の羽は完全に戻りました。
「よかった。これでまたどこかで生きていけるね」
カラスはそう言いましたが、明らかに彼は当初よりやせてしまっています。
しかも体を布に包んでいるのです。寒いからと言われて一度は納得しましたが、鳥はやはりどこかおかしいと思いました。 カラスが夜になると出ていくのを最近知ったからです。
(絶対、なにか隠している……)
鳥は、カラスを見張ろうと決意をしました。これ以上やせたら命さえ危ないと思えたからです。
毎日食が細くなっていったカラスは、ついに何も食べようとしなくなりました。
鳥が心配して雪の中で好物の木の実を取ってきても、「君がお食べ」と優しく言うだけです。
このままでは彼が死んでしまう、と心配した鳥は今日こそ止めようと決意しました。
そして夜。寝たふりをした鳥は家を出たカラスの後を着けました。
そして、鳥はカラスのひた隠しにしていた事実を知りました。
月が出ていた夜、カラスは自分の羽を体から抜いて、月の光を浴びせていたのです。
しばらく月の光を浴びた羽は夜の闇の黒から、月の光そのものの銀色に変じたのです。
そうです。
鳥の体に移された銀色の羽は、カラスの体から抜いた羽だったのです。
カラスはいつも月の魔法を使っていてくれたのでしょう。黄金の鳥の無茶なお願いを叶えるために。だから、どんな無理も聞いてくれていたのです。
けれども、月の魔法は命を使う危険な魔法なのです。
そして、鳥には見えてしまいました。
カラスが自分の羽と命とを使って、銀色の羽を作っていたのだと。
それだから、毎日毎日やせていったのでしょう。今では歩くのも苦しそうなのに、カラスは鳥のために自分の命を縮めるのです。
(やめて!!)
鳥は止めようとして月の光の下に駆け出しました。
けれど突然、カラスが倒れたのです。驚いた鳥は急いで駆けつけたのですが。
カラスはもう二度と動くことはありませんでした。
鳥は、カラスの体を抱きしめ嘆き悲しみました。
けれど、カラスの体が溶けるように消えてゆくではありませんか。
銀色に輝くカラスの体は、ゆっくりと光となって空に舞い上がっていきます。
カラスがポツリと話したことがあります。月の魔法を使ったものは、いつか月に帰るのだと。
(待って……待って!)
鳥は、銀色の光を翼で包み込もうとしました。
けれど、それは掴めるものではありません。
やがて、カラスの体がすっかりと消えた時でした。
鳥は考えることもなく、新しい銀色の翼を広げて夜空へ羽ばたいたのです。
夫を追うために。
銀色の翼を得た鳥は、夫を捜してずっと空を飛び続けました。
その時に飛び散った銀色の羽毛が星となりました。
やがて。気の遠くなるような年月を経て、鳥は月でカラスと再会を果たします。それが、月の黒い斑点の部分なのです。
鳥の流した嬉し涙が原因で、月の形が1日ごとに変わるようになりました。
これは、遠い遠いむかし。夜空にまだ星がなかったころのお話――。
(終わり)