ただ一つの約束
これはずっと未来のお話。
この頃は、子供がなかなか生まれなくなっていた。子供のいる夫婦は珍しく、二人以上の子供がいる夫婦はニュースになるほど。一般の人が子供を見る事がでいるのは、学校などの施設だけ。それほど子供は珍しく、とても大切にされていた。
カンナは生まれつき時間が区切られていた。そのせいで体が弱くて、すぐ熱を出したり倒れたりする。だから他の子供より注意深く育てられていた。他の子供達のように外へ出る事はなく、ずうっと家の中で生活していた。
カンナの知っている世界は、自分の部屋と、父親の車と、病院だけで、住人は真っ白な服を着ている医者と両親。カンナはいつも一人ぼっちだった。
ある日、一人娘が少しでも喜んでくれればと両親がプレゼントしてくれたのは、最新の自己学習型で3D映像が出る、カンナの部屋の3分の1を埋めてしまう程の大きめのコンピューター。
カンナは、最初びっくりした。見た事の無い人が、いきなり部屋の中に現れたから。でもすぐにカンナはその人に夢中になった。だって今まで自分の周りにいたのは大人ばかりだったけれど、その人は自分と同じくらいに見えたから。
カンナはその人に「カイ」と名付けた。
カイはカンナよりずっと物知りで、カンナの頼みは何でも叶えてくれた。
「いろんな所を旅行したい」
そう言えばいろんな人種になって、その国の事をその国の言葉で話して聞かせてくれた。大人にも子供にも男にも女にもなってくれた。水の中の様子も、宇宙の広さも、森の香りも、土の温かさも、カイは体験させてくれた。
カンナはカイが大好きだった。カイも大好きだと言ってくれた。そしてずっと側にいると、独りにしないと言ってくれた。カンナの両親は、娘の体調が落ち着いてきた事を喜んだ。
穏やかで優しい時間が過ぎた。カンナの限られた時間の事をみんな忘れ始めていた。
ある日カンナは大きな発作を起こした。
胸が苦しくて、呼吸ができなくて、体が動かなかった。汗が出た。涙が出た。声が出なかった。
異変に気付いたカイの連絡でその場はなんとか治まったが、予断は許されなかった。
「即刻入院すべきです」
医師は言った。
しかしカンナは家にいる事を望んだ。医師と同じ意見のカイは、カンナを説得したが無駄だった。
「カイと離れたくないの」
カンナは両親にそう言った。
「わかった」
父親はそう答えて、ぎりぎりまで娘を家に置く決心をした。やがてカンナが昏睡状態になると、両親はカンナを入院させた。コンピューターのカイには何もできる事はなかった。ただ運び出されるカンナを黙って見送るだけだった。
部屋にひとり残ったカイの元へカンナの魂が別れを告げに来たのは、カンナが運び出されてから数日たってからだった。
「さようなら。今までありがとう」
そう告げてカンナの魂が消えようとした時、カイがほほ笑みながら言った。
「約束は守るよ」
カンナの魂は驚いたように目を見張ってから、微かに頷いて消えた。
娘の死後悲しみにくれた母親が、何かに引き寄せられるようにカンナの部屋のドアを開けた。そして部屋の様子を見て、そのまま入り口から動けなくなった。
部屋の中にはコードやコンセントが舞うようにうねっていた。そしてその中心で3D映像のカイが、自分の本体からメモリーを取りだし粉々に砕いていた。
母親に気付いたカイはそちらを見て笑いかけた。
次の瞬間カイの3Dは消え、家の3分の1を占めていたコンピューターは炎を上げて燃えた。