シャルロット・バルマーと大人の世界
(……しばらくこの娘と二人きりだってのに、完全に怒らせちゃったみたいだな)
部屋を出た二人は、ソラを先頭、後ろをシャルロットという形で廊下を歩いていた。前を歩いているソラの背中に、後ろからシャルロットの視線が突き刺さる。
(……一体何なのですの、この男は?)
後ろからは、シャルロットがジトッとした視線でソラの背中に疑惑を向けている。
(……お兄様の資料を見たら色々と凄いことを書いてありましたけど、超嘘臭いですわ!)
シャルロットから見て、ソラの評価はこうだ。
まず、何と言っても弱そうだ。身長こそ高いけれども体型は痩せている。兄は体の土台は出来ていると言っていたが、そんなバカな! どう見てもヒョロヒョロではないか。ボディガードなんぞには全く向いていない。顔つきもダメダメだ。可愛い系の顔をしていると思うが、オロオロと挙動不審で情けない。根性も無いだろう。それに、何かぽや~んとしている。人の話を聞いていない。駄目な人は何をやっても駄目と言うが、正にそれ。くだらないうっかりミスや同じミスを何度でも繰り返しそう。そして何よりNGなのが、嘘つきである所だ。空気の振動を感知出来るとか、馬鹿馬鹿しい。そんなこと出来るわけ無いではないか。この男が例の暗殺者を捕らえたというのも、どうせデマだろう。この男の主人、ジーネ・アロンゾは権力者であるから、屋敷内で起きた事件などどうにでも情報操作出来るはず。そう、ジーネ・アロンゾの策謀に違いない。っていうか、この男、自分の性別を分かっているのか? ジーネ・アロンゾは自分と同じ十三歳。そしてこの男は十四歳。それが二十四時間護衛しているって、ならば夜は一体どこで寝泊まりしているのだ? 世の中にはこういう女に飼われている男がいると聞くが、正にコイツだ。情けない。どうしようも無いヒモ男である。
(……この男、信用ならない人間の特徴を全て持ってますわ!)
段々腹が立ってきた。こういう男を甘やかしておくと、将来は箸にも棒にもかからない社会のお荷物になってしまうのである。ここで会ったも何かの縁だ。自分がこの男の性根を叩き直してやるのが世の為人の為。何よりこの男の為だろう。
(……そうですわね。まずはこの男の空気の振動を感知出来るとか言う大嘘を暴き立てて、真実を突きつけてやりますわ! 面白くなってきましたわね、フフフフ。変身!)
シャルロットの頭から狼の耳が飛び出し、爪も鋭く尖った。ちなみに、男のライカンスロープは気軽に全変身するが、女の子はこれくらいに留めておくのが淑女のたしなみである。肉食動物系ライカンスロープ特有の瞬発力を生かし、後ろからこの男を羽交い締めにかかる!
(……この軟弱者なら、羽交い締めした瞬間にビックリして、情けない悲鳴を上げて泣いて土下座するに決まってますわ! 息を潜めて、タイミングを見計らって……、今ですわ!)
真後ろからソラの胴体を狙って、シャルロットは素早く飛びかかった!
(……へ?)
が、何と、両腕でソラの胴体を掴む寸前、勝利を確信した瞬間、指が服を掠めるようなスレスレのタイミングで、ソラはまるで舞い落ちる木の葉の如くスルッとすり抜けてしまった。前のめりにバランスを崩している僅かな間に、ソラは横に回り込んでアイアンクローの形にシャルロットの顔面を捕らえた。
「は?」
そして全身が総毛立った。アイアンクローの隙間から見てしまったのだ。ソラの眼光が、まるで人が変わったかのように、獲物を狙う肉食獣のような光を宿していることを。さらに今、自分の顔面を捕らえる手からは底から沸き上がるような巨大な力に満ち溢れている。ソラがほんの少し力を加えれば、自分の頭などリンゴを潰すような感覚で簡単に握り潰されてしまうだろう。ミシッ……。自分の頭骨から嫌な音が響いた。
(……殺されるッッッッッッッッッッッッッ!!!?!!!?!!!?!!!?)
しかし、シャルロットの恐怖したようにはならなかった。
「おっと、いけない」
ソラがアイアンクローを解いたのだ。
(……た、助かった……?)
安堵の余り、ペタンとその場に座り込んで放心状態になってしまう。そこにソラが何事も無かったかのようにケロッと軽い笑みを浮かべて、
「ごめんね、ついうっかり」
「へ?」
全然悪いと思っていないような軽い調子で言ってきた。
「ほら、僕って後ろに目があるって言われるけど、別に本当に目で見ているわけじゃないからさ、直感だけなんだよね。体が勝手に動いているんだ。っていうか君、何かしなかった? 前にも似たようなことがあったんだよね。近所のいたずら小僧が後ろからちょっかい出してきてさ、つい頭を掴んでグシャッと。まあ、あの子は帽子を被っていたから滑って帽子を潰しちゃうだけのギリギリセーフだったから良かったけどね。うっかりミスって怖いね」
「うっかりミスでは済まされませんわッッッッッッッッ!」
間の抜けた恐ろしい話を聞き、怒りで我に返った。
「お、お、思った通りですわ! あ、あ、あなたのような大馬鹿者が、いつかくだらないミスで大惨事を巻き起こすのですわ! と、とんでもない人ですわ! も、もう少しでお」
と、そこまで言って火が付くほどに顔が赤くなる。まさか、おしっこが漏れそうになったとは言えないだろう。
「お……何?」
「何でもありませんわ! と、とにかく、二度とこのような……、あ、あら」
一先ず立ち上がろうと思ったが、未だに足が震えて力が入らないではないか。
「腰が抜けちゃったの? 怖かったんだね」
「怖くなんかありませんわ! 見なさい、ほら!」
手を地について立とうとしたが、ダメだ。ガタガタと震えていて、手も足もまるで力が入らない。四つん這いになっただけでそこから動けなくなってしまう。
「そう、人間ってのは、自分の意思とは無関係に体が動いてしまったり、言うことを聞かなかったりすることがあるんだ。自分の頭ではどう思っていようと」
そんなシャルロットの前に、ソラがしゃがみ込んで顔を覗き込み、
「体は正直だね♪」
「キィィィィィィィィィッッッッ!!」
今のこの姿は余りにも無様だ。ソラの前にカエルのように這いつくばって、何も知らない人には土下座しているように見えるだろう。
(……悔しいですわ! でも動けない。シクシク)
「さて」
「きゃああああああああっ!?」
今度はソラが両腕を伸ばしてきて、お姫様だっこに抱え上げられてしまった。
「な、何するんですのッ!?」
「いつまでも廊下に寝そべらせてはおけないよ」
「そ、それはどうですけど……」
それにしても、軽々と自分を抱きかかえるこの男の胸板の何とぶ厚いことか。薄手の運動服のすぐ下にギッシリと筋肉が詰まっている。両胸の大胸筋が盛り上がって高弾力があり、自分を抱える両腕が太く逞しく、大地が激しく揺れ動いてもこの腕の中ならば安心だろう。
(……って、何を考えているのですの、私は!?)
「ち、ちょっと、ソラ! 私をどこに連れて行く気ですの!?」
「それなんだけど、シャルはこれから予定あるの?」
「いえ、無いですけど。って、馴れ馴れしく名前を呼ぶんじゃありませんわ!」
「いや、シャルが僕をソラって呼んだから、その方がいいかなって思って」
「キィィィィィィィィィッッッッ!!」
墓穴掘り過ぎである。ソラの腕の中でバタバタと暴れてみるが、まるでビクともしない。
「シャルとは初対面なのに随分と悪いことしちゃったからね。ジーネ達の会議は夜まで続く予定だし、お詫びと暇潰しを兼ねて、僕がベルガスの街を案内しようと思うんだ。どう?」
「え、街を?」
ベルガスと言えば世界一の娯楽街だ。ここでしか経験出来ないことがいくらでもある。本当は兄と二人で街を回りたかったのだが、兄は仕事が忙しいから、いつになったら時間が空くか分かったものではない。むしろ、これを機に先に自分が街を調査しておいて、後で自分が兄を案内してあげる方が望ましいのではないか?
(……それに、ソラは生粋のベルガス育ちですわ。なら、地元の人間しか知らないような事も色々と知っているかも。い、いえ、いけませんわ!)
「ダメですわ! ベルガスは表通りは明るくて賑やかですけど、一歩裏通りにでも入ってしまえば、それはもう物騒で危険な所だと聞いていますわ。お兄様と一緒でも無い限り、そんな危ない所には行けませんわ!」
「それなら大丈夫。僕はボディガードだからね。今日一日、僕は君専用のボディガードだよ。何があっても守ってあげるよ」
「え、ええっ!?」
そう言われると、最初は凄く情け無さそうに見えたこの男も、何だか頼りになる気がしてきた。それに、ソラとは初対面と言っても、アロンゾ家のボディーガードという素性がハッキリしている男だ。見ず知らずの男に付いていくわけでも無いし、兄だって大丈夫だと思っているから、自分とソラを二人で外に出したのだろう。
「ソ、ソラがそんなに案内したいって言うなら、仕方ないですわね。罪の意識に苛まれては可哀想ですし、エスコートされてあげても良いですわ」
「決まりだね。フフッ」
(……はっ!?)
そこまで言ってしまってから、ソラの口元にニヤリと笑みが浮かんだのを見て、凄く胸騒ぎが起きてしまった。よくよく考えたら、ソラはいかにもお人好しそうな顔をしているが、これでもアロンゾ家の郎党ではないか。アロンゾ家はベルガスでは名家のように扱われているが、そもそもはマフィア集団である。国家公認マフィアだ。規模が大きくなった今でこそ遊園地やギャンブル場の経営が主力だが、元々は風俗とかの経営からスタートとしており……。
(……風俗!?)
「ち、ちょっとソラ! 具体的に、どこに行く気ですの!?」
「それは到着してのお楽しみだよ。でも、君みたいなお嬢様にはそう滅多に経験出来ない、大人の世界さ」
「大人ッ!?」
「そう、普通は十八歳未満は禁止されていることさ。でもベルガスなら合法だ。お金の心配はいらないよ。僕に任せておいて。一生忘れられない思い出になるよ」
(……こ、これはダメですわ!!)
「や、やっぱり行くのやめますわ!」
「女の子はみんな最初はそう言うんだ。怖いとか、痛いとか。そんなことを言っていては、いつまでたっても大人になれない。そんな女の子を優しくエスコートして、何としてでも連れ込むように、というのがベルガスの男達の中にある鉄の掟なんだ。シャルは十三歳だよね? その年齢なら、ベルガスの女の子はみんな経験済みだよ。せっかくベルガスに来たのだから、これを機に経験しておかなきゃ。大丈夫! 優しくするから」
「きぃぃぃぃやあぁぁぁぁぁっっっ!?」
この男、逃がすつもりなどまるで無い。このままでは本当に危ない。どうしようかと慌てていたら、ちょうど廊下をこの闘技場の警備員が通りがかった。
「そ、そこの人! 助けて下さいませ! さ、さ、さらわれますわ!」
「ん? おう、ソラじゃないか。その可愛い女の子は誰だ?」
呼び止めた警備員がソラと親しげに話始めてしまった。
「こちらはシャルロット・バルマー。あのランスロット・バルマーの妹さんです」
「主賓の妹さんの接待か! そりゃ美味しい役回りだな」
(……え、この二人、知り合い!? えっ、嘘、まさか!?)
頭が真っ白になって、何が起きているのか分からなかった。
「ソ、ソラ! あなたたち、グ、グルですのッ!?」
「うん。このベルガス中央闘技場はアロンゾ財閥の経営だからね。この人は警備主任さん。ここにいる人達はパートのおばさんまでみんな身内みたいなものだよ。今、ここにいるお客様はシャルだけ。他はみんな僕たちの関係者だよ。っていうかね、街中どこ行っても同じ。街全体がグルになってやってるんだから。シャル、君に逃げ場は無い」
「ひぃぃぃぃぃぃッッッッッ!?!?!?」
シャルロットの混乱ぶりを余所に、ソラと警備主任の話は続く。
「これから二人でどこ行くんだ?」
「このベルガスで接待と言えば、決まっていますよ。いつもの所です」
「そうかぁ。良かったな、お嬢ちゃん。コイツは優しいから、きっと良い思い出になるぜ」
ポンポンと軽く頭を叩かれて、
「じゃあな、ソラ。上手くやれよ!」
「はい。主任さんもお仕事頑張って下さい」
「え、あ、あの、ちょっと……」
それだけ言って、警備主任は行ってしまった。
「さて、じゃあ行こうか。僕も久しぶりだから、楽しみだなぁ。ドキドキするね♪」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!?!?!?!?」