空の妙法
(……不思議だ。ジーネが僕を信じてくれている。そう思えただけで、こんなにも気持ちが楽になるなんて)
ランスロットの印から光が照射され、その熱さをヒシヒシと肌に感じる。生成時に副次的に生まれる光だけでこの熱量だ。この直後に飛んでくる光球本体、それを受ければ自分は一瞬にして灰になってしまうだろう。しかし、ソラの胸に死への恐怖は無かった。
(……感じる。目に見えなくても、心で感じられる。BB砲の熱さ。そして、それ以上に熱く輝くジーネの気持ち。ううん、それだけじゃない。ランスさんの気持ち、シャルの気持ち、観客席からはナナも見てくれている。ナナの横にはゴメスさんもいるみたいだな。他にも知っている人が何人もいる。知らない人も大勢。人だけじゃない。舞台の隅に生える雑草。土の中には小さな虫達。頭上にふわふわと漂う雲。空気中に含まれる水分。足下に転がる小石。砂粒の一つ一つまで。何だろう、この感覚? まるで僕の心が、世界の全てと繋がっているみたいだ。もしかして、これが)
『そうだ。これが空だ』
突然聞こえてきたこの声、よく覚えている。小さい頃、ずっと聞いていた声。
『父さん、父さんなの?』
『そうだ、ソラ。たった一人で、よくぞこの世界に辿り着いたな』
しかし、父の問いかけにソラは心の中で首を横に振った。
『違うよ、父さん』
『ん?』
『僕は一人じゃない。一人だったら、ここまで辿り着けなかった』
父は静かにソラの言葉を聞いた。
『父さんが死んでから、僕はジーネに助けて貰って、今まで生きてきた。でも、ジーネだけじゃない。毎朝ナナとお話して、屋敷にはメイドさんがいて、街に出るとゴメスさんがいて。最近はシャルと出会って。ランスさんと戦って。色々な人と出会って、お互いに戦ったり励まし合ったりして、そうして今の僕がここにいるんだ』
ソラも静かに話し続ける。
『人と人の出会いだけじゃない。朝ご飯にお肉が入っていれば、そのお肉は元々はどこかの動物のお肉で。その動物は草を食べて大きくなったはず。その草だって、太陽の光や降ってきた雨で成長して。その雨も、急に何も無い所から出てきたわけじゃない。その前にどこかから何かが出てきて、雨になったんだ。みんなそうだ。誰だって、何だって、無から急に出てくるわけじゃない。その前に色々な何かがあって、その結果として今の僕がある。それが本当に感じられる今のこの感覚、これが空なんだ』
『そうだ、ソラ。よく気がついたな。この世にある一切の事象は、それ一つで完全な形を成すことは無い。互いに交差する関係性、因と縁に依ってのみ存在する。これを色即是空と言う』
『色即是空?』
『俺が考えたんじゃないぜ。大昔、俺の生まれた世界にあった経文の言葉だ。まあ、難しく考えることは無い。それ自体は当たり前なんだ。誰だって親は絶対いるし、友達だっているだろう。だが、どれだけ長い付き合いだって、他人の心が分かるわけじゃない。どこまで行っても分かるのは自分の心だけ。人間は自分自身の信じる心だけが真実なんだ。だから、時として人は自分を一人だと思う。何もかもに盲目となる。他人を信じられなくなる。親や友達、大切な人との因と縁を、嘘や幻、存在しないものと思い、無明の闇に閉じ込められる。そうして無明の闇に閉じ込められた者は、今の自分を形作る全てが嘘、幻だと思うようになる。だがな、そんな事は絶対無いんだ。そりゃそうだろ。全部が全部嘘なわけ無いじゃねえか。大事なのは、幻を幻と見分け、真実を真実と信じること。誰にだって、何にだって、真実の因と縁は必ずある! そして、因と縁を肌で感じ、真実を真実と信じ、他者を信じ、心を信じ、無明の闇に光を灯せば、世界の一切が視える。さすれば森羅万象は自由自在となる。それこそが俺たちの拳の極意、牙神流妙法『自在の拳』だ!』
父は極意に辿り着いた息子を見て、本当に満足げな様子だった。
『僕は、ずっと空を一人で身に付けようとしていたんだ。空は何も無いこと、空っぽって意味だと思って。心を消そうとして、何も持たないようにして、誰にも頼らないようにして。自分には何も無いと思って。だから今まで気づくことが出来なかったんだね。でも、それに気づかせてくれたのが』
『あのお嬢ちゃんだな?』
『うん。ジーネが僕を信じてくれているって言ってくれた。だから、僕は分かったんだ。僕は何も無くない。空っぽじゃない。ちゃんと、本当に心から大切なものを持っているんだって。僕って大事なことはいつもジーネから教えて貰ってばかりだ。今もまた教えて貰っちゃった。だから、僕はジーネの願いを叶えたい。僕を信じてくれるジーネの気持ちに応えてあげたい』
『あんなに泣き虫だったのに、すっかり一人前になったな。母さんも喜んでるぞ』
『え、か、母さん? 母さんもいるの?』
自分を出産すると同時に死んでしまったと聞かされる自分の母親。ずっとどんな人だったか知りたいと思っていた。
『いるじゃないか、ほら、お前の周りに』
『こ、これが、母さん?』
言われてみると、自分を暖かい何かが包み込んでくれているのを感じた。凄く自然で、凄く暖かくて、優しくて。生まれた時から一緒にいたので逆に気づかなかったようだ。
『暖かい。母さんは、いつも僕と一緒にいて、僕を守ってくれていたんだね』
生まれる前くらいの昔は、いつもこんな暖かさを感じていた気がする。成長するに連れて忘れていった本当の温もりだ。いつまでもこの暖かさを感じていたい。だが、いつまでもこうしてはいられない。
『もっとこうして、父さんと母さんと一緒に居たいけど。でも、もう行かなきゃ。ジーネが待っているから』
『そうだな。男らしいぜ、ソラ。それでこそ俺の息子だ!』
親元から巣立つ息子を、父は快く送り出した。
『行け、ソラ! 俺と母さんは、いつでもお前の近くにいる!!』
『うん、僕、頑張るよ! ありがとう、父さん、母さん』




