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鬼女

(……遅くなってしまった!)

 全裸だったジーネが下着を選んで、ドレスアップして、髪型を整えて、とそんなことをやっていたら一時間やそこらは過ぎてしまう。それから、酒を飲んで寝ていたケンさんを叩き起こして、フラフラと飲酒運転状態で走らせることしばらく、ようやく闘技場に辿り着いた。すでに二時間くらいは経っている。闘技場は、広大な円形の建物だ。中心部で闘士が戦いを繰り広げ、その周りをグルリと囲むように観客席が配置されている。観客席は階段状になっており、どこからでも座って闘士達の戦いを見下ろせるように作られている。

「お・そ・い・で・す・わ!」

 ジーネの手を引き、ソラが指定された闘技場の中、観客席に入ると、一番前の列でシャルロットが待っていてくれていた。案の定、怒っている。

「あ、いや、あの、その」

「言わなくても分かりますわ。その女ですわね!」

「あら、その女とは酷い言い草ね、クスクスクスクス」

「その笑い方、やめなさい! 勘に触りますわ!!」

(……あわわわわわわ!?)

 ここに至り、ようやくソラは気がついた。この二人はウマが合わない。特に何か接点が合ったり、ケンカしたわけもないのに、もの凄く仲が悪かった。歳が同じであるからライバル意識でもあるのだろうか? いや、それにしてもただ事ではない。

「まあいいですわ。お前にも関係ある話ですわ!」

「一体どんな話かしら?」

「大天秤大会は、中止ですわ!」

「え、ほ、本当に?」

 天の救いとも言える話にソラはパッと顔を明るくした。

「本当ですわ。本日、女皇陛下とお兄様の軍団が到着しましたわ。女皇陛下はこの大会には反対のご意向ですわ。お兄様の軍団を背景に、女皇陛下が中止を宣言すれば、この前のような暴動も起きませんわ。後はソラ、あなた次第でしてよ」

「え、僕が、何を?」

「女皇陛下は、あなたが戦いを望まないなら、中止してくれる。そう仰いましたわ。今すぐ私と一緒に陛下にお目通りし、中止を願い出るのですわ!」

「も、もしかして、シャルが女皇様にお願いしてくれたの?」

「お兄様があなたのような軟弱者をなぶり殺しにする所など見たく無いですわ! い、いいですこと? ソラは命の恩人として、この私を一生敬うのですわ!」

「あ、ありがとう!」

 やった! とソラは思った。正直な話、ここ最近のジーネの変調が気になりすぎて、とても戦える状態ではない。そもそも、最強のチャンピオンと、自分のような子供が戦うなどあり得ない。こんなとんでもないマッチメイクが生まれてしまったから、ジーネはおかしくなってしまったのだ。大会が中止になれば、ジーネはきっといつものジーネに戻ってくれるはず。ジーネが元に戻ってくれること。自分にはそれが一番大事だ。

 ではさっそく、とソラは客席の階段を一段下り、シャルロットの方へ行こうとした。

「ソラは私を裏切らない」

「えっ?」

 ジーネが呼び止めるので、ソラは後ろを振り向く。階段を一段下りていたので、ジーネの方が高い位置にあり、ソラは上を見上げた。次の瞬間、ソラは全身が総毛立った。

「んんんんっ!?」

「なっ!?」

 ジーネが、振り向き様に油断していたソラと唇を合わせた。

(……え、な、何ッ、何ッ!?)

 思わず混乱して身体が硬直する。その間に、ジーネはソラの口内に舌を侵入させ、所構わず蹂躙してくる。身に危険を感じて離れようとするが、ジーネは両腕でソラの頭を抱えてはなさい。ジーネに乱暴するわけにもいかないし、どうしたら良いか分からずされるが儘になってしまう。そして、月影が晴れてジーネの表情を照らす。ジーネは目を閉じていない。流し目で横を、それも見下すようにそちらを見つめている。いつもの微笑など少しも浮かべず、ただ価値の無いゴミを見るかのように冷たく。自分とソラが二人が何かするのに、無関係な者など知ったことではない。無関係な者など興味無い。無関係な者など目障りですら無い。無関係な者の話など聞こえもしない。無関係な者が見ていても気にもならない。無関係な者の事など記憶にも残らない。無関係な者など……。

「ギリッ……!!」

(……はっ!?)

 ソラの意識を引き戻したのは、広い闘技場に響き渡る乾いた歯ぎしりの音だった。この状況でそれが出来るのは一人しかいない。シャルロットだ。横目でシャルロットの表情を覗う。そこに浮かんでいたのは、怒りと、憎しみ、悲しみ、失望、興奮、嫌悪。色々な感情がごちゃ混ぜになって無茶苦茶になったような壮絶な表情だった。

「ん、ん、ぷはっ。あ、や、ひ、ひぃっ、ジ、ジーネ、や、やめ! うわっ!?」

 ようやく我に返ったソラがジーネを引き離すが、勢い余って階段を踏み外し、シャルロットの方へ転げ落ちる。シャルロットは、それを助けるどころか触れないように避け、ソラは最下段の石壁へ激突した。

「痛たたたたたたた……」

 思わずぶつけた頭を押さえるが、すぐに突き刺さるような視線を感じて顔を上げた。そこには、氷のように冷たい視線を投げかけてくるシャルロットがいた。少し短気だが感情豊かで明るいシャルロットが、まるで汚い物を見るかのように自分を見下ろしている。

「シ、シャル、違うんだ! これは誤解」

「汚らしい。見下げ果てましたわ、この畜生ッッッ!」

「えっ、ち、ちく……」

「可愛い顔して、親切な顔して、優しい顔して。少しは信用してもいいかと思えば、実はこんなゲスだったなんて。思い出しただけで寒気がしますわ。この私が何も知らずこんな男の操る馬の背中に乗せられ、あちこち連れ回されていたなんて。おぞましい。自分はあの女を裏切らないって、なるほどですわ。あんな何でも応えてくれそうな変態女が身近にいれば、そりゃ男なら手離したくありませんもの。あなた、あの女のボディーガードですものね? それもたった一人の。普段、二人きりで一体何やってますの? きっと私では想像もつかないような獣にも劣る汚らわしい行いを繰り返しているのでしょうね。気持ち悪い。吐き気する。虫酸が走りますわ。ケダモノッッッ! この畜生ッッッッッ!!」

 余りに酷い罵倒の連続に、足が震えて立ち上がれないくらいに傷ついた。

(……シ、シャルが、僕を拒絶してる。う、裏切られたって顔をしてる。に、二度と信用しないって顔をしてる。ぼ、僕の、運命のライバルなのに)

「このクズッ!!」

「うわっ!?」

 しかもそれだけで終わらず、跪いたソラを思いっきり蹴倒した。そして顔面を何度も何度もガシッガシッと足蹴にしてくる。

「クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!! クズッ!!」

(……えっ、ちょ、これ、酷過ぎ、嘘っ!? ひぃぃぃぃぃっっっっ!?)

 完全に戦意を喪失して顔を手で守るくらしか出来なくなったソラに、未だ階段の上にいるジーネが語りかけた。

「何をしているの、ソラ。反撃しなさい。蹴りには蹴りで応えなさい。あなたの得意の上段回し蹴りでその女の顔面を一撃してあげなさい」

「そんなこと出来るわけがないでしょ!!」

「お前……ッ!!」

 ジャキッ。

「は?」

 何と突然、シャルロットの両手の爪が鋭利に伸びた。そして無言のまま獣の如き動きで飛びかかり、五本の爪をジーネの白磁のように白い頬に向けた。

「えっ!? ちょッッッッッッッ!!」

 しかし、これは危機を察したソラが寸前の所で止めた。シャルロットの両手首を掴み止める。

「離すのですわ、ソラ!」

「シャル! それはダメ! ダメッ! 絶対ダメッ!」

「クスクスクスクス」

 ソラの背後という安全地帯から、勝ち誇るようにジーネの微笑が響いた。

「バカな人ねぇ。何を言っても無駄よ、無駄無駄無駄無駄。ソラはね、私を裏切らないの。私だけを裏切らないの。他の人は裏切ってもいいの。お前なんかはどうでもいいの」

「なっ、ちょ、ぼ、僕は別にそんなつもりじゃ。な、何言って……」

「この……亡霊ッ! 初めて会った時から分かっていましたわ。この女は生かしておいてはいけない! 私には分かりますの。この女は亡霊!! この女の目は生きている人間の目ではありませんもの。この女の心はとうの昔に死んでいるのですわ。不幸なことに、心は死んでも肉体だけは残ってしまった。そう、誰も信じられず、己も信じられず、夢も無ければ明日も無い。この女の心には何も無い。残っているのは身体に根付いた汚らわしい肉欲だけ。身体の欲するままに人々を虜にして世に災いを振りまく悪鬼。亡霊、邪霊ですわ! ガッ!?」

(……えっ?)

 何と、いきなりソラの背後から拳が飛んできた。ソラの顔の横をすり抜け、組み止められて身動き出来ないシャルロットの顎先を一直線に打ち抜く。脳震盪を起こしたシャルロットはグルッと白目を剝いてガクガクと膝が揺れた。倒れるシャルロットを抱き留めようとソラが拘束を解いた隙に、さらにもう一撃が繰り出された。殴り飛ばされたシャルロットはゴロゴロゴロゴロ! と人形のように無防備な姿勢で石階段を転げ落ちて最下段の石壁に激突した。

「ハァッ!! ハァッ!! ハァッ!! ハァッ!! だ、黙って聞いていれば、ペラペラペラペラペラペラペラペラ……。この売女ッッッッ!!」

 呆然とするソラを尻目に、肩で息をするほど興奮したジーネは猛然と階段を駆け下り、大の字に横たわるシャルロットに馬乗りになった。そして両腕を振り上げ、抵抗力を失ったシャルロットに怒濤の如く殴打を加えていく。

 ガゴッ!! ガッ!! ゴッ!! ゴッ!!

「このッ、売女がッ! 売女はッ、売女らしくッ、黙ってッ、宿でッ、寝てればッ、いいものをッ!! だったらッ、私がッ! お前にッ、ふさわしくッ、宿にッ、叩き込んでッ! そこでッ! 一生をッ、終わらせてやるッ!! お前は一生ボロ雑巾だッッッッッッッ!!!!!!!!!!」

 ガッ!! ゴンッ!! ガンッ!! ゴッ!!

 遂にはシャルロットの両腕両足がビクビクと痙攣を始めた。

「ひぃぃぃぃぃっっっっっ!? な、何やってるんだ、ジーネッッッ!! やめ……ん!?!?!?!?」

 これはいけない! と止めに入ろうとしたソラだったが、それより早くジーネが殴打を止めた。動きを止めたジーネの視線の先は、自分の右拳だ。ジーネの右拳が鋭利な刃物でやられたように大きく横一線に切り裂かれていた。ポタポタと流れ落ちて血がシャルロットの口元へと滴り落ちていく。気がつけばシャルロットの痙攣は止まり、その四肢は黄金色の体毛に覆い包まれていた。

「ガルルルルルルルル……」

 ドゴッ!!!!!!!!

「ゲボォッ!?」

 身体が浮き上がる程に強烈な拳による一撃がジーネの腹にめり込み、身体が大きくくの字に折れ曲がる。その隙にジーネを突き飛ばして、シャルロットはマウントポジションから逃れた。

「よ、よくも……この……狂人がッ!!」

「ゲボォォォォォォォッッッッッ!?!?!?!?!?」

 起き上がるとすぐさま、全力で腹を蹴り上げる!

「ゲホッ!? オゲェ!!」

 地に這いつくばって悶絶するジーネの横に、金色の狼が立ち上がっていた。顔の全部を除く全身は黄金の体毛に覆われ、目はランランと赤く輝く。両手の爪は鋭利に研ぎ澄まされ、口からは上下四本の牙が大きく伸びる。うち、牙の一本からは赤い血が滴り置いていた。

(……ライカンスロープの本性!?)

 狼のライカンスロープ、シャルロット・バルマーが遂に真の力を解放したのだ。

 これを見たソラの頭は、事前に思い描いていた姿と余りに違ったので、すぐさま現実を受け入れることが出来なかった。この修羅の状況とはまるで乖離した、それこそ場違いな、間の抜けた感想を抱いて思考が止まってしまう。

(……えっ、こんなになっちゃうの?)

 ライカンスロープと呼ばれる者達のうち、男は総じて気軽にポンポン変身する。人によっては日頃から変身形態を取っているくらいだ。だが、女性は滅多に変身しない。耳と尻尾を出すくらいに留めておくのが社会通念なのだ。ただ、男の場合は二本足で歩く動物と言って良いくらいに動物面が強く出るのに対して、女性の場合は人間面が強いと聞いていた。だから、ソラは可愛い女の子は変身しても可愛いままなのだろう、と勝手に思い描いていた。全然違うではないか。なるほど、確かに顔周辺に体毛は生えないし、鼻や口が本物の狼のように前に伸び出したわけでもない。物理的には人間面が強いと言える。言えるのだが、表情が激変して獣そのものではないか。下手に人間的な面構えが残っている分だけ逆に恐ろしい。あの目の赤い輝きや、生えた牙から滴り落ちる血液を見ると、まるで人が人のまま、魂だけ獣に成り下がってしまったかのようだ。あんなに純粋で真っ直ぐだったシャルロットがこのような姿に豹変してしまうとは。有りの儘ををすぐに受け入れることはできなかった。

「ゲホッ! ゲホッ! ……クク、クク、アハ、ハハ。し、正体を現したわね。見なさい、ソラ。これがこの女の正体なのよ。勉強になったでしょう? 世の中にはね、こういう女がいるの。最初のうちは男から好意的に受け取られるよう媚びへつらい、男が気を許して油断した瞬間に本性を露わにして寝首を掻く。こんな小娘でもこの調子なのだもの。世間の大人なんて考えるだけでもおぞましいわね。分かったでしょう? 人はね、裏切る生き物なのよ」

「グルルルルルルルル……。お前は人の世に生きるべきではありませんわ。懸命に生きている人間を疑心暗鬼に突き落とす、この世で最も罪深い魔性の権化……ッ!」

「さあ、ソラ。もう迷いは無いでしょう? この裏切り者を生きながら地獄に落としてあげなさい。心と体に永久に消えない傷を作ってあげなさい。この女の世界を、その醜い心根にふさわしい苦しみと憎しみだけの世界に変えてあげなさい」

「もう分かりましたわね、ソラ? 世のため人のため、あなたが生き残るため、この救いようの無い亡霊をこの世から滅するべきですわ。この淫売に相応しい、冥府魔道の畜生界へと叩き落としてやるのですわ!」

「ソラ」

「ソラ!」

「ソラ」

「ソラ!」

「ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃ……」

 恐ろし過ぎる。ソラの目の前で、美しく清らかで愛らしかった二人が、共に鬼へと身を堕としてしまった。まるで地獄のようだ。とても正視に耐えない。身体を震わせ、頭を抱えてその場に蹲ってしまう。

「ちっ」

「やっぱり、思った通りの軟弱者ですわ! こうなったら……」

 二人の間にヒュゥゥゥと肌寒い一陣の風が吹き抜けると、シャルロットは両手の爪を構えて飛びかからんと身をかがめた。ジーネは観客席に並ぶ自分の身長よりも大きい石製のベンチに手を掛けると、バキバキと力任せに引きちぎり、大上段に担ぎ上げた。

「シャァァァァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!」

「ぬううううううああああああああああッッッッッ!!!!!!!!!!!!」

 そして、シャルロットが獣の動きで飛びかかり、ジーネがそれを巨石で叩き潰さんとするその時、ドン!ドン! と二発の魔法弾が飛んできて二人それぞれの足下を直撃した。地面が溶解して粘着し、足を取られる。

「子供の喧嘩だと思って黙って見ておれば、度が過ぎる!」

「お兄様!?」

 階段の上を見上げると、そこには白色の騎士服を着た鉄仮面があった。

「シャル! 自分に任せろと言うから任せてみれば、何たる始末だ!」

「ご、ごめんなさい……」

 降りてきたランスロットがシャルロットを一喝すると、シャルロットは子犬のように怯えて変身を解除した。

「ジーネ嬢! 貴女程の賢い方が、一体何をやっておられるのか!」

「お見苦しい所を失礼致しましたわ」

 ジーネも巨石を地面に転がして、落ち着きを取り戻したようだ。

(……よ、良かった)

 ランスロットが現れて、何とかこの場は収まったようだ。と、ホッとするのも束の間。

「そしてソラ! この場において、貴様が止めずして、一体誰が止めると言うのだ!! ただ為す術も無く震え上がるのみとは、何たる醜態! 恥を知れッッッ!!!!!!!!」

「ひぎゃっっっ!?」

 ソラは思いっきり鉄拳制裁を受けて地に倒れ伏した。

(……ううっ、もう死にたい)

「さっさと起きんかッ!!」

「は、はいぃぃっ!!」

 一喝されてすぐに起き上がった。これでようやく場が締まったようだ。流石はランスロットだ。威厳がまるで違った。


「さて、大きく話がズレたようだが、要件はシャルから聞いたはずだ。バレス将軍の言語道断の不始末によって、大天秤大会は私とソラ君、君との対決になったわけだが、今ならば女皇陛下に願い出て中止して頂くことが可能なのだ。私からは何も言うことは無い。大会を決行するも中止するも、君の意思一つだ。自分で決めたまえ。君は私と戦うつもりがあるのかね? いや、戦って勝つつもりがあるのかね?」

「そ、それは……」

 改めてランスロットに訪ねられ、ソラはチラリとジーネの様子を伺った。特に何も言わずに平静と同じ薄い微笑を浮かべている。

「言うまでも無いことだが、私は戦う以上、手加減はしない。私は無意味な殺生は好まぬ。だが試合の結果として、たまたま生きるか死ぬか、それは知ったことではない。試合中に私の一撃を受けて、果たして君は生き残ることが出来るかどうか。このようにな。ぬん!」

「うわぁぁぁぁっっっっっ!?」

ランスロットが拳を握って無造作に床をぶん殴ると、床が破裂するように爆発したのだ。爆風でソラは吹き飛ばされる。起き上がったソラが目にしたのは、観客席の石床に空いた大きな穴だった。城壁を破壊したソラの蒼空十字拳よりも二回りは大きい。

(……ぼ、僕は、全体重を掛けての渾身の一発であの威力だった。なのに、ランスロットさんは軽く殴ったけで僕より強いなんてッッッッ!?)

「火魔法バースト・インパクト。火魔法の中では中級の技だ。分かるかね? 君は自らの肉体を鍛え上げて強力な打撃力を身に付けたようだが、そんなことは魔法を使えば簡単に再現出来るのだ。魔法の神髄は森羅万象、自然の全てを理解することにある。君がいくら自らを鍛え上げようと、それは君個人の力に過ぎん。大いなる自然の力を借りることのできるこの私に勝てるはずが無いのだ。それでもこの私と戦うと言うのか、ソラッッッッ!!!!!!!!」

「あひぃぃぃぃぃぃぃっっっっっ!?!?!?!?!?」


(……終わりましたわね)

 ソラと兄のやりとりを見て、シャルロットはフゥと静かに一息をついた。これだけ脅せばソラもまさか戦うなどとは言ってこないだろう。緊張と、心労、想定外の乱闘で精根尽き果てたが、どうやら目的は果たせたようだ。

『僕はジーネを裏切らない』

 あの時のソラの言葉は、今もシャルロットの脳裏に焼き付いている。

(……裏切らない。そうですわ、ソラ。裏切らないとは、生きることですのよ。お父様が自ら命を絶った時、お母様が後を追うように亡くなられた時、私はどれほど深い絶望の闇に囚われたことか。そして、お兄様が傍にいて下さったことで、どれほど私が救われたことか。でも、男の人は分からず屋ですわ。男の人は、命を賭けて戦うことが裏切らないことだと思っていますの。お兄様もそう。私はただ、お兄様が傍にいて下されば。いいえ、お兄様が生きていて下さるだけで、どんな所でも生きていける。でも、お兄様は私に裕福な暮らしをさせたいと、自ら危険な道に足を踏み入れた。今でも軍人ですわ。男の人はそれが分かりませんの)

 シャルロットが夜空を見上げると、月が美しく輝いている。ランスロットが戦いに出る前の晩、いつもシャルロットは月にランスロットの無事を祈っている。もうあのような祈りはしたくない。二人で静かに月見をして暮らしたい。

(……気付くのですわ、ソラ! お兄様と戦えば、あなたは絶対に助からない。裏切らないとは生きて帰りを待つ者の元へ帰ること。生き残ることが裏切らないことですわ。これは敵に塩を送るということですわ。私から、運命のライバルに……)

「戦います」

「はぁっ!?!!!?!!!?!!!?!!!?」

 しかし、ソラの口から出て来たのは真逆の答えだった。

「戦います。ヒック、ヒック。戦います。僕は、戦います」

 腰を抜かし、肩も足もふるわせ、顔も青ざめてポロポロと涙を流しながら、それでもソラは戦う、戦う、と何度も何度も繰り返す。

「ほう、戦うか?」

「戦います。戦わせて下さい」

「なっなっなっ……」

 余りの事に声が出なかった。数瞬置いてようやく、

「何言ってますの、ソラッ! そんな震えて、涙を流して、何が戦うですの! 冗談も大概にするべきですわッ! 死にたくないと、さっさと認めなさい!」

「自分で……、決めたんだ……」

 シャルロットが決死の剣幕で食ってかかるが、ソラの答えは変わらなかった。

「シ、シャル。き、君が、ジーネと戦っている姿を見て、ようやく分かったんだ。ぼ、僕は今まで、戦って来なかった。ずっと、逃げ続けてきた。き、君のような強い気持ちが、ほんの少しでも僕にあれば、こ、こんなことにはならなかったはず。僕は強くならなければいけない。だから、ぼ、僕には、この戦いが必要なんだッ!!」

「クスクスクスクス。よく言ったわ、ソラ。そうよ、私はソラに戦って欲しいの。それも強い人と。ランスロット様のような強い人と、命懸けで、死線ギリギリまで戦って欲しいの」

「この……、亡霊がぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッ!!!!!!!!」

「やめろ、シャル。話は決まりだ」

 再びシャルロットがジーネに襲いかかろうとしたが、それはランスロットが止めた。

「ソラ君、君の決意は認めよう。だがもう一つ、実力の程を見せて貰おうか。如何に決意が固かろうと実力が伴っていなければ話にならぬ。私とて、公衆の面前で実力の足らぬ無謀者を一方的に虐殺することは出来んからな」

 そこまで言うと、ランスロットがパチンと指を鳴らす。

「ガオオオオオオオオオッッッッッッ!!」

「きゃああああああああ! な、何ですの!?」

 闘技場の中心部にある舞台の西の入り口から、地の底から響いてくるような咆吼と共に、ランスロット配下の者の押す台車に乗せられて巨大な獣が出て来た。全身真っ白な地毛に、黒の縞模様。そして剣のような非常に長い牙に、鋼のように太く強靱な両足。体長は余裕で五メートルくらいはありそうな、巨大な白虎だ!

「ソラ君、ベルガスの住民である君なら知っているだろう?」

「僕もニュースで見ただけですけど、あれは最近、ベルガス近郊で暴れ回っていると大問題になっている人食い虎ですか?」

(……あっ!?)

 そういえば今朝方、ランスロットがなにやら見知らぬ資料に目を通していたので、気になって当人がいない隙に見てみたのだ。そこには確かに人食い虎について書かれていた。そこに書かれていた白虎、牙、巨大さといった外見的特徴が、確かにあの虎と一致している。

「ベルガス駐留警察では手がつけられんと聞いたので、先ほど私が捕獲してきたのだ。君の実力の程を見るには丁度いい相手だろう。ソラ君、大天秤大会で私と戦いたいならば、まずこの虎と戦って勝ちたまえ」

「分かりました」

「なっ、ちょ、ちょっと、お兄様!?」

 シャルロットはあの資料を読んだから知っている。あの虎は、年間三百人は人を食っている狂獣だ。先日、この被害は見過ごせないと駆除に乗り出したベルガス駐留警察の機動隊数十名も全員エサになった。機動隊数十名でも勝てないものを、ソラ一人で戦って勝てるわけないではないか。それどころか、エサになって死体も残らない。

「お兄様ッ! 昼間にどこかに出掛けられたと思っていたら、この虎を捕獲に行っていたのですわね!? な、何て危険なことをなさいますの! い、いえ、お兄様なら楽勝かもしれませんわ。でもソラには絶対無理ですわ! い、いえ、そもそも何でわざわざこんな化け物をけしかけますの!? お兄様の配下で適当な者を当てれば良いだけのことですわッッッ!!」

 シャルロットは必死でランスロットに懇願するが、

「シャル。これはランスロットさんの好意だよ。いきなりランスロットさんと戦っても勝ち目が無いから、事前に出来るだけ強い練習相手を用意してくれたんだ。ありがとうございます、ランスロットさん。確かに厳しい相手ですが、頑張ります!」

 ソラに全く引く気が無いので止められなかった。

「対決は明日だ。私と戦いたいのならば、まずはこの白虎を倒したまえ。この白虎を地に伏すことが出来たならば、私は君の挑戦を受けて立とう」

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