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白金の医術師 黄金の薬術師  作者: 木瓜
こぼれ話
95/99

恋文2

 次にダルバが目を覚ますと、すでに朝になっていた。

 正直、手術中のことは思い出したくもない。どれほど早く気を失いたいと願ったことか。


 ダルバの意識がなくなったのは、すべての手術が終わった最後の縫合の時で、結局ほぼすべての手術を鏡越しに見たことになる。


 嫌なら目を閉じるなり、そらすなりすれば良いのだが、見なければ見ないで何をされるのか不安でつい全部見てしまった。

 自分の腸やら腎臓やらを見る貴重な体験だったとは、冗談でも言いたくない。



 ダルバはふと右腕の内側にひどい痒みを覚え、左手をあげようとしたが、やはりぴくりとも動かない。まだ魔術で縛り上げられたままらしい。


「ああ、目を覚ましたんだね。どうだい、体調は?」


 声のする方へ目を向けると、エールが部屋に入ってくる姿が目に映る。


「腹が痛てえ。あと右腕の内側が異常に痒い。頼む、掻いてくれ」


 痛みはまだやせ我慢出来るが、痒みは我慢出来ない。ダルバは恥を捨て、頼み込んだ。


「傷は……次の痛み止めを打つ時間まで我慢してもらうしかないが、腕はかゆみ止めの軟膏を処方してあげよう」

「――あの男は?」


 ダルバは探るように聞く。


「ん? アルツかい? 彼なら、今朝早くに村を出たよ」


 ダルバはすぐ仕返し出来ないことに、内心舌打ちをする。

 そんなダルバの不穏な考えに気づく様子もなく、エールはダルバの腕を診て、難しい顔をした。


「ああ、ひどく腫れ上がってるね。これは確かに麻酔を使っていたら大変なことになっていたよ」


 右腕を眺めながら独り言のように呟くエールに、ダルバは眉を潜める。


「――どういう意味だ。麻酔を使わなかったのは嫌がらせじゃないのか?」


 ダルバの言葉にエールは苦笑しながら首を振る。


「まさか。そんな嫌がらせで麻酔を使わないなんて無茶なこと、医術師はしないさ。君に麻酔薬のアレルギー検査をしたんだよ、右腕の痒みがある部分がそうだ。そうしたらかなりの反応が出てね。そんな麻酔薬を使用したら、下手をすれば命に関わる。うちの治療所は昨日も言ったが設備も薬も揃ってなくてね、麻酔薬も1種類しかないんだ。だから、君に麻酔薬を処方したくても出来なかった。一応彼が持っていた一番強い痛み止めを使ったんだが、それでもかなり痛かっただろう、すまなかった」



 エールがそう頭を下げるので、ダルバはそれ以上何も言えなかった。



「……じゃあ、鏡もなんか意味あんのか?」


 もう取り外されていたが、天井を指しながらそう問うと、エールは微妙な笑顔を浮かべた。


「う~ん、あれは……懲罰的意味かな」


 エールの答えにダルバはがっくりする。


「いや、多分君みたいに血に慣れてそうな人間なら、見えた方が安心出来ると思ったんじゃないかな。見たくなければ目をつむれば良い話だし」


 確かに気になって全部ガン見していたのだが、ダルバにはどうしても嫌がらせの意味が強いように感じられ、思わず深いため息が出た。


 過ぎたことはもうどうでも良い、それよりこれからの話だ。ダルバはそれらを確認するため、再び口を開く。



「仲間は? 俺たちはこれからどうなるんだ、監獄行きか?」


 エールはその質問に「いいや」と首を振った。


「君の仲間2人はまだ未成年だから孤児院に送られるよ。犯罪を犯した子らが集まる特別な孤児院にね。君は成人してるだろう」


 エールが確認するように問うので、ダルバは頷き答えた。


「21歳だ」

「ああ、アルツと同じ年だね」


 何気なく洩らしたエールの一言にダルバはひどく衝撃を受けた。昨日、楽しそうに人の腹をかっさばいたあの男が自分と同じ年の人間だということに。


 同じだけの年数を生きてきたと言うのに、かたや未成年の少年らに威張り散らかすしか能のない盗賊、かたや年上の男から尊敬の念を抱かれるような立派な医術師。

 あまりの違いに我が事ながら、格好が悪くひどく情けなくなる。しかも、自分の人生の先にあるものは……


「なら、君は教会の矯正施設に行くことになるね」


 エールの続く言葉に、ダルバは息を詰めた。


「どういう事だ? 俺は死刑じゃないのか?」


 未成年2人の処遇はまだ納得がいく。しかし、とうに成人しているダルバには、国から厳罰が処せられるはずだ。人を殺めたことはないが、これまで幾人もの人間を傷つけ金品を奪ってきた。国の法に照らせば、普通だったら死刑になるはずだ。


 信じられないといったふうに首を振るダルバに、エールは難しい顔で言葉を掛ける。


「君が普通に旅人を襲って捕まったなら、そうなっていただろうね」

「――――なぜそんな処遇になった」

「君が襲ったのが、アルツだったからだよ。彼は教会の監視官だ、彼の権限で君たちを捕縛したから、君たちは国ではなく教会の管理下に置かれることになった。アーリリア教は教義上死刑は認めていない。よって君が死刑になることはないんだ」


 エールの言葉を黙って反芻したダルバは、喉が潰れたようなしゃがれた声で呟く。


「俺は……、俺はあいつに情けを掛けられたのか」


 何もわざわざアルツ自身がダルバ達を捕まえる必要はない。ただ、村の警らの人間につき出せばすむ話だ。

 アルツが手間を掛け教会につき出す手続きをした理由があるとしたら、ダルバの命を助けるため以外ないだろう。


 襲おうとした人間に情けを掛けられ、命を救われる。その事実は命拾いしたダルバを喜ばせることも、安堵させることもなかった。ただひたすらに情けなく、悔しくてたまらない。


 ダルバは唇を噛みしめ、今にも爆発しそうな感情を堪える。そんなダルバの様子を心配深げに見つめていたエールはさらに声を掛けた。


「アルツはそんなふうには考えていないよ。ただ、せっかく助けた命をむざむざ国に奪われるのもしゃくだとは言っていたけどね」


 意外な言葉に、ダルバは悔しさをいっとき忘れ、エールを見つめた。


「君は本当に危険だったんだよ、アルツに手術をしてもらっていなかったら。出血がひどかったから、あのまま手術をせずに放置すれば君は今頃死んでいただろう」


 アルツが危なげなく簡単そうに手術をしていたから、たいした怪我では無かったのだろうと思っていたダルバには更なる衝撃だった。


「しかも、普通だったら片方の腎臓は摘出されるような症例だ。君の腎臓が今2個とも揃っているのは彼のおかげだよ。その上、彼はここでの治療費も支払っていった」


 追い打ちを掛けるようなエールの言葉の槍に、ダルバはただ貫かれるしかない。


「――だから、どうか彼を逆恨みするようなことはしないで欲しいんだ。君を捕まえたのは確かに彼だが、彼は君に対して決して非道な行いをしたわけではないんだよ」


 つらつらとエールがダルバに説明を続けたのは、これが言いたかったのだろう。すべてを聞かされたダルバは力なく首を振る。


「そんな話を聞かされて、やり返そうとはさすがの俺でも思わん。だが、あいつに会おうと思ったら、どこに行けば良いんだ?」


 ダルバが矯正施設に入れられるのなら、何時かは外に出られるのだろう。その時、ダルバはアルツに会いに行かなければならない。


 エールが戸惑った表情をしたので、ダルバは誤解を解くため言葉を続けた。


「金を返したいんだ、治療費の。それに礼も」


 ダルバはこれ以上自分を情けない人間にしたくなかった。ここまでされて、礼も言えないような男に成り下がりたくなかった。


 ダルバの言葉を聞くと、エールはぷっと吹き出す。


「――笑うことか」


 思わずムッすると、エールは「すまない」と笑ったことを詫びた。


「彼にね、もし君が金を返したいと言ったら、教会に寄付してくれと伝言をもらってたんだ。僕は正直それを聞いた時、盗賊だった君がそんな義理堅いことを言い出すはずがないと思ったんだが、彼の方が君を良く見ていたんだね」


 なんだか考えを見透かされたような気がして、ダルバは頬に血が上るのを感じた。俯くダルバにエールはアルツの伝言の続きを伝える。


「寄付の金額は君が今回の件に相応すると考えた額でいい。その代わり、汚れた金は名が穢れるから絶対止めろ、だそうだよ。そして、寄付する時の名義はこれでしてほしいそうだよ」


 そう言いながらエールはダルバに一枚の紙を見せた。それを見たエールは首を傾げる。


「――――誰だ?」

「さあ? 僕もそれは聞いていない」


 エールの答えに釈然としない気持ちを抱きながら、ダルバはこの借りをどうやって返そうと、何時に無く奮い立つ思いを感じていた。

 ダルバが金を返すと言い出す人間だとアルツに思われていた。ならば、このまま放置して金を返せない情けない人間だと思われるのはシャクだ。

 だから、これはダルバのプライドの問題なのだ。己の矜持に掛けて、ダルバは何年かかっても必ずアルツに金を返す、そう自分の心に強く刻みつけた。


 ――でも、名義が別の名なら俺が金を返したか、あいつには分からなくないか?



 ふと、その可能性を思い付き、やはり本人に礼を伝えるため会いに行こうと改めてダルバは決心するのだった。



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