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指定された場所は謁見の間などではなく、国王の私室のようだった。豪華絢爛であることは間違いないが、むやみやたらと華美というわけでなく、質が高いが落ち着いた色彩と意匠が施された室内はゆったりと過ごすのにそぐっている。
その室内で国王は、最初に教都で会った時のように机の上の戦略模擬盤をいじっていた。この人はやはり、どこまでいっても戦場の人間なのだ。同じように何時も盤上遊戯をいじっていた父さんを思い出し、心がしんとする。父さんは、オレにこうした人間になって欲しくなかったのか。
「――アルツ=ウィルニゲスオーク、参りました」
オレが部屋に入り、声を出して初めて国王はオレの方をチラリと見遣った。そして、肩の大鴉にも目をやると、すぐさま盤上に視線を戻す。
「ヴァン=ウィルニゲスオークは毒を飲んだよ」
その言葉にオレが何も返さないと、国王はそのまま続けた。
「お前に仕掛けたものと同じ毒だ。わしが手のものをやった時にはすでに事切れておった」
そう言いながら、盤上の歩兵を示す駒を倒した。ヴァン=ウィルニゲスオークはただの歩兵か、捨て駒はその役目を終え、姿を消した。そのことにオレは何も思うことがなかったので、そのまま沈黙を守ると国王は話題を変える。
「もうすっかり良いようだな。さすがは癒やしの巫女の『蘇生の術』だ。数時間前に倒れた人間だは到底思えなぬよ」
オレは今、無表情を保てているか? ちくしょうレーヴァン、こういう事は、前もって教えとけよ。
オレが心の中で罵倒していると、レーヴァンが耳元で囁く。
「国王と繋がっている大神官が複数います。貴方が守護騎士であることをご存知なので、そこから巫女様の正体を推測しているかと」
情報が遅いわ! ってか、そんな大神官を放置するな。思い切り膿だろうが。
「全く情報が行かないと、こういう人物は疑心暗鬼になって逆に厄介なのですよ。渡す情報が操作できるので、現状が一番やりやすいんです」
さようですか、ところでオレの心読んでない?
「貴方が知りたいと望んでいることが分かるだけです。心が読めているわけではありません」
本当に? すっげえ胡散臭いんですけど。
レーヴァンの胡散臭さは後で考えるとして、国王の返答を優先することにする。
「シアルフィーラ様の適正な処置のおかげで大事に至らず済みましたので、『癒やしの術』は受けておりません。それに、シアルフィーラ様は癒やしの巫女ではありませんよ。何か勘違いをしていらっしゃるようですが」
とりあえずとぼけてみた。
「耳の魔具はお前が作ったものだろう。二つある一つは髪の色を変え、もう一つは性別を変えるものか。さすが当代一の白金だな、うちの魔術師はどれも見破れず騙されておったわ」
再びレーヴァンが耳元で囁く。
「巫女様は耳の装身具をアルツの指示通り、左、右の順で両方外しております」
教えてくれたおかげで国王のひっかけに掛からず助かったが、オレがシアに白金をばらす時の装身具の外す順番を指示したの、ダリヤ殿の家で寝台の上で一緒に寝ている時なんだけど……。どこまで出歯亀してんだよ。
「両方とも髪の色を変えるまやかしの魔具です。一つだけだと何かの拍子で外れた際不安なので、保険のため同じものを二つ付けていました」
片方だけ外すと、もう片方はなんの魔具だと勘ぐられる可能性があるとダリヤ殿の所で気がついた。だから外す時は、性別を変える魔具である左を先にはずすよう指示してある。そちらを外しても、レーヴァンに性別を変えられている今はなんの変化もないからこの言い訳がたつ。
しかし、レーヴァンの言葉がなければうっかり引っかかる所だった。まったく性格の悪い国王だ。
オレがあくまでも否定する態度に業を煮やしたのか、国王は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ここにはわしらの他に誰もいない。認めても構わんだろう、お前が守護騎士であることをわしは知っている。お前とあの者が恋仲であることは周知の事実だ。ならばあの者は巫女本人なのだろう」
う~ん、シアとラブラブなのをあんまり見せびらかすのはマズイのかな。これから教都で暮らしていたら、他の大神官も不審がるだろうし、そのことについても色々考えとかないと。
呑気に考え込んで国王を無視していたら、不興を買ったらしい。国王は目に見えてイライラし始めた。だって、肯定するわけにはいかないじゃん。
「あくまでしらを切る気か?」
「肯定できる内容はないので、何もお答えすることが出来ません」
国王はちっと舌打ちする。
「では、お前が龍を殺したことは肯定できるのだな」
「――いずれ知られることでしょうが、あまり騒がれたくありませんので内密に願います」
龍の鱗からそのうち神殿が龍を手に入れたことはばれるだろうと思っていたので、これは正直に頷いた。
「ならば、お前は不老不死になったから毒を飲んでもピンピンしているのか?」
「――龍を殺すと不老不死になるという話は初めて伺ったのですが、それを本当に信じておいでになるのですか?」
貴方、超リアリストに見えるんですけど。
「お伽噺のようだが、インバシオンの呪術の恩恵を預かっている身なのでな。一通りは信じておる。まあ、この件に関しては実際にお前を殺して死ななかったら信じようと思っていた。事実お前は死ななかったぞ」
思わずため息が出る。
「毒を飲んでいなかったので死ななかったのですよ。では、『龍を殺した者の心臓から直接血を飲み干せば、永遠の命が得られるという秘術がある』というのも実際やってみてから信じると仰るのか。私は貴方からある程度評価されていると自惚れていましたが、そんな一か八かの呪術の材料にされる程度の価値しかなかったのですね」
「フィーリアから聞いたのか。人をたらし込むのが相変わらず上手いな、あれと血は繋がっていないがそんなところはよく似ておる」
父さんと似ていると言われ、少し嬉しくなる。が、似ていると言われる箇所が微妙だな。
「――もし、本当にお前が不老不死なら心臓に穴を開けたぐらいじゃ死にはせんだろう」
なんだよ、結局信じてるじゃないか。誰か国王にこんな恐ろしい呪術はデタラメだって否定してくれよ。
「その呪術は嘘っぱちですよ」
鴉の姿のまま、レーヴァンが否定してくれた。
「しゃべんな馬鹿!」
思わず肩に乗ったレーヴァンを反対の拳で殴る。ゴガッといい音がし、レーヴァンは黒い翼で頭を抱えた。
「痛いではないですか。デタラメだと否定して欲しいと望んだのは貴方なのに」
「うるさい、何人外生物だとばらしてるんだ。お前は黙って威嚇してるだけで充分だ。だいたいお前みたいな胡散臭いのが否定したって、真実味がない」
「酷いですね。貴方は信じなくてもこちらの国王は信じてくれるかも知れないじゃないですか」
「――――お前はいつの間に誘う者とそんなに仲良くなったのだ」
オレとレーヴァンのやり取りに国王は呆れた口調で突っ込みを入れた。仲良くないぞ、全然。
「貴方のおかげでアルツと友人になれました。お礼を申し上げます」
レーヴァンは誇らしげに胸を張り、慇懃に頭を下げる。鴉の姿で。変だよ、それ。
「わしのおかげ、とは?」
「貴方がアルツにちょっかいを掛けるので、その対策として私を使って下さる約束をして頂けました。今回のことがなければ、この結果は得られなかったでしょう。本当にありがとうございます」
それは確かだが、こうもウキウキ礼をいう姿を見るとむかつく。
「――契約を交わしたのか? 誘う者と」
「いいえ、互いに束縛し合わない友人関係です。うらやましいでしょう」
オレに対する質問にもレーヴァンはさらうように答える。はしゃぎすぎじゃないのかお前は。黙らせるため、その頭を掴もうと手を伸ばすとするりとかわされ、そのまま肩から離れた。そして国王の肩に移ると、耳元で囁く。
「龍を殺した者が不老不死になるのも、その者の血を飲めば不老不死になるというのもデタラメですよ。
私が知りうる限り、今まで龍を殺した者は2人だけ。千年前に『神』と呼ばれた者と、アルツの2人です。
その両者とも不老不死などではありませんし、国王が信じていらっしゃる呪術について、私もだいたい存じ上げていますが、その半分はデタラメですよ。
私の言葉を信じるも信じないも貴方のご自由です。ただ、貴方がどんなにアルツを欲しがり、手を尽くそうとも無駄に終わることだけはご了承下さい」
高慢にいい放つレーヴァンを国王は忌々しげに振り払う。レーヴァンは再びオレの肩に舞い戻ってきた。
「お前はとんでもないものを友人にしたな。後悔するぞ」
後悔ならもうすでにしているが、是と言うこともはばかられるので、オレは肩をすくめるだけで沈黙を返答とした。
すると国王は不機嫌そうに手を振り、下がるよう指示する。退出するのは願ったり叶ったりだが、オレまだ一言も詫び入れられてないんですが……。確か呼ばれた理由それでしたよね。
釈然としないものを感じながら、とりあえずずっと気にしていたことだけ確認して退出することにする。
「陛下、あれから体調はいかがでしょうか?」
――――返事がない。
「再発されていませんよね」
さらに明後日の方向を向いた。再発したんだな、痔。
オレは思わずため息をつく。
嫌な予感してたんだよね、インバシオンは夜会が多そうだし、晩餐会で出ていた食事は国王の分もオレたちと全く同じものだった。あんな食事が毎日のように続くようでは身体に悪い。
「陛下の場合、再発の可能性があるので食事、生活習慣に気をつけて下さいとお伝えしましたよね」
国王は苦い顔でオレを見る。
「本当によく分からぬ男だな。今更わしの痔など、お前にはどうでも良いだろうが」
「良くありません。陛下の教都での主治医だと仰ったのは陛下ご自身です。長生きをしたいと思われているのなら、怪しげな呪術などにうつつを抜かすより、規則正しい生活とバランスの取れた食事に気をつける方がよほど効果があります」
くどくど言いつのるオレに国王は手を上げ止めた。
「分かった。気をつけるよう指示するからもう黙れ。全く、お前から長生きするよう諭されるとは思わなかったぞ。
――お前はあくまで自分は医術師だと言いたいのか」
苦笑する国王にオレは晴れやかな笑顔を見せる。
「勿論です。どこで何をしていようとも私が医術師であることは変わりません。私は自分が白金の医術師であることに誇りを持って生きています」
医術師になるきっかけは父さんの一言だった。なってからも医術師であることになんの感慨もなく、ただ与えられた仕事をこなす日々だった。
でも、シアに会って気持ちが変わった。真剣に薬術師として向き合って、人を助けたいと努力しているシアの隣に立ちたいと、相応しい人間でありたいと思った。
今もすべての人の命を大切だと心の底からは思えない。しかし、医術師として出来ることがあるのなら、救える命があるのなら出来る限り救いたいと思えるようになった自分にオレは誇りを持ちたいんだ。
父さんが望んだようにオレは人の命を奪う人間じゃなくて、人の命を助ける人間でありたい。そんな自分に誇りを持って生きたいんだ。
だから、貴方とは共に行くことは出来ない。戦場の人間である貴方とは。
「それでは陛下。ご健勝をお祈りいたしております。私は貴方の教都での主治医です。もしお体に不安がございましたら、何なりとお申し付けください。教都でお待ち申し上げております」
そういって頭を下げ、オレは部屋を退出した。




