10-6
隙があったら、何時でもアルツを奪ってやる――サージュ様から女官の話を聞いた時、そんなことだって考えていた。
シアが癒やしの巫女だって関係ない。アルツのことをそんなに簡単には諦められなかった。
クロトが諦めたって関係ない。あたしにはアルツしか考えられないのだから。
でも、こうして再び一緒に過ごしていると、そんな気持ちを持ってシアに接していることに後ろめたさを感じる自分もいるのだ。
あたしが二人の間に波風が立てばいいやとシアに色々吹き込んだ事も、真面目に実行して「アルツには効果がありませんでした」と報告してきたり、あたしやクロトのいる前ではアルツと少し距離をとっていたりと、無神経なんだが神経が細やかなんだか良く分からない。
今もあたしが出来ることなんて何にもないだろうに、笑って礼を言い気を遣う。自分だっていっぱいいっぱいなのに。
シアには叶わない――そんな気持ちが自然にわいてきて、絶対負けないと思っていたアルツへの思いさえ、シアには叶わないんじゃないかという気がしてきて、自分の気持ちの変化に呆然とする。
相手は男の前だって平気で下着姿になったり、服を着替えようとしたりするほどぼんやりな人間だから、隙なんていくらだって見つけられるのに。
隙を見つけてチャンスと思う前に、恋敵を心配している自分に愕然とする。
いつの間にあたしはこんなにシアのことを気に掛けるようになってたんだろう。
着替えるシアの世話をしながらそんなことを考えていると、レーヴァンの緊迫した声がその場に響いた。
「脈拍が弱まっています! 呼吸も」
あたしが息を止めて固まっている間に、シアはアルツの様子を確認していた。
「脈が――――止まりました」
レーヴァンの無情とも思える言葉に呼応して、シアはアルツの胸を両手で押し始める。しかし、すぐに力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
「シア!」
思わずシアの横に駆け寄ると、シアはあたしの声なんて聞こえないかのように、ぼんやりとアルツの手を取り、その手を自分の額に押し当てた。
「レーシア! 止めろ、術を使う気か? アルツがいないのに術を使っては、お前が危ない!」
そうだ、シアは術を使った後、アルツに魔力の補給されていたではないか。アルツ自身が倒れている今、シアに魔力を供給できるほど、強い魔力を持っている人間はここにいない。
そう言っている間にシアの術は始まっていて、男性の姿は華奢な女性の体に変わっていた。
「シア! 止めて。シアが死んじゃう」
あたしはシアを止めるため、体にしがみつこうとしたが、制止される。レーヴァンだ。
「何をするの! 邪魔しないで」
「大丈夫です。魔力の補給は出来ますよ」
レーヴァンはうっすらと笑った。この事態であんたは笑えるの?
術が終わったのか、淡く光っていたシアの体は静まり、床に倒れ込みそうになる。受け止めようと手を伸ばすが、今度は別の男の手によりシアを奪われた。ナスカ大神官が連れて来たエレヴィと名乗る男だ。
エレヴィはしゃがんだままシアをそっと横抱きにすると、レーヴァンを見上げていった。
「『蘇生の術』か?」
「そのようです。心臓が止まっています」
「ならば、大量の魔力が必要だ。レーヴァン、レーシアと僕を元の姿に戻してくれ。少しでも負担を減らしたい」
「承知致しました、主」
レーヴァンが目を伏せるとシアが再び女性の姿に戻り、それを抱えるエレヴィも琥珀色の髪は輝く金髪に、淡褐色の目はまるで晴れた日の空のような淡い青色に変わった。
金の髪に、空色の瞳。見たこともない美しい色を持った男が、白金の髪を持つシアを抱える姿は、子どもの頃教会で見た神と巫女のを描いた絵画のようで、あたしだけでなくクロトも息をのんで見とれてしまう。
そんな注目を浴びる中、エレヴィはシアに口づけた。魔力を与えるためだと分かっているけれど、アルツ以外の男がシアに口づける姿に、心がギリギリと音を立てて軋む。この感情は一体なんなのだろう。
エレヴィは体を起こすと手を額に当て、ふうとため息をつく。
「大丈夫ですか?」
「ああ、さすがに『蘇生の術』分の魔力を供給すると僕も辛いな。全く平気な彼がすごいよ」
「若き守護騎士殿の魔力は底なしですから」
エレヴィとレーヴァンのやり取りが終わるのを待って、ナスカ大神官がエレヴィに声を掛ける。
「それで、二人は大丈夫なのですか?」
「ああ、レーシアはしばらく起きられないだろうが、彼の体はもう問題ない。『蘇生の術』を掛けられたからね」
「でしたら、レーシアは与えられた客室に連れて行きます。姿を戻して頂いても良いですか?」
「いや。体に負担が掛かるから、何時も付けていた姿を変える魔具を使った方が良いだろう」
「巫女様の先ほど着ていた服の袂にあるはずです」
ナスカ大神官はレーヴァンの指摘通りの所から、月長石と紅水晶の耳の装身具を取り出してシアに付けると、そのままシアを抱えて立ち上がった。
「それでは、失礼します」
「あたしも行きます!」
一礼し、部屋から出るナスカ大神官の後をあたしも追う。
部屋を出る時クロトを見遣ると、あたしの片割れは小さく頷き「任せて」と口だけ動かした。
胡散臭い奴らがいる部屋にアルツを残すのは心残りだけど、シアの体の方が心配だ。『蘇生の術』は命を削るものだと聞く。先ほどレーヴァンが、シアの心臓が止まったと言っていたではないか。あんな正体不明な奴が大丈夫だと言っても信じられない。
あたしは胃がキリキリするのを感じながら、ナスカ大神官の後を追った。
ポルテ達が出て行った後、すぐお近づきになりたくない不審者二人組は部屋から出て行った。ぼくにひとこともなしにである。話し掛けられたくなかったから別に良いんだけど、失礼な奴らだ。
アルツの顔を見ながら心の中で文句を言っていると、アルツのまぶたがぴくぴくと動くのが見えた。
「アルツ、大丈夫?」
目が開くのを待ってから声を掛けると、アルツはむくりと起き上がる。相変わらず寝起きが良い。
「――クロト、状況を説明してくれ」
部屋をぐるりと見てから、ぼくに視線を合わせて簡潔に問う。ぼくは、レーヴァンに聞いた晩餐会の会場の話からすることにした。
「アルツが倒れてから、シアさんは国王の専任の医術師達とアルツを取り合ったらしいよ。原因が毒とは限らないから、薬術師のシアさんには荷が勝ちすぎるって」
「はっ! 盗人猛々しい。オレを治療する気なんぞないくせに」
「……国王が毒を盛ったの?」
「盛ったのは、ヴァン=ウィルニゲスオークさ。だが、後ろで糸を引いていたのは国王だな。ヴァン=ウィルニゲスオークも馬鹿な男だ、良いように使われてしっぽ切りなんだから」
アルツはひどく苛立っているらしく、ぞんざいな仕草でぼくに続きを要求した。
「それで、シアさんが自分は白金の徒だから、必ず助けると言って無理矢理連れてきたみたい」
「髪が白金なのは伏せたかったが……。仕方がないか、相手は国王直々の命を携えた医術師だもんな」
アルツは辛そうに目を伏せた。ぼくは急かされる前に今度は自分の目で見たことを説明する。
「それで、シアさんがアルツに炭を飲ませて……」
「気管挿管と胃管挿入をシアがしたのか?」
「ええと、レーヴァンがすると言ったのをシアさんが断って、銀色の鎌みたいな道具をアルツの口の中に突っ込んで、管を入れてた。ああ、あと鼻からも管を入れて、そこから炭と何か薬を溶かした液体を注射器みたいなので入れてたよ。アルツにシアさんがしたことは大体こんな感じかな」
ぼくの話を聞くと、アルツは「クソ!」と罵りながら両手で顔を覆って、寝台に仰向けに倒れた。
「アルツ?」
「ああ、くそう。そうだよな、シアならそれぐらい出来るのか!」
「ど、どうしたの? 何かマズイの?」
「――シアの薬術師のメダルが剥奪されるかもしれない」
「えぇ!」
何も分かっていないぼくに、アルツは説明してくれた。
「さっきクロトが言った気管挿管と胃管挿入は、通常医術師のみが行う医療行為なんだ。薬術師のシアがやったことが公になれば、シアのメダルは剥奪される」
「みんなが黙っていれば……」
「それを承知するシアじゃないさ。剥奪される覚悟でやったんだ。
クソ! 誰がシアに気管挿管と胃管挿入のやり方なんて教えたんだよ、ちくしょう。
だが、レーヴァンがその辺はフォローすると思って丸投げしたオレのミスだ。何か手を考えないとな……」
ブツブツと考え込むアルツに、ぼくは告げなければいけない一番重要な出来事を言うために声を上げた。
「アルツ! まだ話は終わってないよ」
「ん? なんだ」
アルツは首を傾げてぼくを見る。ぼくは唇をなめ、意を決して口を開いた。
「その後、何故かアルツの容態が急変して……。シアさんがアルツに『蘇生の術』をしたんだ」
「――馬鹿な! 『蘇生の術』なんてしたら、魔力が枯渇してシアの心臓が止まるんだぞ。
シアは! シアは無事なのか!?」
アルツはがばりと体を起こすと、矢継ぎ早に言葉を浴びせかける。
「シアさんは無事だよ。確かに心臓は止まったみたいだけど、あのエレヴィって人が魔力をシアさんにくれたんだ。
アルツ、あの人一体何者なの? 髪と瞳の色が金と青に変わるし、レーヴァンに主と呼ばれていたし、魔力もアルツほどじゃないけど、とんでもない力だよ」
シアさんの安否にホッとしたアルツは、エレヴィと名乗る男の話になると表情を硬くして首を振る。
「クロト、ポルテにも伝えて欲しいことだが、あのエレヴィという男については他言無用でかつ詮索無用にして欲しい。ここまで巻き込んでおいて、こんなことを言うのは無茶だと承知の上だ、頼む」
真剣な顔でこちらに頭を下げるアルツに、ぼくは頷いた。サルトの宿屋でのことを思い出す。アルツが詮索するなと言うのは、ぼくたちを思ってのことだ。ならば、ぼくたちがこの事を知りたいと思ってはいけない。
「分かったよ。ぼくもポルテもあの人の正体について何も考えない。だから、アルツは安心して」
ぼくが約束すると、アルツは安心したように息をつく。そして、再び両手で顔を覆いながら、仰向けに倒れた。
「アルツ?」
「ちょっと考え中。――――ああ、クソ、色々繋がってきたぞ。オレは罠に嵌められたのか? ちくしょう」
「ア、アルツ?」
顔を隠しながら罵るアルツの姿に不安を感じて声を掛けると、再びムクリと起き上がった。
「シアが倒れてから、どれぐらい時間が経った?」
「1時間ぐらいかな」
「シアは、フィーリアに用意してもらってる客室?」
「そう、ナスカ大神官とポルテがついてる。――行くの?」
先ほどまで、生死をさまよっていたとは思えないキビキビした動作でアルツは立ち上がり、浮かない表情で頷いた。
「ああ、そろそろシアも起きてるだろう。オレのこと気にしているだろうから、会ってくる」
「大丈夫?」
色々な意味を込めてぼくが聞くと、アルツは浮かない顔から一転、晴れやかな表情に変わって笑った。
「ああ。シアの愛の力で生き返ったから大丈夫。今なら『神様』にだって勝てそうな気がするよ」
きょとんとしたぼくの顔を見てアルツは小さく笑い、「じゃあ、後で」と言葉を残して部屋から出て行った。