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白金の医術師 黄金の薬術師  作者: 木瓜
第十章 首都 オラージュ
83/99

10-5

 アルツがわたしをじっと見た。その目は何かをわたしに伝えようとしている。問いただそうと口を開く前に、アルツは手に持った硝子製の杯に口を付けてあおった。


 途端、アルツの体ががくりと傾ぐ。アルツはそれを堪えるように片手を机の上につき、持っていた杯を震える手で机上に置くと、わたしの方へ押しやった。そして、力尽きたように床に崩れ落ちる。


「アルツ!」


 モーネさんの悲痛な叫びが響き渡った。わたしはすぐさま床に倒れるアルツの横に跪き、脈と瞳孔を調べ、呼気を嗅ぐ。


「大丈夫か?」


 机を飛び越えたサシャスさんが、声を掛けてくる。動揺し、顔がこわばっているのが見て取れる。きっとわたしの方がひどい顔をしているだろう。そんなことをぼんやり頭の隅で考えながら、わたしはサシャスさんに指示していた。


「安全な水を。それから、早急に寝台のある部屋を用意して下さい。

 ――レーヴァン、そこへわたくしの鞄とアルツの医療道具の入った鞄を運びなさい」


 後半は声を潜め、誰も聞こえないようにつぶやくと、どこからかワタリガラスの鳴き声が会場に響く。

 サシャスさんは近くにいる人間に目線を送り、指示を出してくれた。


「水だ」

「ありがとうございます」


 サシャスさんに短く礼を言い、渡された杯に入った水で横に向けたアルツの口を何度もすすぐ。


「――飲ませるわけではないのか?」

「いいえ、誤嚥ごえん、水が気管に入ってしまう危険性がありますし、恐らくアルツは葡萄酒を飲んではいないでしょう。飲んでいないのなら、希釈する為に無理に水を摂取する必要はありません」

「飲んでいない?」


 サシャスさんの言葉にわたしは頷く。


「はい、口を付ける前にアルツはわたしを見ました。何かを伝えるために。そして、倒れるのを堪えてまで、葡萄酒の入った杯をこぼさないよう机の上に置いて、わたしの方へ押しやりました。

 毒が入っているのを承知で葡萄酒を口に含み、内容物の特定をさせるために、わたしに杯を託したんです。そこまでして、大人しく毒を飲み込むアルツではありません。恐らく倒れながら、床に吐きだしたのでしょう」


 証拠に、アルツが倒れていたあたりの絨毯が、赤黒く汚れている。


「飲んでいないのに、倒れたのか?」

「――口に含めば多少なりとも摂取してしまいます。しかし、かなり強い毒性をもつものだと思います」


 わたしは自分の知りうる毒物を一つ一つ上げては消していく。早く、早く処置しなければ……。毒物は時間との勝負だ。焦る自分をなんとか押さえ込みながら、部屋が用意されるのを待つ。



「私どもにお任せ下さい」


 出来うる処理をしながらじりじりと待つわたしたちに、誰かが声を掛けてきた。顔を上げると壮年の男性が4人立っている。


「国王陛下の専任の医術師と薬術師です。陛下からこの男性に治療を施すように指示されました。皆、白金を持っております。どうぞ、我らにお任せ下さい」


 そういって、全員が白金に輝くメダルを掲げた。

 いつの間にか国王の姿はどこにも見えない。それもそうだろう、もし毒物なら刺客の危険性がある。第一に安全な場所に避難してしかるべきだ。それを思うと、国王専任の医術師らを遣わしてくれたことは、篤い恩情のようにも見える。


「――お気持ちは有り難いですが、わたしで対処出来ます」


 国王の手の者に、アルツを渡しては決していけない。アルツが倒れてからそれほど経っていないのに、いくら何でも手配が早すぎる。まるで、こうなることがあらかじめ分かっていたかのように。

 一国の長たる国王が、こんなところで他国の人間に毒を盛るなどとは思いたくないが、これを機会にアルツを奪おうと思ってもおかしくない。事実はどうであれ、ここでアルツを彼らに託すわけにはいかないのだ。


「しかし、黄金とはいえ、薬術師である貴殿だけでは何も出来ないでしょう」


 男の口調には明らかな嘲りが含まれている。唇を噛みしめそうになるのを我慢し、無理矢理微笑む。


「確かにこれが急病によるものならば、薬術師のわたしに出来ることはありません。しかし、これは毒物摂取による意識障害です。ならば、薬術師であるわたしが対処すべきことでしょう」


 薬術師は医術師の指示がなければ薬を処方できない。しかし、毒物が原因ならば、医術師が居なくとも薬術師の判断のみで薬の処方が出来るのだ。


「国王陛下が振る舞われた葡萄酒に毒が入っていたと仰るのか? 証拠はあるのでしょうな。なければ国王の名を傷つけたことになりますぞ」


 わたしは、アルツに託された葡萄酒が入った杯を男に掲げた。


「証拠はここにあります。毒入りかどうかお疑いなら、どうぞこちらをお飲み下さい」

「なっ! 本気で仰ってますか」

「冗談です。わたしも今から混入物の特定に使用しますので、そのままお渡しは出来ませんが、少しで宜しければお持ち下さい。杯に毒が塗られている可能性もありますが、一度口にしていますから、葡萄酒自体から検出出来ると思います」


 そういって、空いている杯に三分の一ほど注いで置いた。譲る気のないわたしに苛立ちを隠せない男は、更に言いつのる。


「毒によるものだと特定するのは、まだ早計なのではないですか? 貴方が気付けないだけで、病気によるものかもしれない」

「医術師のメダルはありませんが、一通りの知識はありますし、彼の既往歴はわたしが一番良く知っている。それに、彼は飲む前にわたしを見ました。そして口にした後に、杯をわたしに託した。彼が異物混入によるものだと判断したのです。わたしは自分のパートナーの判断を信じます」


 わたしの言葉に男は眉間にしわを寄せる。


「患者は毒が入っているのを分かった上で、その葡萄酒を飲んだというのですか」

「はい。彼は人からの害意に敏感な人間です。恐らくこの場に入れた人間がいれば、誰がしたことなのかも気付いているでしょう。

 国王陛下に『詫びだ』と言われ差し出されたものを断る男ではありません。例えそれが毒入りの葡萄酒だといえども口にします。飲み込んではいないようでしたが」


 毒入りだと騒いで、国王に付けいる隙を与えるわけにはいかないと判断したのだろう。それは分かる、分かるけれど……。

 沈み込みそうになる思考を振り切って、わたしは男をじっと見据えて口を開く。


「例え、毒によるものでなくとも必ずわたしは彼を助けます。ですので、今回はお引き取り下さい」

「――貴方が医療行為を行うと仰るのですか? 幾ら貴方といえども、メダルを剥奪されてしまいますよ」


 アルツを助ける為ならメダルの剥奪など恐くはない。しかし、この場でそれを言うわけにはいかない。

 わたしは自分の耳の装身具を左、右と外す。すると、目の端に映る自分の髪が黒から白金に変わった。目の前の男たちや、周囲の人間らの息をのむ音が聞こえる。


「わたしは、白金の徒です。母のアルトサージュ程度の『癒やしの術』が使えますので、原因が毒でなくとも、瀕死状態ではない彼を救うことが出来ます」


 先ほど部屋を探しに行ってくれていた人間がサシャスさんに近づき耳打ちをし、それを聞いたサシャスさんがわたしを見て頷く。


「国王陛下に、お心遣いを頂いた礼とそれを無駄にしてしまう詫びをお伝え下さい。それでは失礼します」


 わたしは一礼をし、アルツを担架に乗せて運ぶサシャスさんらと共にその場を後にした。






 サシャスさんたちが連れて来てくれた部屋には、すでにクロトさんとポルテさん、ナスカ様と先ほど会った男性、それにレーヴァンが待っていた。

 寝台に横たえられるアルツを見て、クロトさんとポルテさんの顔が歪む。


「アルツを運んでいただき感謝する。しかし、君たちはもう部屋を出て行ってくれたまえ」


 ナスカ様が尊大そうにサシャスさんやついてきたモーネさんに言い放つと、モーネさんはいきり立って反論した。


「何でよ! 私にだって、ここにいる権利はあるはずよ!」

「お前にそんな権利はない。早急に出て行け」

「な、何を偉そうに!」


 さらに食って掛かろうとしたモーネさんを、サシャスさんが止める。


「出るぞ。ここには部外者が見てはいけないモノがある」


 そう口にして、レーヴァンをちらりと見遣ったサシャスさんは嫌がるモーネさんを抱えるように部屋から出て行く。

 出ると同時に部屋は結界が張られた。恐らくレーヴァンだろう。


「ご指示されたものはこちらに」


 レーヴァンはアルツが寝かされた寝台の脇にあるアルツとわたしの鞄を指した。


「ありがとう。気道を確保します。手伝って下さい」


 そういうと、アルツの鞄から気管に入れる管と、それに使用する器具を取り出した。医術師でないと行ってはいけない医療行為だが、そんなこと知ったことか。


「――私がしましょうか? こう見えて、なかなか上手いですよ」

「いいえ、わたしがします」


 わたしは服装の組紐を外し、上着や重ね着している服の何枚かを脱ぎ捨て、邪魔にならないよう袖と髪をそれぞれ外した組紐でくくりつける。


「シア! それは下着なのよ」


 ポルテさんの鋭い声が飛ぶ。


「すみません。後で着替えます」


 ポルテさんには悪いが、今はそんなことを気にしている余裕はない。


 壁に接している寝台を移動してもらい、アルツの枕元に立つ。そして一呼吸してから、アルツの口を親指と人さし指で大きく開いた。


喉頭鏡こうとうきょうを」


 レーヴァンに手渡された喉を開くための器具である喉頭鏡を開けた口に差し入れ、そのまま喉を開けて管を入れる。管に空気を送る呼吸器を取り付け、問題がないのを確認する。呼吸器で空気を送り込む作業をクロトさんにお願いし、続いて鼻から胃管も挿入した。

 そして自分の鞄から取り出した吸着剤と毒物を短時間で体外に排出するための下剤を水に投入して棒でかき混ぜていると、ポルテさんが恐る恐る聞いてきた。


「そ、それ真っ黒でドロドロなんだけど、もしかしてアルツに飲ますの?」

「活性炭は多くの物質を吸着させ、消化管から体内に吸収されない性質があるので、毒物中毒の吸着剤として使用されるんです」

「『たん』って炭って事?」

「はい、そうです。ただ普通の炭ではなく、特殊な作り方をしていますが。

 すでに血中に吸収されている薬毒物の排泄促進効果もあるんです。量は飲んでいないアルツに有効だと思うのですが、摂取した毒物がこの活性炭に吸着されない物質の場合、効果はありません。

 しかし、毒物特定には時間が掛かるので、当座の処理として行います」


 挿入した胃管を使い、水に混ぜた活性炭と下剤を注入して、胃管を抜く。毒物が特定できていない現時点出来ることはこれだけだ。

 息を吐き、レーヴァンに向き直る。


「脈拍等の状態の確認をお願いします。何か少しでも変化があったら声を掛けて下さい」


 レーヴァンへ向けていた視線をそのまま横にいるクロトさんに向けると、クロトさんは黙って頷いた。今はレーヴァンを頼りにするしかないが、これを信頼してはいけない。


「毒物の特定をします。すみませんが、もう少し大きな机を運んでもらえますか?」


 わたしが残る二人にお願いをすると、ナスカ様が頷き部屋を出て行き、連れの男性も後を追う。部屋に備え付けられた簡易の机で作業を開始すると、ポルテさんも「着替えをもってくる」と言って部屋を後にした。





「シア。飲み物と簡単な食事を持ってきたわ。それから着替えもして。根を詰めすぎては効率も悪いよ」


 根を詰めると言うほど時間は経っていないが、動きにくい服は着替えたかったので、一段落したところで作業を中断した。


「――何か手伝えることがあったら言って」

「ありがとうございます。遠慮なく言いつけさせてもらいます」


 出来ることが何もないのが一番辛い。それが良く分かるので、わたしはそういってポルテさんに笑いかけた。


 でも、実際はわたしだってこれ以上何も出来ない。候補はいくつか絞り込めたが、それらの毒はすべて――――解毒剤自体がない。


 毒物の特定自体もうアルツの治療に関して無駄なのかもしれないが、何もせずに待つことも出来ず、作業を続けている。


 幸いそれらの毒物はすべて活性炭が吸着出来るものためなのか、アルツの容態は安定しており、最悪の事態は免れそうだ。しかし、後遺症がないとは限らない。『癒やしの術』を行いたいが、様々な要因がわたしを躊躇させる。


 鬱々と考え込みながら用意してくれた服に手を掛けると、ポルテさんに怒られた。


「シア! まさか今からここで着替える気?」

「は、はい」


 なぜ彼女が怒っているのか見当がつかないまま頷くと、ポルテさんは呆れたようにため息をつき、部屋にいた他の人間に強い口調で指示をした。


「男性陣、回れ右! あたしが良いと言うまで、こっちを向くことを禁じます」


 それに応じてレーヴァンが手を上げる。


「私もですか? 女性にもなれますが」

「あんたは特に駄目!」

「はい……」


 ポルテさんの意図が分かり、思わず声を掛けた。そんな気遣い必要ないのに……。


「ポルテさん、わたしは今男性の体なのですが」

「そういう問題じゃないの! 黙ってあたしの言うことを聞きなさい」

「はい……」


 ポルテさんに勝てる人、いや、ものは何もないのかもしれない。




 わたしが黙って服を着替え終わった時、レーヴァンが緊迫した声を発した。


「脈拍が弱まっています! 呼吸も」


 すぐさま立ち上がりアルツの側に駆け寄ると、確かにアルツの様子が急変していた。顔色は悪く、呼吸が浅くなっている。状態は安定していたのに、何故?


「脈が――――止まりました」


 考える間もなく、アルツの胸に両手を置いて胸骨圧迫を行う。混乱する頭の中で次は何をしなくてはいけないのか考える。



 駄目だ。わたしには――――何も出来ない。

 その事実はわたしの心に突き刺さり、心をバラバラに砕く。心を砕かれたわたしは体の力が抜け、寝台の横に座り込んだ。


 馬鹿だ、わたしは。あんな大見得を切っておいて、結局何も出来ないではないか。白金の彼らに任せた方がずっと良かったのではないか。アルツはわたしを信頼して、すべてを託してくれたというのに、その信頼に応えることが出来ないのか、わたしは。


 真っ黒な絶望が自分を飲み込んでいく。わたしを呼ぶ声が意識の外でするが、わたしには届かない。ぼんやりと寝台に横たわるアルツの手を握った。


 ごめんなさい、アルツ。わたしはやっぱり貴方が死んでしまうことを、許せない。



 握った手をそのまま額に押し当て、わたしは目をつむる。



――『蘇生の術』をするために。



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