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その邸宅は教都の一等地にあった。アーリリア教の大神官や名家の屋敷が建ち並ぶ一角で、普段のオレの行動範囲にはない場所だ。
その中でもかなり大きい部類の建物で、これを痔の手術のため、2週間滞在するだけのために購入したのかと思うと、その無駄遣いぶりに貧乏人としては文句の一つでも言いたくなる。しかし、相手が大陸で一番強大なインバシオン帝国の国王ならば、屁でも無い出費なのだろう。
当たり前だがかなり厳重な門の警備を抜けて建物内部に入ると、空気が変わるのが分かった。
「魔術を封じる結界を張っているんですね」
入り口でオレを案内するため待機していたインバシオンの兵士の一人が、少し驚いた顔をしながら頷いた。
「はい。攻撃が多彩なので、魔術師の刺客が一番厄介です。魔術を封じれば攻撃の種類は限られ、その分警備し易くなります。医術師殿は高名な魔術師でもあられると伺っております。ご不快に思われるかもしれませんが、ご了承願います」
そう言って兵士に深く頭を下げられたが、オレは曖昧に頷く。
ほとんど知られていないが、この魔術を封じる結界は実は魔力を封じている訳ではなく、魔術の詠唱を封じる結界なのだ。つまり、詠唱なしに魔術を使えるオレや、オレの論文を元に研さんし、それを習得した白金の魔術師数人には全く拘束力がない代物なのである。それを馬鹿正直に教えるつもりは毛頭ないけれど。
「――警備が厳重ですが、刺客が来ることがわかっていらっしゃるのでしょうか?」
インバシオンの国王なら狙う刺客はごまんといるだろうが、念のため聞いてみると、兵士は胡散臭いほど爽やかな笑顔で首を振る。
「陛下の警備は何時も万全を期すため、厳重になっています。現在陛下を狙う特定の組織はございませんので、医術師殿はご安心して、陛下の治療に専念下さい」
全然信用ならない言葉に、オレは「はあ」と気のない返答をした。
「その上本国の白金の剣術師が王をお側で守られていますから、どんな刺客が来ても問題ないでしょう」
「――!! サシャス=アノルマーレが来ているのですか?」
オレは思わず声を上げた。あのサシャスが王の警備? あり得ん。
オレの言葉を兵士は首を振って否定する。
「いいえ、サシャス少佐ではない白金の剣術師が警備にあたっています」
だよなあ。サシャスが父さん以外を大人しく警備するとは到底思えない。例えそれが自国の王でも。
それにしても、インバシオンはやはり人材豊富だ。白金の剣術師なんて、たしか今は8人しか居ないはずだ。そのうち少なくとも2人を擁しているなんて、さすがは軍事国家である。
「白金の医術師 アルツ=ウィルニゲスオーク殿、入室します」
立派な両開きの扉を付き添いの兵士がノックし、声を掛けてから開いた。明るく広い室内は予想通り大変豪華かつきらびやかで、質素倹約を常とするオレには落ち着かない限りだ。
扉の脇には50代前後の黒髪短髪の立派な体躯をした男が立っており、その隙の無い様子からこの人物が白金の剣術師だと見て取れる。
広い部屋の中央に大きなテーブルが置かれ、その横でこちらに背を向け立っている初老の人物こそ、遠くない未来に大陸の覇者となるであろうと目されるインバシオン帝国の国王 バシレウス=クロヌ=インバシオンその人に違いない。国王は、テーブルの上に手に持っていた駒を置くと、ゆっくりと振り返った。
撫でつけている癖のある髪はすべて白く、身の丈は低めだが体格はがっしりしている。眼光鋭く、上に立つ者特有の威圧感があり、なるほど国王らしい風貌である。国王らしい国王は、オレの顔を見るなりニヤリと笑った。
「地味だな。すぐに忘れてしまいそうな顔だ」
失礼な! オレだって地味だという自覚はあるけれど、面と向かって言われたのは初めてだよ。
「アルツ=ウィルニゲスオーク。これがなんだか知っているか?」
国王は、テーブルの上のものを指し示した。そこには、テーブルいっぱいに広げられた地図らしきものと、その地図のあちらこちらに置かれたたくさんの赤と青の四角い駒などが見えた。
「盤上遊戯の一種、戦略模擬盤でしょうか」
盤上遊戯、つまりボードゲームのひとつで、実際過去にあった戦いのある時点での状況を再現し、そこから部隊を表す駒を使って戦うゲームである。本当の地図を盤面として使い、戦力・補給・地形効果の認識など実際の戦いで必要な軍事的状況を再現しており、単なるゲームと言うよりは、兵法を学んだり、戦術研究に使われたりする兵棋演習の道具と言った方が良いだろう。
「その通り、これは実際の戦いを忠実に再現できるよう作った、インバシオンの参謀部で使用されている特殊なものだ。――見覚えがあるだろう。アルツ=ウィルニゲスオーク」
遠回りな言い方に内心うんざりするが、表情には出さないよう気をつけた。
「私を手術の執刀医に指名されたのは、私がレーフェル=ウィルニゲスオークの養子だからですか?」
確かにこの戦略模擬盤には見覚えがある。父さんの書斎にある机の上によく置かれていた盤上遊戯と全く同じものだ。
「そうだな、あれがわしからあまりに隠したがるのでな、逆に一度見てみたくなった」
父さん! オレをインバシオンから遠ざけようとしたことは、逆効果になってるみたいですよ!
「ご覧になった感想が地味、ですか。わざわざ執刀医にされる必要はありませんでしたね」
「いいや、更に興味が引かれたな。白金の魔術師でかつ医術師、黄金の剣術師に青銅の薬術師。調査結果では面白味のない天才だとしか分からなかったが、実際見るとそれだけでは計れぬ力量を感じる。――欲しいな」
「スカウトにいらっしゃったのですか。『欲しい』とは、情熱的ですね。インバシオンの国王陛下に欲しがられるとは光栄の極みなのですが、残念ながら私はしがない医術師として生きることを選んでおります。国王陛下のお望みの人材とはなり得そうもありません。申し訳ないことですが」
オレは慇懃に頭を下げたが、内心戦々恐々だった。父さんにインバシオンにだけは捕まるなと再三に渡って言い聞かされていた。国王は、オレを捕まえに来たのか?
「あれに、インバシオンにだけは行くなと言われているのだろう。あれは自分自身がインバシオンから逃げたがっていたからな。可愛い子どもにはなおさら言い聞かせるに違いない。決して悪い条件ではないと思うが、アーリリア教と比べても」
「今現在は、魔術院と医術院に籍はありますが、まもなく抜く予定です。アーリリア教と比べてお断りしたわけではありません」
オレが素知らぬ顔で返すと、国王は目を細め、こちらの真意を確かめるようにじっと見る。その眼差しはさすが一国の長たるにふさわしく、すべてを見通す力がありそうだ。
「周囲には、来月故郷に帰ると言っているそうだな。実際の話はどうなのだ。
お前はアーリリア教の神殿と深いつながりがあると聞いている。そんな人間を神殿が簡単に手放すとは思えぬ。何か他の依頼を受けているのではないのか?」
「さて。神殿など位の高い方々と親しくお付き合い出来るほど、私は偉い人間ではありません」
全く分からないといったふうに首を傾げてみせるが、国王は小馬鹿にしたように哂う。
「下らぬ小芝居は結構だ。お前が出生不明な巫女の血縁者を、世話していることは公然の秘密だ。それぐらいの調べはついておる。巫女と血縁者をなにより大事としているアーリリア教の神殿が、手元を離れる人間にその世話を任せるはずがない」
オレがシアの面倒を見ていることは神殿の神官達はみな知っている。シアの顔を見れば巫女の血縁者だと一発で分かるからだ。しかし、オレは今まで咎めを受けたことは無い。なぜならオレがシアの側に居ることを了承している大神官がいるのだ。了承どころか、自分がシアの面倒を見るようオレに依頼したと公言しているらしい。そんな事実は一切ないのに。
オレとそいつは今まで一度も接触したことはないから、もちろんそんな依頼を受けたこともない。それなのに、神殿ではそういう事情になっており、オレは全く咎めも受けず、好きなだけシアと会うことが出来るのだ。
そいつが誰だかは知っているが、そいつの意図はつかめていない。ただ、恐らくそいつがシアの……。
そいつがどんなつもりで、オレとシアが会うことを了承しているのか分からないが、きっとそう遠くない時期に理由が分かるだろう。だから、オレからは何もしない。オレは少しでもシアに会うことが出来るなら、もうどうなっても良いとさえ思っていた。
そんな事実を、インバシオンの国王に伝える気はさらさらないので、オレは思わせぶりに笑ってみせた。
「私から何も申し上げることはございません」
「――しらを切る気か」
いや、ホントに言えることがなんにも無いんだけどね。オレも知らないから。
オレが笑うだけで答えるそぶりを見せないと、国王は聞き出すことを諦めたのかフンと鼻から息を吐き出し、テーブルの上の戦略模擬盤を指さした。
「この陣形、何時の戦のものか分かるか?」
話が変わったことにほっとしつつ、オレは答える。
「36年前、インバシオン帝国と今は無いシャバハ国との最後の戦い、でしょうか」
「その通り、これがあれの初陣で、最初の戦果だ。まだ15歳で籠城戦という難しい戦況にもかかわらず、指揮をとってからたった2日で落とした。
しかも、後日戦略模擬盤を用い、シャバハ側の陣で戦わせた所、5日目でインバシオン側を取った当時の参謀長を下したよ。あれが、敵国の参謀ならインバシオンが負けておったということだ」
話しながら国王は、インバシオン側の大将にあたる青い駒をコツンと転がした。
「あれは、戦術の天才だ。それ以外は役立たずの下らぬ男だが、戦略を立てることにおいてあれ以上の人間はおらぬ。これからも出ることは無いだろう。
――わしはそろそろ、手元に戻したいと思っているのだよ」
「私を、義父を取り戻すための駒にするおつもりですか?」
「それもある。その駒自身、価値あるものだと会って良く分かった」
オレは父さんから昔聞いた、インバシオンのやり方を思い出す。人質を取り込んで、人を思うまま操るやり方を。
「その駒自身は、取られることを是としておりません。そして、大人しく唯々諾々と取られるつもりもありませんよ」
オレの言葉を国王はニヤリと笑いながら聞く。嫌な笑いだ。
「そうか。まあ、簡単に手に入るとは思ってはおらんよ。幸い日にちはある。ゆっくり説得させてもらおうか」
「残念ながら、無駄な行為になってしまうかと」
「無駄かどうかは、わしが決めることだ」
全く意に介する様子も無く、国王は首を振る。オレはこれで話は終わりだと見極めをつけ、当初の訪問の目的である診察をすることにした。
国王はとても従順で模範的な患者だったため、スムーズに診察を終えられた。オレはこの心臓に悪い面談をとっとと終わらせるべく、退出の挨拶を述べる。
「手術は明後日の午前になります。当日の朝は朝食だけでなく、お飲み物も控えていただくようお願いします」
「わかった。痔の手術では白金の腕が泣くかもしれんが、よろしく頼む」
「精一杯努めさせていただきます」
深くお辞儀をし、そのまま退出しようとした時国王から声が掛かる。
「戦略模擬盤をあれとしたのだろう。勝率は二割ぐらいか?」
「まさか。インバシオンの死神と呼ばれた義父が相手ですよ。二、三回偶然勝ったことがあるぐらいです」
本当は勝率三割だったが、少なめに言っておく。これ以上自分を売り込むことはない。
「そうか……。戦術で、あれに一度でも勝てた者は居ないのだよ。戦略模擬盤でも実際の戦いでも、あれは百戦百勝の戦におけるわしの頭脳だ。それに偶然でも勝てるとは、更に欲しくなったわ」
父さん! そういうことは謙遜しないで教えといてよ! どおりで負けるとめちゃくちゃ悔しがってたわけだ。今まで負けたこと無かったのか……。
「あれが戦から長く離れられると思っておらんかったから、どうせすぐ戻ると放っておいたが、お前がいたから戦に戻らずとも生きていけたのかもしれんな」
ぽつりとつぶやく国王に今までのような威圧感は無く、オレは掛ける言葉が思いつかぬまま退出の挨拶だけをして部屋を出た。




