8-3
案内された客室に入って二人きりになると、アルツは二人がけのソファにわたしを座らせらる。そして、自分もその隣に座ると硬い声でわたしに声を掛けた。
「シア、さっきヴァリーに言われたようなこと、他にも言われたことあるの?」
「いいえ、初めてですよ」
わたしがそっけなく返すと、アルツは目を細めてじっとわたしの目を見る。
「シア、本当のことを言って」
「――嘘ではないですよ。面と向かって言われるのは初めてなんです」
ヴァリーさんの言うとおり、強力なバックがいるわたしに直接苦言を言う人間はいなかったけど、すべての人間がわたしの優遇措置について何の不満もないわけではないことぐらい、わたしにだって分かっている。
「本来なら受けなければならない講義や実習をパスしているのは事実です」
陰で言われるより、直接言ってもらえる方がずっと良い。
「でも、シア自身は講義も実習も受けたがったのに、オルキデーア殿が無理やりパスさせたんじゃないか。さっさとメダルを取らせて、自分の研究を手伝わせたいからって」
「例えそうだとしても、パスした事実は変わりません。それに、今は感謝しているんです。早く黄金になれて、アルツのお手伝いが色々出来ますから」
まだ納得していないアルツに、わたしは安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。わたしが黄金に相応しい仕事をして、不満に思っている方を納得出来ればなんの問題もありません」
わたしの言葉を瞬きもせず、じっとわたしを見ていたアルツはささやくような声を出す。
「シア、ちょっとこっちに来て」
唐突に、アルツはわたしの手を取って引っ張った。
「なっ! なにをするんですか!」
わたしはあまりのことに、真っ赤になって叫ぶ。
引っ張られ、バランスを崩したわたしの腰を掴むと、アルツはそのまま持ち上げ、わたしを自分の上に向かい合わせで座らせたのだ。
アルツの膝の上に、足を開いてまたがる格好だ。自分のあられもない姿がたまらなく恥ずかしいが、アルツにガッチリ腰を掴まれていて身動きが取れない。
「アルツ、離して下さい! ど、どうしてアルツの上に座らないといけないんですか!」
「えっ、オレの趣味」
しらっと答えるアルツに、わたしは怒髪天をつく勢いで叫んだ。
「は・な・し・て・ください!」
「嫌だ。すごく楽しいから」
「わたしは楽しくありません」
わたしの絶対零度の冷たい声に諦めがついたのか、アルツは「ちぇっ」と言いながらわたしをソファの隣に下ろした。が、手はそのままわたしの腰に置き、撫でている。わたしがその手を掴むと、アルツは不満そうな声を出した。
「さわるぐらい許してよ」
「わたしが落ち着きません」
「――前はさわってても怒らなかったのに」
「さわり方が前と違って、い、いやらしい気がするんです」
「だって、いやらしくさわってるんだもん」
ニコニコ笑いながら悪びれる様子も無いアルツに、わたしは絶句する。
わたしはポルテさんが教えてくれた、こういう時の撃退方法を試すことにした。
「アルツの変態。それって、セクハラですよ!」
わたしがムッとした顔で暴言を吐いたが、アルツは不快に思うどころかうっとりした表情になる。
「シアの口から『変態』の言葉……。ドキドキしちゃうなあ」
――ポルテさん、喜ばれてしまいました。
わたしが遠い目をしていると、腰に当てられていた手が肩に移り、そのままわたしはアルツの胸に引き寄せられた。そして、アルツはわたしの耳元でささやく。
「シアはドキドキしない? オレにさわられても、気持ちよくない?」
アルツの低いささやき声はわたしの耳をくすぐり、思わず体がぴくりと跳ねた。
わたしの反応に気がついたのか、アルツはクスリと笑う。
「感じちゃった?」
甘いその声が、カッと頭に血を上らせる。そして両手を突っ張り立ち上がると、あらん限りの大声を出した。
「アルツなんて……、アルツなんて大嫌いです!」
そのまま勢いに任せ、部屋を出てから気がつく。
思わず出た『大嫌い』という言葉は、ポルテさんが『アルツのセクハラを、絶対撃退出来る最終兵器』だと言われたものと、同じということに。
ダーフナさんの家を出るわけにもいかず、わたしは客室を出ると洗面所へと向かった。
少し、頭を冷やそう――わたしはすでに、アルツに嫌いと言ってしまったことを後悔していた。
自分がもし、アルツに嫌いだなんて言われたら、死んでしまいたくなるだろう。わたしは自己嫌悪で頭がぐらぐらした。
すぐにでも謝りに行きたい自分と、どうしても素直になれない自分が葛藤して、わたしは叫びたくなる。
素直になれないのは、アルツのああした慣れた態度に、どうしてもアルツの過去を思い出してしまうからだ。
熱っぽい目で見つめられるたび、優しく撫でられるたび、付き合った女の人たちやコズミさんにも同じことをしていたんだろうか、なんて下らない考えが頭をかすめる。
アルツにふれられることが心地良いから、余計に無意味な嫉妬心が、わたしの心を落ち着かなくさせるのだ。
きっと今、わたしはすごく醜い顔をしているだろう。アルツにすぐにでも謝りに行きたい。でも、あと少しだけ……、少しだけ時間が欲しい。
だって、わたしはアルツに、わたしの醜いところを出来るなら見て欲しくない。
わたしがため息をつきながら廊下を歩いていると、ダーフナさんと行き会った。別に悪いことをしているわけではないのだが、なんとなく居たたまれない気持ちになりつつ頭を下げる。ダーフナさんは穏やかな笑みを浮かべながら、手にしていたポットを持ち上げた。
「ちょうど良かった。今からお茶にしようかと思っていたのですが、少しお付き合いいただけませんか?」
「は、はい。喜んで」
部屋に戻りたくなかったわたしは、渡りに船とばかりに頷いた。
ダーフナさんの書斎は、すべての壁が本で埋め尽くされていた。それらの多くは薬学についての本だったが、薬術学の書物も少なくない。
机の上に、ナルギの株と本が積み上げられているを見て、何を調べているのか気がついたわたしは、勧められた椅子に腰掛けると、頭を下げる。
「ナルギについて調べて下さっているのですね。ご迷惑お掛けしてして、すみません」
ダーフナさんはわたしに茶器を手渡し、首を振った。
「いや、わしの方こそ、捺祗について何も知らずに面目ない。薬学についてまで、貴方に教えられなければいけないとは、誠にお恥ずかしい限りだ。十日熱に効く薬なら、何を置いても調べなくてはなりますまい。
それなのに、貴方の言葉を疑うような態度をとって申し訳ない。ヴァリーも、気立ての悪い娘ではないのだが、プライドが高くてね。貴方に嫉妬しているものだから、余計にきつい物言いになってしまうようだ」
「嫉妬、ですか……」
ダーフナさんの言葉をわたしは復唱した。ダーフナさんはわたしの顔を見ながら、茶目っ気ありげに微笑む。
「3年前、ヴァリーはアルツに振られてるんですよ」
わたしはダーフナさんの顔を、まじまじと見てしまった。
「『薬術師としてパートナーになって欲しい』と言ったそうだが、あっさり断られたようです。自分のパートナーはもう決まっていると。
だから、パートナーの貴方が黄金の薬術師であったことに、プライドを刺激されてしまうのでしょう。仕事に関して、矜持の高い娘ですから」
色恋の話しかと思ってしまった自分が恥ずかしくて、わたしはあいまいに頷く。
「だからと言って、貴方への態度が許される訳もありません。不肖の孫に代わってお詫びします。申し訳ありませんでした」
頭を深く下げるダーフナさんに、わたしは慌てて頭を上げるようお願いする。
「いいえ! とんでもない。ヴァリーさんの仰ることは、すべてもっともなことばかりです。それに、わたしはああして率直にお話して下さる方があまりいないので、逆に有り難いです。
みんな、わたしに甘い方たちばかりなので……」
「アルツを筆頭に、ですな」
ダーフナさんは苦笑する。
「――アルツは、わたしを子どもの頃から知っているので。いつまで経っても子ども扱いなんですよ。もっとも、わたしが頼りないせいなのですが」
わたしは、笑って答えた。少し自虐的な笑い方だったかもしれない。
「そうですか? わしには、アルツが貴方を子ども扱いしているようには見えませんでしたが。とても信頼しているように見えましたよ」
ダーフナさんのその言葉で、わたしは先ほどのアルツの言動を思い出し、顔が赤らむのを感じた。
ダーフナさんはそういう意味で言っているわけではない。でも、ああしたことに関して、確かにアルツはわたしを子ども扱いしなくったということなのか?
「わたしはアルツのパートナーとして、知識も経験も足りません。彼の役に立つ、彼の足を引っ張らない人間になりたいと何時も望んでいるのですが……難しいですね」
わたしが嫉妬心を押さえられないのは、それが原因なのかもしれない。
わたしが、アルツにふさわしい人間になれていないから、隣に立つ資格がないと思っているから、アルツが過去に付き合ってきた人たちや、アルツに好意を抱く人たちに、心が波立つのだろう。
アルツの心が他の人に移ってしまうのを、わたしは何時も恐れている。
「貴方は、アルツのことを信頼していないのですか?」
わたしはその言葉に、伏せていた顔を上げ、大きく首を振った。
「まさか! そんなことはありません。わたしはアルツをとても信頼しています」
「それでは、貴方は、貴方のことを信頼せねばいけませんよ。アルツは貴方のことを信頼しているのですから、貴方もアルツが信頼している貴方を信頼せねば、貴方はアルツのことを信頼していないことになる」
わたしは、混乱した頭でダーフナさんの言葉を理解しようと何度もくり返した。
わたしが自分のことを信頼出来なければ、アルツを信頼していていないことになる?
「そう、なのでしょうか?」
「そうですよ。自分の力が足りないと自覚することは大切です。しかし自分を過小評価しすぎることは、信頼を寄せてくれている相手に失礼なのですよ。
アルツに対してだけでなく、薬術師として患者に対峙する時もそうです。自分を信頼していない薬術師に、命を預けたがる患者がいると思いますか?
貴方は経験が足りないのかもしれませんが、今の自分にもちゃんと自信を持たなければいけませんよ」
自信、それは確かにわたしに足りないものなのかもしれない。
「どうすれば、自信を持つことが出来るのでしょうか?」
途方にくれてしまったわたしは、ダーフナさんに助けを求めた。
「さて、それはやはり貴方のことをよく知っている人間に聞くのが一番でしょう。
アルツ、盗み聞きなんぞしてないで、入って来なさい」
ダーフナさんはそう言って、扉に向かって話し掛ける。すると、アルツがしらっとした表情で入ってきた。
「盗み聞きなんて、人聞きの悪い。盗み聞きするつもりなら、気配を消していますよ」
「シアルフィーラ殿は気付いておられなかったのだから、盗み聞きだろう。わしに声を掛けて欲しくて、気配を消さずに待っているなんぞ、余計たちが悪い」
「――すみません」
アルツは決まり悪げに、頭を下げた。
「とにかく、喧嘩をしたのなら、話し合いが一番ですよ」
ダーフナさんはそう言うと、わたしに微笑みかけた。
「ど、どうして喧嘩をしたことをご存じなのですか?」
わたしがおののき戸惑うと、ダーフナさんはすました顔で言い放った。
「まあ、年の功です。喧嘩の一因にヴァリーも関係しているのでしょう。ここに呼んで謝らせますから、それまでに仲直りしておって下さい」
そう言って、ダーフナさんは止める暇無く部屋から出てしまった。
そして扉が閉まると同時にアルツはがばりと床に手をつき、土下座をした。
「シア! すみませんでした。調子に乗り過ぎました。ゆ、許して下さい」
「なっ! やめて下さい、アルツ。立って下さい」
突然のアルツの行動に驚いて、わたしはかがんでアルツにしがみついた。
「違うんです。アルツは悪くないんです。わたしが、わたしが勝手に嫉妬して、勝手に腹を立ててしまっただけなんです」
「嫉妬?」
悲壮な顔をしていたアルツは、わたしの言葉にきょとんとした表情になる。
「――そうです。ああしたことにアルツが慣れてるから……。嫌いだなんて、嘘を言ってごめんなさい」
アルツはくすぐったそうな、うれしそうな、困ったような複雑な顔でわたしを見た。
「オレにさわられるのは、嫌じゃない?」
「はい、好きです。……好きだから、嫌なんです。ごめんなさい、そんなことを今更言われても困らせるだけだって分かってるんです。でも、自分が止められなくて」
「オレ、どうすれば良い? さわらない方が、良い?」
正座をしていたアルツは、足をくずして、隣に跪くわたしの顔をのぞき込んだ。
「いいえ。わたしの気持ちの問題なんです。さきほどダーフナさんに言われました。わたしには自信が足りないと。わたしはアルツに好きでいてもらえる自信も、アルツのパートナーとしての自信も無いんです。だから、少しのことでもすぐに嫉妬して、アルツを困らせてしまう……」
ままならない自分の気持ちに嫌気がさす。こんなわたしに呆れているだろうアルツの顔を見たくなくて、わたしはぎゅっと目をつぶった。
「シアが自分に自信を持てないのは、オレの責任だね」
「そんな! 違います」
思わずつぶった目を開いて、アルツを見る。
「いいや、違わない。ってか、さっきのセクハラ、シアに惚れ直して理性が崩壊しちゃったせいなんだけど、気付かなかった?」
「ええっ?」
何時一体どんなところで、そんな話になったのだ?
「『わたしが黄金に相応しい仕事をして、不満に思っている方を納得出来ればなんの問題もありません』」
「あっ……」
そういえばそんなことを確かに先ほど言ってしまった。何の気なしに話しただけだが、こうして改めて聞かされると、なんて不遜な発言だったのだろう。
「――ずっと、すべての憂いからシアを守ってみせるって思ってたんだけど、間違えていたのかなって。
オレが頑張って、シアに対して不満を持っている人間に考えを改めさせるんじゃなくて、シア自身が黄金にふさわしい人間であることを認めさせなきゃ駄目なんだよな。
そんな当たり前のことにも気付かず、オレはシアを囲い込むことで守ってる気になってた。シアはちゃんと何が正しいのか知っているのに。シアは囲われて守られてる温室の花じゃないのに、もうちゃんと一人で色々なことに立ち向かっているのに。
ごめんな。オレがシアを一人前の大人として扱っていなかったから、シアは自分に自信が持てなかったんだよな」
わたしは何も言うことが出来ず、首をぶんぶんと振った。
わたしはちっとも分かってないし、アルツに守られてばかりだし、一人で立ち向かってなんかないし、一人前の大人でもない。
「シアは可愛いし、綺麗だし、優しいし、格好いいし、男前だし、頼りになるし、薬のこと何でも知ってるし、薬の調合は早くて正確だし……」
「も、もう良いです!」
アルツの褒め殺しに居たたまれなくなり、わたしはアルツの口を両手でふさぐ。アルツはわたしの手を握って外すと、目をじっと見つめ言葉を続けた。
「オレの方こそ、この4年間シアにふさわしい人間になりたくて、必死だった。
シアがオレのパートナーなのが、オレの誇りだよ。8年前からずっと信頼している。シアにだから、すべて預けられるんだ。
シアがオレを信じていてくれるから、オレも自分のことを信じられる。シアがオレの支えなんだ。
だから……、オレが嫌なことをしたら、叩いても、殴っても、蹴っても、踏みつけてもいいから、――――嫌いって言わないで」
お願いだ――小さな声でそう続けたアルツは、目をぎゅっとつぶってわたしの手を自分の額に押しつけた。
「ご、ごめんさい。アルツ、好きです、大好きですよ。嫌いだなんて二度と言いません」
アルツをまた傷つけてしまったことに気がつき、わたしは心が張り裂けそうになる。
わたしが不安なように、アルツも不安なのだ。アルツだって、傷つく心があるのに、わたしはそれを知っているのに、また彼を傷つけてしまった。
「お取り込み中悪いけど、ちょっと良いかしら」
いつの間にか扉が開いていて、ヴァリーさんが呆れた顔をしながらわたしたちを見下ろしていた。
床に座り込んで、アルツに両手を握られていたわたしは、思わずアルツの手を振り払い立ち上がった。なんだか顔が熱い。
「ホントにお取り込み中だったんだけどな……。まあ、結界張り忘れてたオレが悪いか」
アルツは先ほどまでの暗い影は全く見せず、悪びれなく床に座り込んだままヴァリーさんを見上げている。――アルツ、さっきの演技じゃないですよね……。
「急患よ、貴方たちに頼みたいことがあるって。お祖父さまが、その株も持って来いって仰っているわ」
ヴァリーさんは、机の上のナルギを指して言った。
ナルギが必要な患者? ――わたしは嫌な予感がした。




