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ヴァリーさんを伴って、わたしたちはそのままペタルの長の住むお宅へお邪魔することになった。ペタルは隠れ里のため、宿泊施設がない。なので、里に来る客人は里で一番大きな建物であるペタルの長 ダーフナさんの家に泊まることになるそうだ。
「ああ、アルツか。久しいな」
初老の男性が、客間に入ってきたアルツを見た途端、嬉しそうに目を細めた。対するアルツも人懐っこい笑みを浮かべて男性に向かって頭を下げる。
「ご無沙汰しています。ダーフナ殿。結界は問題ないようで、安心しました」
「さすがに白金の魔術師が張った結界だけはある。わしたちもお前の結界を無効にする魔具が無ければ自分の村にたどり着けんよ」
「出かける際はお忘れなきようお願いします」
朗らかに話し合う様子は、確かに互いの確執は全く無いように見受けられた。
道々教えてもらったのだが、アルツはこの4年間薬草がありそうな森を見つけると、度々探索していたそうだ。自分の医療に使うストックを補充するためと、大陸の薬草の分布を調べるためだったらしい。前者は医術師としての自分のためだが、後者はわたしの研究の足しになればと思ったからだそうで、わたしはますますアルツに足を向けて寝られなくなった。
ここの森にも薬草を求めて足を踏み入れたそうだが、その際うっかりこの里を隠すために張られた結界を、破ってしまったらしい。
結界といっても、いつもアルツが張るような誰も入れない強固なものでは無く、知らず知らずのうちにその地を避けて通ってしまうという、どちらかといえばまやかしの魔術に近いものが、ペタルに張られていたのだ。
アルツが破ってしまった里を守る結界は、約50年前に黄金の魔術師に依頼して張ったものなのだが、年数が経っているのでほころびも多く、さすがにそろそろ新しく張りなおさなければと思っていたらしい。なので、アルツがお詫びに自分が結界を張りなおしたところ、逆に感謝されて、今後この里の薬草は自由に取って良いと言われたそうだ。
そこで、アルツは自分のパートナーの薬術師を、つまりわたしのことなのだが、ここに連れてきたいとお願いし、3年後の今それが果たされたというわけだ。
「貴方がアルツのパートナーの薬術師なのですな。はじめまして、この里の長 ダーフナと申します」
ダーフナさんが、わたしを見て温厚そうな微笑を浮かべ挨拶をした。わたしも居住まいを正し、頭を下げて挨拶を返す。
「はじめまして、黄金の薬術師 シアルフィーラと申します。ダーフナさんのご高名はお伺いしています。
この度は薬術の誉れ高いペタルへお招きいただきましてありがとうございます。ずっと薬術に興味がありましたので、この地にお邪魔できたこと、とても光栄に思います」
ダーフナさんは面映そうに微笑むと、ヴァリーさんをそばに呼んだ。
「孫娘のヴァリーを付けましょう。薬術師としては黒銀ですが、薬学についてはこの里でも五本の指にも入るほど通じております。自由に学んでいってください。畑の薬草も欲しいものをお持ちいただいて結構です」
ダーフナさんの惜しみない援助に後押しされ、わたしは先ほどヴァリーさんとやりあった末持ち込んだナルギの株を出した。
「それでしたら、こちらのナルギの株を幾つか分けていただきたいのですが……」
それを見た途端、ダーフナさんは困った顔になり、ヴァリーさんは目を吊り上げる。
「それは……毒草のケピソスではないですか?」
「いいえ! ナルギという薬草です。ケピソスと似ていますが、花弁の付け根の部分がケピソスと違い、白色です。それと、がくの形も異なります」
わたしは必死に言い募ったが、二人の反応は芳しくない。わたしは二人を説得するべく自分が知っているナルギのことをすべて話すことにした。
「今から500年ほど前に、ある国の王子が誤ってケピソスを口にしてしまい、亡くなってしまったそうです。そのことに怒った当時の王は、国中のケピソスを焼き捨てました。その動きは大陸中に広まりましたが、繁殖能力の強いケピソスは生き残りました。その代わり、外見がそっくりなナルギが間違って焼かれ、絶滅してしまったんです。
でも、残っていたのですね。この里に……。ナルギはこの大陸古来の植物です。この地での名は捺祗といいます。この里の文献にも記述が残っているはずです。
どうか、この薬草の株分けをお願いいたします。この薬草が再び普及出来れば、一体どれだけの子どもの命が助かることか……」
わたしが深く頭を下げると、ダーフナさんは首を捻った。
「確かに捺祗と言う薬草は、どこかの書物で目にした覚えがある。少し調べてみましょう。こちらも毒草と思っていたものを、そう簡単にお渡しすることは出来ませんからな」
「ありがとうございます」
わたしはほっとして、再び頭を深く下げた。すると、今まで黙って控えていたアルツが口を開く。
「シア、オレも『ナルギ』という薬草は初めて聞いたんだけど、何に効くのかと、それが載っていた文献を教えてもらえないか?」
「はい。ナルギは乳幼児がごくまれにかかる十日熱に効く、唯一の薬草だそうです。それが載っていた文献は……実は禁書書庫にあるものなので、アルツは読めないんですよ」
禁書書庫の名が出ると、アルツはガックリする。
「薬術院の禁書書庫なら、オレは手も足も出ないじゃないか……」
「――黄金の薬術師の貴方が、なぜ白金でないと見ることが出来ないはずの、禁書書庫の文献を知っているわけ?」
ダーフナさんの部屋に入ってから、一言も口を利かなかったヴァリーさんが、わたしを鋭く睨みながら口を挟んだ。わたしが説明しようと口を開くと、それに先んじてアルツが話し出す。
「シアは、白金の薬術師 オルキデーア殿の弟子なんだよ。弟子は手伝いのため、師の付き添いがあれば、禁書書庫も出入り出来るからね」
アルツの説明に、得心したのかヴァリーさんは小さく頷いた。
「貴方が、薬術院最古参のオルキデーア様の威光で、3年の講義と実習を飛ばして薬術師の試験を受けたって人ね。どんな強力なバックがあるのか知らないけど、それで黄金だと言われても私は納得出来ないわ」
「ヴァリー! 失礼だぞ」
ヴァリーさんの言葉に、ダーフナさんが鋭い声を飛ばす。アルツもムッとしたような顔になり、わたしをかばうように一歩前に出た。
「ヴァリー、それは違うよ……」
「アルツ。何も言わないで下さい。ヴァリーさんの仰ることは本当のことなのですから」
わたしが冷静に止めると、アルツは戸惑ったようにわたしの顔を見た。
「だけど、シア……」
「アルツはこの件で、口出し無用です」
「――――はい、了解です」
わたしが低い声を出すと、アルツはしゅんとした顔になって頷いた。
「ははははっ。アルツは尻に敷かれておりますな。面白いものを見せてもらいました」
わたしたちの応酬を横で見ていたダーフナさんは、大きな声で笑った。するとアルツは急に立ち直り、すました顔で答える。
「オレは尻に敷かれたくて、自発的に姿勢を低くして待機しているのですが、シアは優しいのでなかなか敷いてくれないんですよ」
「アルツ!」
なんてことを言ってるのだ、アルツは。わたしは思わず顔を赤らめて、声を荒げてしまった。
そんなわたしをアルツもダーフナさんも愉快そうに笑っているのだが、ヴァリーさんだけは暗い目でじっと見つめていた。




