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白金の医術師 黄金の薬術師  作者: 木瓜
第七章 17年前 国境の村 ラント
61/99

7-9

 レーフェルが自室で、机の上の盤上をじっと見つめ考え込んでいると、アルツがノックと同時に部屋に入ってきた。


「サシャスさん、帰って行ったよ。父さんが見送りに来ないって嘆いてた」

「放っておきなさい。どうせすぐまた顔を出しに来る。それに、あの男は甘やかすと付け上がるから、これぐらいがちょうどいいんだよ」

「なんか、恋人同士の駆け引きみたいだね」

「……お願いだから、君まで変なことを言うのはやめてくれないか?」


 思わずうんざりした顔でアルツを見ると、いたずらっぽい目でこちらを伺っている。自分はアルツにまでからかわれる運命にあるらしい。

 一つため息を付くと、レーフェルはアルツに座るよう指示し、茶を用意する。


「――アルツ、入院が許可される10歳になったら教都の学び舎に入らないかい?」


 レーフェルの、突然の切り出しにアルツは目を瞬かせた。


「ここを出て行けって事?」

「違う、そうじゃない。君はもっと多くのことを学ぶべきだと思うんだ。ここでは学べないことを」


 アルツは無表情になり、レーフェルをじっと見据え口を開く。


「父さんに教えてもらうことで充分だよ」

「いいや、充分じゃない。それでは僕以上の知識は身に付かない」

「父さん以上になる必要なんてあるの?」

「勿論ある。――アルツ、医術師にならないか?」


 アルツは驚いたような顔になり、再び目を瞬かせた。


「医術師って、病気を治すあの医術師のこと?」

「そうだ。君はとても頭が良い人間だから、必ずなれるだろう」


 アルツは、レーフェルの目を見ながら首を傾げる。


「どうしてオレを医術師にしたいの?」

「君はこの村で、ずっと住んでいたいかい?」


 レーフェルは、アルツの質問に質問で返した。アルツは戸惑ったように頷く。


「――うん。生まれ育ったところだし」

「この村の男性は、みんな軍人になるそうだね」

「まあ、他に仕事がないから」

「君は軍人にはならない方が良い。その力をきっと使ってしまうから」


 アルツはムッと顔をしかめる。


「そんなことないよ。もうちゃんと制御出来てる」

「いいや、無意識に君は力を使ってしまっている。

 サシャスが言っていたんだけどね、君の剣を振る力は、君の体重や筋肉のつき方からではありえない強さらしい。前もって、あの力を使わないとサシャスに約束していたのだろう」

「――うん」

「約束を破っていないというのなら、君は知らず知らずのうちに、剣にあの力を乗せてしまっている。まあ、力の特性を考えれば致し方ないことだけれどね。

 でも、通常の軽い手合わせで完全に制御できないのに、ましてや生死を掛けた戦場ならどうなるのかわかるよね」

「――――うん」


 アルツは、悔しそうにぐっと歯を噛み締める。


「君の力がインバシオンに知られてしまっては最悪なことになる。君は恐らくあの国に連れさられて、良いように利用されるだろう」

「連れ去れても、言うこと聞かなきゃいいじゃん」

「連れ去られるのは君だけじゃないんだよ。君の大事な人たちもさらって人質にし、意のままに君を操ろうとするだろう。そうして、人質とともに贅沢三昧をさせて、死ぬまで君を身も心も縛り付けようとするに違いない」

「詳しいね」

「長年暮らしていたからね。実際そうして働かせている人たちを多く見てきた。あの国に君は見つかっては駄目だ。

 だから、この村で生きていきたいのなら、特殊技能を身につけるべきだ。今現在一番この村で必要とされる技能は医術師だろう。兵士たちのために医術師も薬術師もいるが、彼らは村人を誰一人として見てはくれない。僕も、見よう見まねで簡単なことは出来るが、重篤な患者には全く歯が立たない」


 レーフェルは暗い表情で目を伏せた。アルツは少しためらったあと、口を開く。


「父さんや、孤児院のみんなのために医術師になるのはいいよ。でも村の奴らのために何かをするのは嫌だ」


 村人らの孤児院の子どもたちへの態度は、確かに褒められたものではない。自分に余裕がないと、人はえてして弱いものにつらく当たるものだ。アルツが嫌うのは無理のない話しだろう。


「君は、『情けは人の為ならず』って言葉知っているだろう」

「……情けを掛けて甘やかすと、その人の為になりませんよ」

「……君は辞書を丸暗記してたよね?」


 アルツはそっぽを向いて、不承不承答える。


「『 情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるから、誰にでも親切にしておいた方が良い』って、意味だろ。オレ、ぜったい先に言った方が正しいと思う」

「納得出来ないなら、こう思っていなさい。『相手に手を貸すことで、心理的負い目を作ることが出来、それによって己に有利なように事を進めることが出来る』と。まあ、借りを作っとけいうことだ」

「――父さんの解釈も間違ってると思うよ」


 アルツが複雑そうな顔をして、ため息を付く。


「君は優秀な人間だ。多くの人間が助けを求めてくるだろう。それに自分の不利にならない範囲で、好悪問わず手助けしときなさいってことだよ。理解できたかい?」

「……まあ」


 アルツは不本意そうに頷いた。そして、レーフェルの顔色を伺うように見上げると、ぽつりとつぶやく。


「父さんはオレが医術師になったら、助かる?」


 レーフェルは、大きく頷き答えた。


「勿論助かるさ。助けられる命を何も出来ず、ただ見送るのは辛いからね」


 レーフェルがこの村に来てから一月と少ししか経っていないが、多少医学の知識があるだけのレーフェルに、頼ってくる村人のなんと多いことか。助けられなかった命はすでに一人や二人ではない。


「でもね、僕が君に医術師になって欲しいのはそれだけじゃない。僕は君が人の命を奪う人間じゃなくて、人の命を助ける人間になって欲しいんだ。

 人の命を奪うということは、人から多くの恨みを買う。人の恨みは君を不幸にするだろう」


 レーフェルの妻子が何故亡くなったか聞いているアルツは、くっと目を細めた。


「医術師になれば、人の命を多く助けることが出来る。そうすれば、君に与えられるものは感謝であって恨みではない」

「――医術師が助けられなくって、逆恨みされることだってあるだろ」


 医術師ではないレーフェルにさえ、助けられなかったことを責める村人もいたのだから。


「そういう場合も勿論あるだろうが、誠意的にかつ、ぬかりなく患者に対応出来ていれば、稀な事例だろう。人の命を奪って買う恨みと比べるべくもない」

「……父さんって、基本考え方が黒いよね」

「当たり前だ。人生40年近く生きていて、真っ白い人間の方がよほど気味が悪い。――さあ、君が医術師になるのに躊躇する理由は、他にあるかい!」


 幾らでも論破して見せるぞ! とばかり胸を張るレーフェルに、アルツはため息をつき首を振った。


「わかったよ。教都に行って、医術師でも薬術師でもなんでもなるよ」

「いい心意気だ。それ以外に魔術師にもなって来なさい」


 アルツはレーフェルの言葉に口をパクパクさせる。


「な、なんで魔術師に! ってか薬術師にもなるの前提なの?!」

「勿論だとも、医術師と薬術師は互いがいないと薬が処方出来ないんだよ。薬が処方出来ない医術師なんて、役立たずだからね。だから、君自身が薬術師になるか、君が教都から薬術師のお嫁さんを連れてくるかしてもらわないと」

「……なんでお嫁さんなんだよ」

「こんな辺境に来てくれる薬術師なんていると思っているのかい? いるとしたら、君に恋をした女性ぐらいだ。ならば、君は責任をとってお嫁さんにしなくちゃいけないよ!」


 アルツはしばらくガックリと肩を落としていたが、姿勢を正し、レーフェルに向き直った。


「薬術師の件は分かった。オレが薬術師にもなる。でもなんで魔術師にもなんなきゃいけないんだよ。オレは嫌だ」


 アルツと母親の確執の原因がアルツの魔力にあるのだから、アルツが魔術師になるのを厭うのは当然のことだろう。


「――これを言うのは情けないんだけど、実は僕、お金がないんだ!」


 レーフェルは、胸を張って言い切った。


「そ、それは関係あることなの?」

「勿論ある。医術師の学び舎に入るには試験がある。その試験は特殊でかつとても難しいものだから、ここで勉強することは出来ない。勉強するために、教都に数年は住まなくては駄目だろう。だが、そのお金を僕は捻出することが出来ないんだ」


 インバシオンでの財産は全部、国や家を捨てる際に没収された。今は神官としての給与しかないし、それは全部子どもたちを育てるために使ってしまっている。


「学び舎に入ってしまえば奨学金があるから、学費だけでなく生活費すべてまかなえるが、試験のため勉強する生活費は自腹しなくてはならない。

 でも、魔術師の学び舎なら、魔力の強い君は試験なしで入ることが出来るし、奨学金も出る。魔術師の学び舎に入れば、教都の図書館も自由に使えて、医術師の試験の勉強も出来る。そして君は魔術を正式に学ぶことで、その力を制御できるようになる。一石三鳥だと思わないかい?」

「――父さんは、オレに魔術を学んで欲しいんだね」


 アルツはレーフェルの意図を正しく読んだのか、ため息をつく。

 そう、レーフェルが魔術師になって欲しい一番の目的は、最後に言った魔力の制御なのだ。


「君はその力のせいで、辛い思いをさせられている。だったらその力を利用して、美味しい思いをしたほうが得だと思わないかい?」


 アルツはしばらく黙って考えていたようだが、諦めたように大きくため息を付く。


「分かったよ。医術師だろうが、薬術師だろうが、魔術師だろうが、剣術師だろうが、なんでにでもなる。それで、帰ってきて父さんの手伝いをするよ」

「――剣術師にはならなくて良いからね」

「わかってるって」


 レーフェルが誰を思い浮かべたか分かったアルツは、ニヤリと笑う。そして、大きく背伸びをした。


「あ~あ、学び舎か。貴族とか金持ちとかいっぱいいるんだろうな。そんな所に孤児院出身のオレが行ってやっていけるのか心配だよ。家名がないから、一発で庶民でばれるだろうし」


 ぶつぶつ文句を言う割りに、晴れやかな顔のアルツを眺めながらレーフェルは口を開く。


「それならば、僕の家名をあげようか?」

「――どういうこと?」


 アルツは首を傾げる。


「僕の養子にしようかと言っているんだ。君を『アルツ=ウィルニゲスオーク』にしてあげるよ。そうすれば、家名がついて一般庶民だとすぐにはわからないだろう」

「――オレもインバシオンの国籍になるってこと?」

「いや、僕がもうインバシオンから籍を抜いて教会に預けているから、国籍はアーリリア教になる。この国の軍人になるんじゃないのなら、別に国籍がアーリリア教でも問題がないと思うんだけど、戸籍上でも僕の息子になるのは嫌かな?」


 レーフェルが寂しそうに苦笑すると、アルツは焦ったように首を振った。


「ううん、嫌じゃないよ! ってか、父さんこそいいの? オレなんか養子にしちゃって……」

「勿論良いに決まってるだろう。戸籍はなんであれ、君たちは僕の子どもだと、とっくに思ってるんだから」


 レーフェルが笑顔で頷くと、アルツははにかんだように笑う。


「――――父さんが迷惑じゃないなら、籍に入れて欲しいな」

「迷惑なわけないじゃないか、嬉しいに決まってるだろう。じゃあ、さっそく書類を手配するよ」

「うん、ありがとう。父さん」


 レーフェルの言葉がそれほど嬉しかったのか、アルツは上機嫌でレーフェルの机上のものは何かと尋ね、レーフェルは微笑みながら「これは盤上遊戯のひとつでね……」と指差しながら説明をする。

 笑顔のアルツを眺め、レーフェルは心の中で呟いた。――嘘つきな大人でごめん。




 魔術師になるのに最短でも2年、医術師と薬術師はそれぞれ3年、実務経験も必要だからそれぞれ1年づつ働いたとしても、最低10年は掛かるだろう。この国は多分もってせいぜい12年だから、それだけアルツをこの国から離せられれば安心だ。レーフェルは、アルツが医術師になることを了承してくれたことに心底ほっとする。


 アルツを医術師にしたいレーフェルの一番の目的は、アルツをこの国、パラヴィーナから出すことだ。

 パラヴィーナがインバシオンから戦を仕掛けられても攻め落とされないのは、この国が強いからではない。この国の規模なら1週間もあれば属国に出来るだろう、かの国は。

 それをしないのは、次期国王と目される王女の初陣を勝利で飾るのに、パラヴィーナが適当だからだ。野生の肉食獣が己の子に狩りを教える際、親が弱らせた獲物を子の練習に使うように、弱らせたこの国を王女に狩らせるつもりなのだ、あの国王は。


 王女はまだ5歳だ。初陣は早くて15歳、遅くとも17歳、この国の命運は永らえてもあと12年なのだ。

 この国が攻め滅ぼされる時、この国にアルツがいたら、恐らくアルツは力を使ってしまう。そしてかの国に、あの国王にその存在が知られ、アルツは良い様に道具にされてしまうだろう。

 レーフェルは、それだけはなんとしてでも避けたかった。


 インバシオンに対抗できる国はこの大陸には皆無だ。対抗できるとしたら、様々な所に強い影響力を持つアーリリア教だけだろう。アルツをインバシオンにやらない為には、アルツをアーリリア教に組み込ませるしか手はない。

 だからアルツを教都の学び舎にやり、レーフェルの養子にすることで、インバシオンの属国になるであろうパラヴィーナから籍を抜くのだ。


 今アルツを説得したこの言葉は偽りばかりだった。レーフェルは村人が何人死のうと別に心は痛まないし、この国でアルツが医術師として働いて欲しいなんて露とも思っていない。


 レーフェルは、己の虚偽に満ちた言葉の数々を自嘲した。それでも……



 それでも、僕が君の幸せを願う気持ちに偽りはない。



 レーフェルは、目の前で笑うアルツを眺めながら神に祈った。


 どうか、この弱い心を隠して精一杯生きている僕の息子を、愛してくれる人が現れますように、と。


 僕はその誰かが現れるまで、君の心を守る鎧を君にあげよう。知識、処世術、生きる手段、僕の持てうるすべての力を使って、君を守るよ。


 そしていつか君の前に僕が作った鎧を取り去って、君の弱い心も愛してくれる人が現れるのを僕は祈っている。



 僕の愛しい息子を幸せにしてくれる誰かが現れることを。




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