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白金の医術師 黄金の薬術師  作者: 木瓜
第七章 17年前 国境の村 ラント
55/99

7-3

 子どもたちの寝室は、3つの二段積みの寝台がぎゅうぎゅうに詰められ、とても窮屈そうだった。アルツは寝台上段で壁に寄りかかりながら座っており、その傍らにはモーネがアルツにもたれて目をつむっている。レーフェルが入ってきたときにちらりと目が開いたので、寝ているわけではないようだ。


「神官様、どうかした?」


 アルツが手に持っていた本を横に置いて、問いかける。

 ちっとも大人を見下してないし、反抗的でもないじゃないか――アルツの礼儀正しい態度を見て、レーフェルは引継書の最後の箇所を二重線で消してやった。頭の中だけの話だが。


 レーフェルはアルツの寝台に近寄り、ふちに手を掛け話し始める。


「君が森の中に入っていると聞いてね。あそこが危険な場所だと君も分かっているのだろう。動物性たんぱく質は僕が早急に用意するから、今後あそこには入らないと約束してもらえないだろうか?」


 レーフェルが頼み込むと、アルツは「いいよ」と気軽に了承した。


「神官様から干し肉とか貰えるから、当分それで食いつなぐよ。それより神官様、『動物性たんぱく質』ってあいつらにも言ったの?」

「えっ。うん、言ったよ」


 レーフェルが頷くと、アルツは呆れた顔をしてため息をつく。


「『小さな子どもでも理解できる言葉をしゃべって』って言っただろ。それじゃあいつら分かんないよ」

「そ、そうか。う~ん、この場合なんと言い換えればいいのかな」


 レーフェルが首を捻ると、アルツは更に呆れた表情になって言い捨てた。


「『肉』でいいんだよ『肉』で」

「それじゃあ、卵や乳製品が逸脱するじゃないか。魚はその分類に入れて構わないと思うけど……」


 レーフェルの生真面目な答えに、アルツはぷっとふきだす。


「神官様、細かすぎ。子ども相手にそこまできっちり考えなくてもいいだろ」

「子ども相手だからこそ、言葉は正確に使わなければいけないよ。それより――君は別に無表情ってわけじゃないんだね」


 レーフェルの指摘に、アルツはまた表情が消えた。


「――前の神官から聞いたんだろ、色々」

「まあね。でもちっとも役に立たないんだ。ユソンは内気で、ゲーは気が小さい、だよ。全然違うから呆れたよ」


 アルツは口角を少し上げて笑う。


「確かに。ユソンもゲーも内弁慶だから、前の神官にはそう見えたんだろうな。オレはなんて聞いてたの?」


 アルツの好戦的とも取れる態度に、レーフェルはニッコリと笑って答える。


「『無口・無表情・無感動 大人を見下す態度をし、反抗的』だよ。僕は君に見下されている感じはしないし、今のところ反抗的な態度を取られた覚えもない。

 無口なのは、あれだけ下が騒げば一番上の君はそうならざるを得ないよね。無感動は君の心が読めるわけじゃないからわからないけど、無表情は……ちょっとそうかな。

 君はもうちょっと笑ったほうが良いよ、アルツ」

「……どうして?」


 アルツはまた無表情になって、レーフェルに問い返した。


「そりゃあ、得だからだよ。笑顔になるだけで、人間関係が2割は円滑になるね。僕個人の経験だけど」

「――子どもは笑うべきだとか言わないの?」

「勿論言うさ! 子どもこそ、快適に生きるためにも笑うべきだね。子どもが持つ最大の武器は笑顔だから!」


 力説するレーフェルに、アルツは眉をひそめる。


「意味わかんないんだけど」


 レーフェルは困惑顔のアルツに、ニヤリと笑いかけた。


「君は『天使の微笑み』というものを知っているかい?」

「――寒そうなネーミングだね」

「『新生児微笑』とも言う。生まれたばかりの赤ん坊が寝ている時や、満腹になった時にニヘ~っと笑うことをそう呼んでいるんだ」

「親馬鹿な思考回路のもと、名づけられたネーミングなんだ」

「その通り! 生まれたばかりの無垢な我が子が幸せそうに笑っている、という親馬鹿なフィルターが掛かった想像の元付けられたと思われるネーミングだ。しかし、この笑顔は単なる反射だということが分かっている」

「反射?」


 アルツは首をかしげた。


「そう、椅子に腰掛けている時に、膝の少し下を軽く叩くとぴょんと足が跳ね上がるだろう。それと一緒だ」

「ええと、別に嬉しくて笑ってるわけじゃないってこと?」

「神経が刺激に反応して、顔面に引きつれた筋肉の動きが出る。それが笑顔に見えるだけらしい」

「――結局は、親の勘違いなの?」

「そうとも言える。ただ、全く無駄な現象というわけでもないんだ。

 生まれたばかりの赤ん坊は、泣くばかりでこちらに無反応だし、世話も昼夜なくとても大変だ。そんな育児に疲れた両親は、この『天使の微笑み』を見るだけでこれまでの苦労もふっとび、また終わりのない育児に頑張れる。

 素晴らしいと思わないか? 無力な赤ん坊は『笑顔』という大人を思うままに操るすべを、生まれながらすでに身に着けているんだよ!」


 こぶしを固め、感動しているらしきレーフェルを、アルツは少し引き気味に見つめる。


「え~と、その結論がさっき言っていた『子どもが持つ最大の武器が笑顔』につながるってことだよね」

「その通り! 君の理解力は卓越しているね。僕の子どもは笑っていたほうが得だという持論は納得してもらえたかな?」

「な、なんとなく分かったよ……」


 アルツの微妙な表情に気が付かず、レーフェルは満足そうに笑う。そして、アルツの傍らにある本を見て更に目を輝かせる。


「懐かしい! 僕もこの本子どもの頃読んだよ。すごく大好きな本で、何度も読み返したなあ。アルツ、君もこの本が好きなのかい?」


 ニコニコ笑うレーフェルに、アルツは困ったような顔をした。


「オレが持ってる本、これだけなんだ。文字を忘れないように読んでいるだけだから、好きなのかどうかよく分からない。この本も母親のものだし」


 アルツは傍らの本をそっと撫で、苦笑する。大事に繰り返し読んでいるのか、手が当たる本のへりはすり切れているが、本自体はまだ綺麗だった。

 レーフェルは、このあたりは本が手に入らないという話を思い出す。だから荷物を持ってくる際、他の荷物を減らしてまで本を詰め込んだというのに、のん気にそんな質問をした自分の迂闊さをうらんだ。


「じゃあ、他の本も読んでみるかい? 明日届く荷物の中に本もたくさんあるんだ。君ぐらいの年齢の子が読む本も、何冊かあるから貸してあげるよ」


 レーフェルの言葉に、アルツは今まで一番嬉しそうな顔をする。


「貸してもらえるならすごく助かる。この本もう一字一句全部覚えちゃったから、さすがに読むの飽きてたんだ」

「全部覚えてるのかい? 一字一句?」


 レーフェルは驚きの声をあげた。子ども向けの児童書とはいえ、枕になりそうなほど厚い本である。


「何度も繰り返し読んでいるからね。神官様、辞書とかも持ってる?」

「あ、ああ。勿論あるよ。自由に使って良いからね。かわりにその本を貸してもらえないかな? 久しぶりに読み返したくなった」


 「いいよ、神官様」とアルツは機嫌よく返答した。よっぽど新しい本が読めるのが嬉しいらしい。


「そうだ、アルツとモーネも僕のこと『神官様』って呼ぶのやめて欲しいんだけど。構わないかい?」


 その言葉に、目をつむったままだったモーネが目を開け、レーフェルの顔を見る。


「オレは別にいいけど……。じゃあ、なんて呼べばいいの? 他の奴らはなんて?」

「……下の子たちは『お父さん』とか呼んでくれることになったんだけど」


 自分で言うには少し恥じらいがあり、決まり悪げにレーフェルは答えた。


「ふうん。じゃあ、オレは『父さん』って呼ぶね」

「へっ?」

「駄目だった?」


 レーフェルは首をぶんぶん振って否定する。


「いやいや、勿論良いよ。ただ、君ぐらいの年頃だと、他人をそう呼ぶの抵抗があるかと思っていたから」

「オレは別にないよ」


 屈託ないアルツの表情に、レーフェルは感心深げに頷いた。


「やっぱり『大人を見下す態度をし、反抗的』は全然間違っているなあ。君はとっても素直な子なんだね」

「――素直なんて、初めて言われたよ。オレ」


 居心地悪そうに身体を揺するアルツを、レーフェルは愉快そうに笑う。


「モーネは、僕をなんて呼んでくれるかな?」


 アルツの隣でじっとレーフェルを見つめていたモーネに話をふるが、モーネはついと顔をそらすとそのままアルツの腕に抱きつく。


「モーネ?」


 アルツが問いかけるが、首をふるふる振って顔をあげようとしない。


「いや、いいよ。モーネ、君の好きなように僕のこと呼んでね」


 レーフェルはそう声を掛けると、アルツに軽く笑って部屋を後にした。



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