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図書館裏の秘密の場所に行くと、アルツは即座に結界を張りわたしに聞いてきた。
「シア、神官が巫女の望みを叶えないと、神罰が下るって話は本当なのか?」
しかしわたしはその質問に答えられない。
「すみません。そのお話しよく分からないんです。ただ……」
「ただ?」
「女官らがよくわたしに跪いて『巫女様の望みはわたくしの望み。巫女様の喜びはわたくしの喜び』と言ってますが、何か関係あるのでしょうか?」
「――なんだかわかんないけど、ちょっと引いちゃうかも。そういう決まり文句でもあるのかな」
「小さい頃から言われていたので、特に疑問に思ったことはないのですが、変なのですね」
「う~ん。宗教のことは良くわかんないなあ。まあ、オルキデーア殿の話を聞く限り本当らしいね。巫女の言うことに神官が逆らえないのは」
アルツは納得してしまったようだが、わたしには確認しておきたいことがあった。
「オルキ先生はわたしが癒しの巫女だと分かっているのですか?」
「そういうことだね」
わたしは頭から血が一気に引く思いだった。
「す、すみません! わたしの正体が知れてアルツが咎めを受けることになる所だったのですね」
アルツに深く頭を下げるが、アルツはなんでもないように笑う。
「その件なら大丈夫、上手く誤魔化せたみたいだ。オルキデーア殿はシアが大神官の誰かに望み、その誰かがオレに依頼したから男装してウロウロしてたと思ってくれたらしい
「そんな話をしていたのですか! わたしの態度おかしくありませんでしたか?」
反応してはいけないと言われたのに、色々反応してしまった気がする。
「大丈夫だよ。シアの態度で逆に信憑性が増したみたいだし、万々歳だ。シアは今後オルキデーア殿に会ってもその件については『話せません』の一点張りでお願いします」
「はい! わかりました」
アルツはおもむろに私の頬を両手で挟むと自分に向けた。アルツの真剣な眼差しが自分に向けられ、わたしは思わずドキドキしてしまう。
「う~ん、やっぱり眼鏡だけじゃ誤魔化せないか。顔や瞳の色もまやかしの魔術で変えたほうがいいのかあ。シアの顔も紫の瞳も綺麗で好きだから変えたくないんだけど……」
アルツはそのままの体勢で、残念そうにじっとわたしを見るので、ドキドキは強くなり、顔も赤くなってきてしまう。
「あ、あの。アルツ……」
「あぁ、ごめん。つい見惚れちゃった」
そう言って離してくれたが、わたしの動悸は止まらない。
絶対アルツはたらしだと思う。子どものわたしにそういうつもりが無いのは分かっているが、つもりがなくてこれならば、その気になればすごくもてるんだろう。オルキ先生も言っていたではないか。
わたしが内心面白くなく思っているのを他所に、アルツは何かを考えているようだ。
「アルツ?」
「――シア、やっぱりオルキデーア殿の弟子になるの止めない?」
「やはり危険、ですか?」
白金の薬術師であるオルキ先生の弟子になれば、それだけ人目につくようになり、その分わたしの身の上が露見する危険性が高くなる。
「オルキデーア殿は、研究馬鹿で政治向きのことに興味ないし、おかしな噂話を聞いたことがないから大丈夫だと思ってたけど……」
アルツの浮かない顔にわたしの心配も募る。
「オルキデーア殿のシアを見る目は危ないと思うんだ!」
「――――えっ?」
「初恋の君とかなんとか言ってたし、オルキデーア殿が気難しい性格のせいか、今弟子は一人も居ないから研究室では二人きりになっちゃうし、図書館の禁書書庫でも密室だ。――あぁ! 自分で言ってて心配になってきちゃった。やっぱり弟子はやめとこうよ!」
「――オルキ先生は大丈夫ですよ。あれは、どちらかと言うと、アルツをからかっていた気がします」
アルツのおかしな心配に肩透かしを喰らったが、そういう意味での心配はないと思う。それに、
「それに出来たらわたしはオルキ先生の弟子になって、もっと色々勉強をしたいのです」
わたしが両手をぎゅっと握りそう言うと、アルツはしょうがないなあといった顔で苦笑した。
「シアは本当に薬術が好きなんだね」
アルツのその言葉にわたしは戸惑う。
「わたしは、薬術が好きなんでしょうか?」
「自分で好きって分からない?」
アルツの質問をよく考えてみる。わたしは薬術が好きなんだろうか?
癒しの巫女にとって、薬術は教養の一つとして教えられる学問だ。初代の癒しの巫女アルツ様が薬術師であったため言葉の次に重要な勉強なのだ。また、奥神殿の温室で多くの時間を過ごすので、毒物にもなる薬草の扱いを知るためでもある。
当たり前のように薬草に接してきたので、改めて好悪を考えたことがなかった。
「どう、なのでしょう……。好き、なのでしょうか?」
自信なさげに呟くわたしに、アルツは笑いかける。
「難しく考えること無いよ。『好き』ってのはね。それに接するとドキドキ、ワクワクして、楽しくなることだよ。接することが出来ないと寂しくて、もっとしたくなっちゃう。シアにとって、薬術はそういうものじゃない?」
新しい薬草を覚えていくことは、ドキドキして楽しかった。本を片手に薬草から薬を調剤することは、確かにワクワクして楽しかった。体調が悪く部屋から出れなくて温室に行けない時、本当に寂しかった。
「わたしは、薬術が好き?」
『好き』ということが良く分からなくてあまり自信がもてない。そんなわたしにアルツはクスリと笑って「それじゃあ『好き』を考えよう!」と言ってくれる。
「こないだオレの作った焼き菓子、好き?」
「はい! 美味しくってもっと食べたくって……好き、です」
「プリンはどうだった?」
「とっても! とってもとっても好き! です。食べると幸せになります!!」
「ふふ。そういう『好き』はね。『大好き』って言うんだよ」
「はい! プリン大好きです!!」
そう言う『好き』ならば良く分かる。アルツの作ってくれたプリンのことを考えるだけで、ドキドキするしワクワクするし、食べられないと寂しい。食べると幸せな気分になって、嬉しくなってしまう。
ふと見上げると、日陰を好む薬草の為に植えている樹木の木漏れ日が、温室に降り注いでいる。わたしは物心ついた頃からここでずっと過ごしてきた。女官たちに囲まれる自室は少し居心地が悪く、何時も可能な限り温室で一人でいた。
女官たちはわたしを敬ってくれるが、それはわたし自身ではなく、『癒しの巫女』に対してだという事はずっと前から気が付いている。わたしをわたしとして見てくれる人は、一人もいないという事も。
それを辛いと思ったことは無い。でも、少し寂しいとは思っていた。
そんな時は何時も、温室で地べたに座り込んで薬草たちを見ていた。ここの薬草たちは、この温室以外では生きていくことを禁じられた為、ここにしかないものも多い。
自分と同じなんだと思うと、少し寂しさが和らぐ気がした。
アルツに初めて出会った時も、そうして植物に囲まれながら寂しさを紛らわせていたのだ。でもその時から、わたしを見てくれる人がいない寂しさは消えた。アルツがいつでも巫女ではなく、『わたし』を見てくれていると分かるから。
アルツに目をやると、アルツはわたしを優しい顔で見守ってくれている。
その表情を見て、わたしはドキリとした。
アルツを見ているとわたしはドキドキしてしまう。アルツと一緒に外に出る時は何時もワクワクする。アルツが帰ってしまった後はずっと寂しくて、早く会いたいと願ってしまう。会えると胸が暖かくなり、すごく幸せな気分になる。そして、アルツが笑うと世界がぱあっと輝いて見える気がしてとても嬉しくなる。
「――わたし、アルツが大好きです」
突然のわたしの言葉にアルツは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になって、
「ありがとう。オレもシアが大好きだよ」
と答えてくれた。その言葉にまた嬉しくなり、わたしはアルツにぎゅっと抱きつく。
アルツの胸の中も大好き、いい匂いがしてホッとして、そしてやっぱり幸せな気持ちになる。
わたしはやはり薬術が好きなんだろう。身近過ぎてよく分からなかったけど、今までずっとそれだけに心を動かされ、奪われていたのだから。
でも、今はそれよりずっとずっとアルツに心を動かされ、奪われている。
わたしはアルツが好きなんだ。
それは、わたしの心にすとんと落ちた。




