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夜の図書館は昼間と全く違う雰囲気で、一歩踏み入れた瞬間わたしは思わず身をすくめた。利用者もほとんどおらず、いるのは一人だけいる受付と恐らく別フロアの自習室ぐらいなのだろう。
わたしはあのあとアルツと別れ、なんとか薬術の禁書書庫に入り込めないか考えていた。そして夜遅くなら人が少ないだろうし、大丈夫なのではないかという結論に達したのだ。
学び舎の図書館は年に数回有る棚卸以外は、24時間休み無しで開館しているそうだ。図書館で働く人たちは大変だと思うのだが、学び舎の学生や白金を目指して研究している人たちには図書館が閉まることは許せないらしい。
予想通り人が少なくホッとしたが、問題は禁書書庫が開いているかどうかである。受付の人間が席を外した隙にわたしは受付の中に入り込み、件の扉のノブをそっと回してみた。
「空いた!」
なんとすんなり開いてくれる。素晴らしい僥倖に、わたしは喜び勇んで中に入り込む。
中に入ると空気は古書独特の匂いで澱んでいた。それほど広く無い部屋は書架でぎっちり詰まっており、薄暗い灯りの中、本たちがひっそりと息づいている様にわたしは本来の目的を忘れ、胸が高鳴るのを抑えられない。
いけないいけない、人が来る前に目的の本を探さないと……。
わたしはきっちり分類され整然と並ぶ本の背表紙に目を走らせる。そして幾ばくも無く見つけられた目的の本に手を掛けた途端、男の声が後ろからわたしを襲う。
「お前のような子どもが、何の目的でウテウオの臨床結果に関する本を手にするのだ」
あまりに驚きで叫びそうになる口を塞いで、わたしは振り向く。
そこには真っ白い髪と真っ白い髭に覆われたお爺さんが、眼光鋭く睨みながら立っていた。
わ、わたくしの愚か者! 鍵が開いてるのは部屋に誰かがいるからに決まってるではないか!
改めて考えると当たり前な結論にわたしは眩暈がして、足がガクガク震えるのを感じる。わたしが何も言えずに立ちつくしていると、老人はため息をつき、わたしに「こっちに来い」と命じ狭い書庫の奥に誘った。
少し開けたそこは6人ほど座れそうな大きな机と椅子があり、机の上には山積みされた本と灯りが置いてある。老人はそのうち一つの椅子にわたしを座らせると自分もその横に座った。
「で、お前は何故その本が必要なのだ」
わたしがそのまま持ってきてしまった本を一瞥し、再び質問を重ねる。アルツやコズミさんのことは話せない。しかし、自分に相手を騙す嘘がつけるとも到底思えない。なので、わたしは常々考えていたことを口にすることにした。
「ウテウオが何故、一掃されてしまわなければいけなかったのか知りたくて……」
「そんなこと、開架図書を読めば分かるだろうが」
「いえ、強い副作用のこととか麻薬の原料だとかそういうことではなくて、一掃するに至った詳細な経緯を、それ以外他に本当に手は無かったのか知りたくて」
薬草は、わたしたちがその薬効に気が付いたから薬草と分類されているだけで、本来なら普通に自生しているだけのただの草なのだ。それを人間の役に立つからと珍重されたり、人間に害を為すからと一掃されたりすることがわたしには釈然としなかった。
「――お前は何か手があると思っているのか?」
「わたしは薬術師ではありませんのでよく分からないのですが、今の薬の管理はかなり杜撰だと聞きました。ここの薬術院でも薬の数量も数えていないから、薬術師や医術師が自由に持ち帰ったりしていると。毒物などの管理は有る程度されているそうですが、それもせいぜい鍵のかかる部屋に置かれているぐらいだと。
もっと厳重な薬の管理が出来れば、ウテウオのような麻薬の原料になる禁止薬物も有効に活用することが可能にならないでしょうか?」
老人がじっとわたしを見ているのを感じ、ドキリとする。つい調子に乗って考えていたことをつらつらと話してしまった。
「薬術師でないのに、詳しいのだな」
「――医術師の知り合いがおりますので」
しまった、アルツに迷惑が掛かってしまう。わたしは思わず視線を彷徨わせる。
「どうしてお前は禁止薬物の活用をしたいのだ」
「――人の勝手な都合で、草花が一掃されてしまうのが嫌なんです。植物はただ生きてるだけなのに」
奥神殿の薬園にはたくさんの禁止薬物の植物が植えられている。それらは様々な理由で栽培が禁止になり、奥神殿の薬園以外のものはすべて根こそぎ捨てられ無くなってしまった。薬園の草花はただ育ち枯れていくだけで、あそこの薬草が誰かの為に使われることは無い。薬術を教わり、それらで薬を作るようになったが、その薬も誰に使われること無く捨てられる。わたしはそれらを何時しか虚しい気持ちで見るようになった。奥神殿で誰にも知られず生まれ死んでいく草花にもしかしたら自分を重ねて見ているのかもしれない。自分という無意味で不毛な生と。
今は癒しの巫女として役割があるが、20歳になったらそれも無くなる。その後はせいぜい次ぎの巫女を産む仕事があるだけである。それが終わればわたしの役目は終わる。あとは薬園の草花のように無意味に生きて死ぬだけである。アルツのように人の役に立つことはないのだ。
わたしの話を聞くと老人はしばし考え込んだが、おもむろに口を開く。
「ここの本はわしでさえ持ち出すことは許されない。だから、ここで読んでいけ」
「――良いのですか?」
「良くは無いが、まあ良い。お前をわしの弟子ということにしてやろう。弟子なら白金のメダルが無くとも師の手伝いという名目でこの部屋の入室も許可される。わしはこの時間大概ここに居るから、受付でこれを見せれば良い」
そう言いながら懐から白金のメダルを取り出し、机の上にあった朱肉に付けると傍らの紙に押し付けた。老人はその紙をわたしに渡すとニヤリと笑う。
「これでお前は白金の薬術師 オルキデーアの弟子だ。こき使うからな、心して働け」
「わ、わたしを弟子にして下さるのですか? わたしは薬術師ではないのですが……」
「分かっておる。その年で薬術師であるほうがおかしいわ。薬術師の弟子が薬術師でなくてはならん道理はない。
お前のやりたいことを為すのに、わしの弟子という立場は役立つだろう。だからお前もわしの役に立つよう精進せよ」
あまりの急展開にわたしは目をパチクリしてしまった。
「ほ、本当にわたしを弟子にしても良いのですか? わたしは名も明かしていないのですよ」
オルキデーア様はつまらなそうな顔になり、しょうがないといったふうに口を開く。
「名などどうでも良いが、名乗りたいなら名乗れ」
「……シアルフィーラといいます」
「はっ! 万能薬の名か、出来過ぎとるわ」
わたしが名乗ると、オルキデーア様はそう言って鼻で哂った。
「……オルキデーア様は失礼です」
アルツが付けてくれた名前笑うなんて酷い。わたしがムッとした顔になっても少しも気にした様子もなく話を進める。
「オルキで良い。様も付けるな」
「オルキ先生で良いですか?」
「結構だ。お前は未成年だろう。保護者に一度わしの研究室まで挨拶に来いと伝えとけ」
「――言わないと駄目ですか?」
「当たり前だろう。そうでなければ、この話はなしだ」
アルツに叱られるのは確定で、わたしはガックリしてしまった。




