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白金の医術師 黄金の薬術師  作者: 木瓜
第四章 カジノの街 サルト
32/99

4-9

 夜明けまではまだ間がある。あたしたち双子はは周りに気を使いながら、アルツたちの部屋の前に立った。宿の警備なんてあたしたちには楽勝だが、アルツの結界は無理だと思っていた。しかし部屋の扉を見る限りは何も施されていないように見える。クロトを振り返り目で確認するが、問題は無さそうだ。それでも慎重に鍵を解錠して、扉を押し開け身体を部屋の中に滑り込ませ、クロトも続いて入ってきたのを確認すると、音を立てないように閉めた。


 入った部屋は居間で、寝室は奥の扉のようだ。サルトでも一番の上宿でこの部屋のつくりだ、相当値が張るに違いない。一緒に旅をしていた時、アルツは何時も小奇麗だが一般庶民が利用する普通の宿を使っていた。お金には困っていなかったから、アルツ自身がああいう肩肘張らない所が好きなのだろう。ならば、今こうした高級な宿に泊まる理由はあの相手の為に他ならない。アルツがそこまで気を使うんだと考えただけで、悔しくて腸が煮えたぎりそうだった。


 その部屋も寝室の扉もなんの仕掛けもなかったので、そのまま寝室に忍び込む。

 二つある寝台の片方で、アルツは身を起こしてあたしたちを眺めていた。


「ポルテ達に、モーニングコールを頼んだ覚えは無いんだがな」


 アルツに気づかれないとは思っていなかったから、アルツが起きていたことに何の動揺も無い。

 しかし、その声で目が覚めたのか、アルツの傍らから少し寝ぼけた「んん……アルツ?」という声が聞こえた瞬間、頭にどっと血が上った。


「こんなに立派な寝台が二つもあるのに、一緒に寝る必要ないでしょ!! でかい図体の男が二人なんて狭いじゃない」


 思わず、言わずもがなのことを叫んでしまう。


「野暮だねぇ。寝込みを襲っててそれはないでしょ?」


 アルツは意地悪そうな顔で笑う。あたしの気持ちを知った上でこんなことを言うんだ、本当に憎らしい。でも本当に憎いのは隣の男だ。まだ寝ぼけているのかぽやっとした顔で起き上がりながら「――アルツ。ごめんなさい、狭かったですか?」とか聞いている。それに対し、アルツも見たことがないような甘い顔と声色で「この寝台は大きいし、くっついて寝てるから全然狭くないよ」とかほざく。


 なんだ! なんなんだこのゲロ甘カップルは。こんな明け方に忍び込んできたあたしたちが、心底馬鹿みたいじゃないか!


 あたしが何度も扉の前で憤死していると、アルツの横の男はやっとあたしたちに気が付いた。


「あ……、ポルテさんにクロトさん。おはようございます」


 ――天然なのか? そんな気がしていたが、やっぱり天然なのか? 寝室に突然他人が入り込んでいて、それしか言うことがないのか?


「……あれ、どうしてここにいらっしゃるんですか?」


 ただ、寝ぼけてるだけなのか?


「まだ、目が覚めてないね、シア。お茶を入れてあげるから、着替えたら居間に行って。クロトたちも居間で待ってて。話したいことがあるからこんな早くに来たんだろ」


 アルツはそう言って、あたしたちを寝室から追い出した。そして、寝室で簡単に身支度を整えると、居間に備え付けのキッチンでお茶の用意を始める。

 あたしたちが気まずい雰囲気で居間の椅子で待っていると、寝室からあの男がやってきた。物は良さそうだが、ごく当たり前の普段着を着ているだけなのに、その姿にはあたしだけじゃなく隣のクロトも目を奪われてしまう。


 昨日は編んでいた長い黒髪をそのままに、長身で細いながらもしなやかなその身体が、ゆっくりこちらに向かって歩いてくる様は艶やかで美しく、そしてあたしがいくら自分を磨いても絶対真似できない、生まれながらの気品に満ちていた。

 こっちは一時間掛けてメイクしてきてるのに、寝起き準備5分の男に負けるなんて本当に許せない。そう思うのだが、逆立ちしてもどんなに頑張っても勝てそうに無い相手であるのは明白で、萎えそうなライバル心をなんとか奮い立たせて、あたしは相手を睨んでやった。

 すると、男は困った顔をしてその場に立ち尽くす。自分の部屋なのに、まるであたしの許可がなければ椅子にも座れないかのように。


「シア、座って」


 お茶を用意したアルツがそう声を掛けると、男はおずおずといった感じであたしの前の椅子に腰を下ろした。アルツはそれぞれの前に茶器を置くと、男の座る椅子の手もたれに腰掛け、髪に手を掛ける。


「お茶を飲むのに邪魔だね。今結っちゃうからちょっと待って」

「すみません。髪はまだ一人で結えなくて……」

「いいんだよ、オレが教えてないし。シアの髪を触るの好きだから、これからもオレが結いたいな」


 アルツはそう言って、男の髪を一筋掬うとそこに口付ける。



 だああああああああ!! ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ甘甘だあああ!! くそお! あたしたちは何しに来たんだこんちくしょう!! バカップルのいちゃつきに当てられに来たのか?!





 ――――お、落ち着けあたし。男の方は分かんないけどアルツは多分わざとやってる。わざとあたしたちに見せ付けてこっちの気を殺ごうとしているに違いない。これが彼らの普段の姿かもしれないが(男の様子を見る限りその可能性が高い気がするが)、それをわざわざあたしたちに見せる必要はないはずだ。アルツの小細工に翻弄されるな! 冷静になれあたし!!


 あたしの冷たい視線に気が付いたのか、男は頬を少し赤らめて恥ずかしそうな素振りを見せた。

 そうだろう、あんないちゃいちゃした所を人に見られるのは、羞恥心があるのなら誰だって嫌だ。


「いえ、髪も結えないなんて恥ずかしいので、今度教えて下さい」

「あんたの恥ずかしいポイントはそこなのか!! 髪にチュウは平気なのか、おい!」


 思わず突っ込んでしまった。


「ふふふ。シアは可愛いでしょ」

「お前の言うこともおかしい!!」

「――アルツ。髪にキスするのはおかしいことなのですか?」


 男は驚いたようにアルツを見る。


「人前では控えるべきかもね。合意の上で二人きりなら何しても問題ないよ。シアはオレにキスされるの嫌い?」

「好きです。――けど、ポルテさんとクロトさんがいらっしゃるのですが……」

「二人は仲間だから気にしないで良いよ」

「はい!」


 ――なんなんだこの男は。あたしの理解を超えてる。


 あたしがぐるぐるしていると、隣に居たクロトがため息をついてアルツを睨む。


「アルツ。ポルテを翻弄して、話を誤魔化そうとしないで。ぼくたちは見せ付けられにここに来たわけじゃない」


 あああああ冷静になれと思ってるそばから翻弄されてるよ、あたし。アルツには何時も手玉に取られてばっかりだ。しかしクロトが冷静なのは、すごく悔しい。この男はアルツに相応しいから諦めがついたなんてほざいていたのは本当だったのか。ちぇっ、あんたの気持ちなんてせいぜいそんなもんだったのよ。


「じゃあ、何しに来たんだい。俺たちについて来たいって言われても『だ~め!』としか返事は出来ないと分かってるんだろう」

「駄目と言われて素直に諦める人間に見える? ぼくたちが」

「――見えないから会いたくなかったんだけどねえ」


 アルツは困ったように苦笑する。

 あぁダメ。超スキ過ぎるその笑い方。全然優しくないくせに、全然相手にもしてくれないくせに、アルツは最後にはあたしたちに甘かった。「しかたがないなあ」「お前たちにには敵わないよ」と困った顔で苦笑しながら、結局駄々をこねるあたしたちの願いを聞いてくれていた。

 仕事を手伝いたいと恩を返したいと追いかけた時も、魔術院の学び舎を出てすぐのあたしたちが役に立たないどころか邪魔でしかないことを分かっていたくせに、渋い顔をしながらも最後にはついていくことを許してくれた。


 そうあたしたちはここに駄々をこねに来たのだ。甘えにきたのだ、「アルツと一緒にいたい」「あたしたちを捨てないで」と。




「ついてくる事は許さない。何度も言わせるな」


 ――聞いてくれないって分かっていたけど。


 冷静な顔で言い放つアルツを見て、あたしは切なくなる。

 仕事が終わって去る時もそうだった。どんなに拗ねても泣いても怒っても、アルツは絶対あたしたちがついていくことを許してはくれなかった。


 アルツの隣で成り行きを見守る男を見る。無表情で背を伸ばし座る姿は、顔立ちが整っている分だけ人形のようだ。アルツはきっとこの男に関わることで折れることは無いんだろう。アルツにとって、あたしたちよりこの男の方がずっとずっと大切なんだ。分かっていたけど、こうして突きつけられるとひどく辛い。

 クロトが気遣わしげにあたしの方を見るのが分かったが、あたしは顔を上げられなかった。


「ぼくたちが2年間教都の魔術院で勉強している間、アルツのことを調べていた。知っているよね」

「――まあね」

「この半年も引き続き人を使って調べていたんだけど、それも知ってる?」

「お前たちと別れてしばらくは自由がなかったからそれは知らなかったけど、――お前たちはオレのストーカーか?」

「そう。アルツのことが大好きだから、全部なんでも知りたかったんだ。アルツに捨てられてからは、どうすればアルツと一緒にいられるかばかり考えてた」

「……訴えても良い?」

「構わないよ。今からアルツを脅迫する気だしね」

「何をネタに?」

「アルツの一番弱いところを」

「――探ろうともするなと言ったはずだよな」

「昨日ね。もう探った後だもん、遅かったよ。資料が膨大だから、詳細を思い出すのに一晩掛かっちゃった。


 黄金の薬術師 シアルフィーラ――最初に教都でその名が出るのは8年前、図書館の貸し出し記録だ。当時教都の医術院で働いていたアルツ=ウィルニゲスオークを保証人として仮登録されていた。

 そして、アルツと一緒に図書館にいる姿を度々目撃される。黒髪長髪の眼鏡を掛けた美少年で、結構目立っていたから記憶に残っている人も多いみたいだ。

 不思議なのはその格好、学び舎の学生が着る制服を着ていたらしい。学び舎の学生ならどうして図書館でアルツを保証人に仮登録してたんだ? 学生は普通学び舎に入ると同時に本登録されているはずだ。

 答えは学び舎の学生じゃなかったから。当時、学び舎の学生に『シアルフィーラ』という人物は登録されていなかった。じゃあ、この人物は何者なんだろう」


 クロトの言葉に、アルツは表情一つ変えない。それに対し、隣に座る男は顔面蒼白で今にも倒れてしまいそうだった。


「シアルフィーラなる人物が、ちゃんとした身分で教都の薬術院に登録されたのは4年前。身分保証人は最年少大神官として名高いナスカ大神官。彼の遠縁だからと下にも置かない扱いで薬術院に入る。

 本来なら薬術院の学び舎で3年以上の講義・実習が必要なのに、薬術院最古参の白金の薬術師 オルキデーア師の計らいで、特別に講義・実習をパスして薬術師の試験を受け、青銅の薬術師のメダルを取得。そのままオルキデーア師の研究室に入り、黒銀を経て先月黄金のメダルを取得した。今最も白金に近い人間と目され、最年少取得記録を更新するだろうと期待されている。

 そのあまりの優遇措置に、いくら優秀とはいえ妬みを買いそうだけど、本人の穏やかな性格とアルツの後押し、そしてなによりナスカ大神官に良く似た容姿から、癒しの巫女の血縁者なのではないかとの周りの憶測により、周囲から概ね厚遇されている」

「よく調べたなあ。特に4年以上前の方。図書館記録を持ち出すなんて重罪だぞ」


 アルツはなんでも無いように朗らかに笑った。


「それで、なにを言いたい?」


 足を組み換え、手もたれに肘をかけクロトを眺める。あくまで悠然とした態度に、クロトはぐっと怯んだ表情になった。

 頑張れ、クロト。アルツに負けるな。


「以上のことを踏まえて、昨日のこの人の様子を見ると、一つの推測が出来る。

 昨日、シアルフィーラはロサの寝室で何をしていたのか。

 答えは『癒しの術』を使っていたんだ。この人は魔術師じゃない。魔術師じゃない人が、あれほど魔力が消費されるような状態に普通はならない。だとしたら、普通じゃないことをこの人はしたんだ。シアルフィーラはアルトレージュ様の従弟であるナスカ大神官の遠縁。

 貴方は白金の徒なんじゃないんですか? 神殿が公表出来ないような隠された身上の。

 店で詐欺師が言っていたように耳の装身具は魔具だ、ぼくには分かる。それで白金の髪を黒く変えているんじゃないんですか?」


 言い募るクロトに、男は青い顔のまま目を伏せた。それでは肯定していると同然だ。予想通り、お坊ちゃん育ちのちょろい人なんだろう。へへんと見下してやっていると、アルツのクスクスと笑う声が聞こえ、思わず身体が硬直した。


「それが、お前らの脅迫のネタか? こんなことでオレを脅せると思われるなんて、オレも見くびられたもんだな」


 全く余裕な態度を変えないアルツに、クロトは少し焦った様子を見せる。


「否定はしないの?」

「更に言うと、シアの母親は先代アルトレージュ様の双子の姉、アルトサージュ様だ」


 クロトとあたしの息が止まる。


「このことは神殿でも大神官以上の人間しか知らない」

「――あたしたちに言っちゃっていいの?」

「良いわけが無いだろう。だから、お前たちをオレの監視官の権限をもって拘束する」

「「そんなっ!!」」

「『知らないほうが身のためだ』って言っただろ。忠告は素直に聞くべきだね」


 そう言うと同時に、あたしの身体は目に見えない何かで縛り上げられ、そのまま地面に叩きつけられた。隣でクロトも同様に転がっている。

 アルツの繋縛けいばくの魔術だ。今まで何度も敵対した相手に施されてきたのを見たが、自分たちにされたのは初めてだった。

 あたしたちはアルツの敵になったんだ。脅迫しようと決めた時、覚悟はしたはずだった。でも実際に仕打ちを受けると後悔で涙が滲んでくる。結局あたしは思い上がっていたんだ。アルツは最後にはあたしたちを許してくれるって、甘えてたんだ。


「神殿の重要機密抵触の罪で拘束した。お前たちの身柄はそのまま教都のナスカ大神官のもとに送る。身の処遇は追って下されるだろうが、甘い期待はするな。オレはなんの手助けもしない」


 アルツの無慈悲な声が追い打ちを掛ける。絶望があたしの身体を引き裂いた。

 アルツに今生の別れを告げられた時、これ以上の地獄はないと思ったけどそれは違う。あれはアルツの温情だったんだ。あの時ですらきっと神殿側からすれば、色々な秘密を知るあたしたちは消したい存在だったはずなのに、アルツが助けてくれたからあたしたちはのうのうと暮らして来れた。それなのに、その厚意に後足で砂をかけるようなことをしたあたしたちに、アルツは遂に見切りをつけたんだ。自業自得という言葉が頭を駆け巡り、心を締め付ける。


「アルツ! 駄目です。この人たちを切り捨ててはいけない!」


 あの男の悲痛な叫びが、静まり返った部屋を切り裂く。

 目を上げると、あいつは立ち上がってアルツを必死な顔で見つめていた。アルツは組んだ足を下ろし、男に向き直る。


「大切な人をそんなふうに切り捨ててしまわないで下さい」

「シアより大切な人間はいないって言っただろう」

「わたしは何も分かっていない愚鈍な人間ですが、アルツがお二人をとても大切に思って可愛がってることは分かります。

 アルツがわたしを大切にしてくれるのはとても嬉しいです。でも、だからと言ってわたし以外を切り捨ててしまうことが、正しいなんてわたしには思えません」

「正しいことじゃなくても、君が傷付く可能性があることからすべてを守るのがオレの役割だ。

 オレはなんでも守れるほど強くない。オレの両手は君を守るだけで精一杯なんだ」

「この二人はわたしを傷付けません」

「――何を根拠にそんなことを言えるんだ」

「だって、アルツの大切な人だから。アルツの好きな人が人を傷付けることなんてしません」

「君は……」

「二人の拘束を解いてください」

「……そのお願いは聞こえなかったことにするよ」

「アルツ!!」


 何なんだ、この甘ちゃんは。

 あたしは信じられない思いで男を眺め、そしてアルツに同情した。こんなおめでたい奴を守らなきゃいけないなんて大変だね。でも、それでもこの男を選ぶんだ、アルツは。 もういいよ、あたしたちは賭けに負けたんだ。覚悟の上の反逆だったんだから、しょうがない、諦めるよ。


「これは、あたしたちとアルツの問題よ。部外者は口挟まないでくれる?」


 あたしが鋭く睨みつけながら言ってやると、男は口を噤む。


「あたしたちがアルツに逆らったんだから当然の報いよ。罪を犯したんだもの、罰は勿論受け入れるわ」


 そう言い放つとアルツは少し悲しげに笑った。


「潔いね、――ポルテらしい。二人とも、繋縛はそのままで寝室にいてもらう。教会に手配させるから2、3時間我慢してくれ」


 そう言うとアルツはあたしの傍らにしゃがみこみ、両手をあたしの背中と膝の裏に入れるとそのまま抱き上げる。

 途端、昔の記憶が蘇り、あたしは湧き上がる涙を堪えることが出来なかった。


 まだアルツと出会って間もない頃、クロトと遅くまで遊んでつい眠り込んでしまい、アルツがあたし達をこうして抱き上げて寝台に運んでくれたことがあった。抱き上げられた時に目が覚めたけど、恥ずかしくてそのまま寝たふりをした。でもアルツはきっと気が付いてた。くすりと笑った気配にドキドキしながらじっとしていたら、そっと布団を掛けてぽんぽんと二回叩いて去っていった。


 親の記憶なんてない。大人達はあたしたちを食いものにしようとしている奴等ばかりだった。気を許せる人間は片割れのクロトだけで、アルツだって胡散臭い奴だとずっと思ってた。何時からなんだろう、こんなにもっと一緒にいたいって切実に願うようになったのは。


 でももう二度と一緒にいられないんだ。これで決別なんだと思ったら、涙が次々溢れ出て止まらなくなった。嫌なのに嗚咽も止まらない。やっと成人したのに、子どもに戻ってしまったみたいで恥ずかしくて悔しかった。


 するとアルツはあたしを椅子に座らせ、涙をそっと拭い、そしてあやすように頭を撫でてくれる。

 好きだ、大好きだよ、アルツ。これで別れてしまうのは悲しいけど、アルツに会えたこと、神さまに感謝してる。


「アルツ=ウィルニゲスオーク」


 凛とした声がその場に響く。途端、撫でてくれていたアルツの手がなくなり、近くに感じていた温もりも消えた。


「はい」


 アルツは厳かに返事をすると男の前に膝をつく。


 涙で霞む目を上げると、あの男が立ったまま無表情な顔でアルツを見ている。今までのぽやっとした雰囲気とはまるで違い、毅然とした態度は威厳さえ感じさせた。


「この二人を拘束し神殿に送ることを、わたくしは許しません。繋縛けいばくの魔術を解き、自由にしなさい」

「二人が自由になれば、私たちを追ってくると思われますが、よろしいのですね」

「……構いません。二人が囚われの身になることをわたくしは望みません」

「それでしたら、二人を自由にいたしましょう。

 あなたの望みが私の望み。あなたの喜びが私の喜びですから」


 そう言うとアルツは男の上着の端を手に取って、そこにそっと口付けた。




 呆然とその一幕を、あたしたちは何も言えずに見つめていた。

 次ぎの瞬間にアルツはすくりと立ち上がり、何もなかったかのようにあたしたちの方へ歩み寄る。途端、目に見えない拘束は解け、両手はそのまま椅子の上に落ちた。アルツはその手を取りしげしげと眺める。


「駄目じゃないか、傷になってる。力を入れてもこれは解けないって知ってるだろ」


 呆れたようにぼやく姿は何時も通りで、先ほどのやり取りは夢だったのかと疑いたくなるほどだ。


「アルツ。お二人の傷を見てあげてもらえませんか?」


 男の方も今までどおり、低姿勢な態度に逆戻りだ。


「勿論良いよ。――シア、どこ行くの?」

「……ちょっと顔を洗ってきます」

「了解。もうちょっとしたら、朝食食べに行くからね」

「……分かりました」


 アルツのほうは、何のわだかまりも感じられない普段通りの態度なのに対し、男は少し沈みがちだった。

 男が出て行くと、アルツは医療鞄を持ってきて、あたしとクロトの傷に薬を塗って包帯を巻く。

「本当にあたしたちを自由にする気?」

「シアが望むからね」

「……自由になったら、あたしたちついてくよ」

「う~ん、来て欲しくないけど、オレには止められないからなあ」

「…………あの男が望むから?」


 アルツはニコリと笑い


「その通り」


 と、嬉しそうに答えた。


「あんたたちの関係ってなに?」

「な~いしょ」


 アルツはプライドの無い男だ。必要ならば幾らでも膝を折り、頭を下げることが出来る。でも心まで従うことは決してない。心の中で哂い絶対に服従はしない。

 それが、あの男の前で膝をついたアルツの様子は一体なんだったんだろう。

男に盲従し、その顔は恍惚とさえしていた。


「あんなの、アルツじゃない」


 あたしが思わず呟いた言葉をアルツは鼻で哂う。


「ポルテがオレの何を知っているんだい」

「――!」

「お前たちを自由にする。シアがそう望んだからね。ついて来るのも勝手だ。

 でも、もしお前たちがシアの身に何か不都合を及ぼすならば――」


 アルツはそこで言葉を切り、凄然たる表情であたしたちを見る。


「命は無いと思え。次は容赦しない。シアの命が下る前にお前たちを処断する。

 それでも構わないのなら、好きにしろ。もうオレはお前たちに来るなとは言わないよ」


 そう言って立ち上がると、あたしたちに一瞥をくれることもなく、戻ってきた男と部屋を出て行った。





 ついていける事になったけれど、もしかしたらこれがアルツとの本当の決別になるのかもしれない、あたしはぼんやりとそう思った。




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