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言い訳をさせてもらえれば、どう考えても人形以外あり得ないと思うのだ。この温室に入ったときに、遠目ながらその姿は目に入っていた。しかしたくさんのクッションに埋もれて、ちんまりと微動だにせず座っている様はどう見ても人形以外何物でもない。
何の感情を映さないその薄紫色の瞳に、扇状に広がる艶やかな白銀の髪。人とは思えぬ端麗な顔立ち、透き通るような白皙の肌、持つ色の中で一番鮮やかな赤い唇は、その幼い容姿には余りに艶かしくアンバランスな美しさを醸し出していた。
生身の人間と思うにはあまりにも作り物めいた愛らしさに、まだ12歳だと聞く癒しの巫女の姿を写した人形かなと勝手に和んでいた。まさか、祭儀に出席しているはずの癒しの巫女が、一人で地べたに座り込んでるなんて誰が思うもんか。
「い、癒しの巫女……なのか?」
「はい」
オレの否定してくれという切なる望みは呆気なく絶たれた。オレの人生はこれでおしまいだ。ご免な、父さんたち……。そう落ち込むオレに、彼女は首を傾げてこう聞いてきた。
「貴女は新しい女官ですか?」
「そんなわけあるかーーー!! どうみても男だろ!」
すると彼女は目を見開いた。多分驚いてる。
「貴方は男性なのですか!」
「――もしかして男に会ったこと無い? とか」
「はい、初めて男性に会いました。男の方は背が高いのですね」
癒しの巫女ってどんだけ箱入り娘なんだよ! あの結界は精神まで巫女を囲えるのか?
「では貴方は守護騎士なのですか?」
「――守護騎士ってなに?」
「わたくしと子どもを作る方です」
「ぶっっっ!!」
オレは思わずむせるが、巫女は構わず話しつづけた。
「女官に私が初めて会う男性は、守護騎士になる方だと聞いていました。貴方は違うのですか?」
「……オレは薬草を盗みに忍び込んできた、ただの泥棒だよ」
とんでもない世間知らずだ。幾らでも騙して誤魔化せる自信があったのに、何故かオレは正直に話していた。どうしてだろう、自分でも分からないが彼女に嘘をつきたくなかった。
「盗む必要はありません。ここの薬草は自由にして良いといわれています。貴方が必要なものを持って行けば良いのです」
「君が自由にして良いという意味だから、オレが持っていては良くないと思うよ」
「わたくしが摘んで、貴方に渡せば良いのではないのですか?」
「そうして貰えれば、オレはとても助かるけど……」
あまりの警戒感のなさに、オレは思わず苦笑する。すると彼女は目をまんまるくさせて、
「今の顔をもう一度してください!」
と、お願いしてきた。
「今の顔?」
「はい、目が細くなり、口角が上がった顔です!」
「――も、もしかして笑った顔見たことないの?」
「今の顔が笑顔なのですね! 本で読んではいましたが、見ているだけで嬉しい気持ちになりました。とても良いものなのですね」
あまりのことにオレは絶句する。人の笑顔を見たことがないなんて、神殿は巫女をどんな育て方してるんだ? これはむしろ児童虐待といってもいいんじゃないのか! 憤慨するオレを他所に、彼女はワクワクした雰囲気でオレをじっと見ている。もしかして笑顔待たれてる?
「――作った笑顔は気持ち悪いと思うよ」
「どうすれば笑顔になってくれるのですか?」
「嬉しいことがあるとか……」
すると彼女は無表情なまま、うんうん考え始めた。そして数分後「良いこと思いつきました!」といった感じに顔を上げる。いや、なんとなくわかるのよ、不思議と。
「貴方が欲しい薬草を渡せば嬉しくなりますか?」
「……まあ、確かに嬉しくなるけど」
オレが肯定すると、彼女の周りがぱぁっと明るくなった。いや、無表情のままだけど伝わってくるのよ、何故か。
なんなんだ、この良い子は? 本当に癒しの巫女なのか? 癒しの巫女ってもっと偉そうな人じゃないのか? 巫女はキラキラした雰囲気でオレに尋ねてくる。
「貴方の欲しい薬草の名前を教えて下さい。すぐに持って来ます」
「……ウテウオという薬草だよ」
その名を告げた途端、彼女の周りのキラキラは消え、かわりに警戒感が出てくる。やっとかよ。
「その薬草は副作用が強く、栽培が禁止されているものです。ここの薬園にはありますが、どのような目的でそれを欲するのですか?」
彼女はその薬草のことをとても正しく理解しているようだった。
「……大切な人が侵死病の末期なんだ。痛みが激しい」
「ドロルでは駄目なのですか?」
「彼女から、もう効かないと言われた」
「…………」
彼女はしばらく俯いて考えていたが、突然すくりと立ち上がると何処かへ行ってしまう。
どんなに世間知らずでも、さすがに麻薬の原料にもなるウテウオを欲しがる男は突き出すようだ。まあ、当たり前だろう。痛み止めとして抜群の効果を持つウテウオだが、依存性の高さ、幻覚症状、精神不安などの副作用が強く、そしてなによりウテウオを原料に麻薬が作られ世間に広まったことから、この薬草の栽培が大陸中で禁止された。そのためウテウオはすべて一掃され、どこにも残っていないと薬術書には書かれていたのだが、やはりこの薬園にはあったらしい。
オレは急いでここを立ち去るべきなのだろう。きっともうすぐ警備兵がやってくる。しかし、なぜだか足が動かなかった。あの子を失望させてしまったと思うと気持ちが沈んでしまい、何もする気力が湧いてこない。どうしてオレはこんなに落ち込んでいるんだろうか?
「お待たせしました」
軽く息を弾ませ巫女が帰って来た。そして手に持っている薬包紙をオレにそっと渡す。オレは信じられない思いでそれを眺め、確かめるように彼女を見た。
「嬉しくないですか? 笑ってはくれないのですか?
ウテウオそのものは渡せませんが、これは痛み止めとして調薬したものです。わたくしは薬術師ではないので、本当は人に服用させてはいけないのですが、ウテウオを調薬したことが明るみに出ればその薬術師の方はメダルを奪われてしまいます。
ですから、わたくしが作りました。ウテウオの調薬自体は難しいものではないので、正しく出来ていると思うのですが……」
「どうして……。君はさっきオレが言ったことを信じるのか?」
「貴方は嘘を言ったのですか?」
「いや、本当のことだが……。
君は信じられるのか? 見ず知らずの男の話なんて」
「貴方は誰ですか?」
「青銅の医術師 アルツだ。教都の医療院で働いている」
「わたくしは今、貴方を見ています。貴方が誰なのか今、知りました。貴方は見ず知らずの男性などではありません。そして、貴方はこんなことで嘘はつきません」
「――どうしてそんなことが分かるんだ?」
「嘘を付くなら最初から付いています。わたくしは何を知らないかさえ知らない、もの知らずな人間ですが、嘘で誤魔化そうとする人が自分を悪く言わないことは知っています。――だから貴方は嘘をつきません」
――そんなことを言われたら、オレはこれからも君に嘘がつけないじゃないか。
オレは知らずに笑っていたらしい。
「あっ! 笑ってくれました。嬉しかったのですか?」
彼女はそういって目を細めた。まるで、笑ったかのように。
本当だ、笑顔は見ているだけで嬉しくなる。そしてもっと見たくなる。
彼女の笑顔で、オレの心がほんのり温かく癒されるのを感じることが出来た。




