2-12
今朝もシアに起こされてしまった。昨夜はなかなか寝付けなかった上、内容は覚えていないが嫌な夢を見たようだ。
オレは誘う者について考えることを止めることにした。幾ら考えてもあんな人外魔境の考えなどわかるはずもなく、もしあれが何かを仕掛けてきても、ただの人間であるオレに防ぐ手立てはない。
誘う者とは、悪魔や魔物などと並んで人々に恐れられている正体不明の存在だ。人の望みを叶えるかわりに魂を奪うとか、人の理から外れたどこかに魂を閉じ込めるなどといった眉唾な伝承が、まことしやかに伝えられている。
最後の『助言』とやらに癒しの巫女が絡んでいることを匂わせていたが、それが真実であるかどうかだって今のオレには判断の付きようが無い。分かるべき時が来たら、分かるだろう。そう結論付けて棚に上げておくことにした。
「アルツ! 一人で服が着れました!」
嬉しそうに手を広げ、シアはオレに笑いかける。
小さな幼児ではないから少し教えればすぐ出来るようになる。元々薬術師として優秀なのだ、手先は人一倍器用なのだろう。これならば、すぐなんでも一人で出来るようになりそうだ。今回はシャツが前後ろ逆だったけど。
オレが指摘すると真っ赤な顔をしながら急いで直し、「これで大丈夫ですか?」と聞いてくる。
「あぁ、完璧だよ。さあ、トリベウスを出発しよう」
その前に下でお待ちかねのおっさんとご対面だろうけどね。
「シアルフィーラ様」
予想通り、堅苦しい表情でガレルド監視院長がシアの出待ちをしていた。今が夜明けだから一体何時から待っていたことやら。
「昨日はお仕事の邪魔をしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
シアは真剣な表情でガレルド監視院長に深く頭を下げる。ガレルド監視院長は神にも等しき巫女様のそんな態度に驚き慄いた。
「シアルフィーラ様! 顔をお上げ下さい! 私のような者に頭をお下げにならないで下さい。おい! アルツ、おとめしろ!」
慌てるガレルド監視院長を、オレはニヤニヤ笑いながら眺める。
「良い教育してるでしょ」
「お前のせいか!!」
怒り狂うガレルド監視院長を、シアは不思議そうに見て、
「はい。アルツは大切なことをたくさん教えてくれます」
とニッコリ答えた。ガレルド監視院長は非常に複雑そうな、不本意そうな顔になったが深く追求しないことにしたのか居住まいを正し、話を変えた。
「未明にダイロン神官長が目を覚ましました」
シアの表情が真顔になる。そうしていると今でも人形のようだ。
「左半身に麻痺がありますが、担当の医術師の話では、本人の努力しだいで日常生活に支障がない程度まで回復するだろうと。あれだけはっきり意識があれば、補助金横領の件について追求することが出来ます。シアルフィーラ様のご助力に感謝いたします。ありがとうございました」
ガレルド監視院長は負けじと深く頭を下げると、シアがとんでもないと頭を振る。
「いいえ! わたしがダイロン神官長を考えなしに怒らせてしまったせいで、発作がおきてしまったんです。責められるべきで、お礼を言われることではありません」
「それを言われるならば、私こそ考えなしにアルツのメダルの話をしてダイロン神官長を興奮させてしまいました。シアルフィーラ様が責任を感じることは……」
「はい! この件はこれでおしまい!!」
オレがパンと手を叩き、二人の言い合いを止める。
「過ぎたことをごちゃごちゃ言っても無意味! 話すならこれからのことを話しなさい! シア、ガレルド監視院長にお願いしたいことがあるんでしょ」
オレが促すと、シアはガレルド監視院長に改めて向き直った。
「ガレルド監視院長はおじいさん……、ダリヤ様と親しい間柄とアルツから聞きました。ダリヤ様とお会いされる時がありましたら伝えて欲しいことがあるのですが、お願いできますか?」
ガレルド監視院長は、シアの言葉に静かに頷く。シアは少し躊躇したが、心に決めたように頷くとガレルド監視院長の目を見て言った。
「『おじいさんの望みを無視して勝手なことをしてしまってすみませんでした。会ってお詫びがしたいので、もう一度お宅にお邪魔させてください』と。よろしくお願いします」
ガレルド監視院長は、ひどく優しい目でもう一度頭を下げるシアを見つめ笑う。
「そのことについても、礼をいわせて下さい。あの方の命を救ってくださったことを。
私はあの方の絶望を知りながら、間近で見ているだけで何も出来ませんでした。確かに貴女がなさったことは、あの方の望みに適わないものだったかもしれない。しかし、同時に希望もお与えになったに違いありません。次にお会いになる時にはきっと笑って貴女を抱きしめ、お礼を言われると思いますよ」
ガレルド監視院長のその言葉に、シアは嬉しそうに笑い返す。オレはこの街で用意した二人乗りの馬車にシアを乗せ、ガレルド監視院長を振り返る。
「あとの事後処理、よろしくお願いします」
「――普通そういうことは部下がやることなのではないのか?」
「もともとここでのオレの仕事は終わってるはずですよね」
オレの偉そうな発言に苦い顔をしながらも、ガレルド監視院長は「今回だけだぞ」と言った。少しは融通つくようになったかね。
「さようなら。お世話になりました」
手を振るシアに、ガレルド監視院長は深く頭を下げる。オレは馬車に乗り込むと馬に鞭打ち出発させた。
さあ、次はカジノの町サルトだ。




