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「ようこそいらっしゃいました。ガレルド監視院長」
医療院の神官長室に入るとダイロン神官長はわざとらしい笑顔を浮かべながら、ガレルド監視院長だけを見て歓迎し、席をすすめた。オレ達の方は全く見ることさえない。オレはシアをガレルド監視院長の隣の席に座らせ、自分はその後ろに立った。
オレはともかくシアまで無視出来るとは、さては貴様興味の対象は食い物のみだな! シアの美しさに目を奪われないなんて、信じられない食欲魔人だ
「監査の前に、この者が貴殿に言いたいことがあるそうだ」
ガレルド監視院長がオレを指し示すと、ダイロン神官長は憎憎しげにこちらを睨む。
「……ウチの医術師を担いで貴様は何をしたいのだ。ザット医術師は優秀な人材だが、騙されやすいのがいかん。貴様を大変優秀な親友だと言って、言うことすべて鵜呑みにしておる」
おいザット! いつオレがお前の親友になったんだ? お前が医術師の試験を落第しそうになる度助けてやりはしたが、せいぜい学び舎の同期って関係だぞ。第一オレが髪の色変えただけでオレと気が付かない奴は、親友どころか友人だって認めん。
「白金の医術師 アルツと申します。先ほどお話ししている時に失語、言葉が出てこないという症状がありました。医術院のみなさんに確認しましたところ、ひどい頭痛やろれつが回らないなどの症状を度々出ているそうですね。脳の血管が詰まってしまう病気の前兆と酷似しておりますので、緊急の検査が必要です。治療院へ早急に行かれることをお薦め致します」
「そんな症状すぐ治ってしまうわ! 第一神官長である私がなぜ治療院で診てもらわなければならんのだ、いい恥さらしだ!」
「こういった症状は一時的に血管が詰まっても、血栓がすぐ流されるため治ったと勘違いされてしまうのです。詰まりやすい状態は改善されていませんので、何度も症状が出たり更に大きい血管が詰まったりして、もっと致命的な状態に陥る危険性が高いです。そして、ここの医療院ではこのような状態になった患者を救う設備が整っておりません。――治療院までご同行をお願い申し上げます」
ダイロン神官長の表情に怯えの色が見えたが、それをかき消そうと大声を出してオレを罵る。
「黙れ、黙れ! 貴様のような若造にどうこう言われる筋合いはないわ! 私のことは私で決める!!」
オレはため息を一つ付き、ガレルド監視院長に向き直った。
「私は忠告しましたよ」
「もしもの場合は私が証言しよう」
「ありがとうございます」
面倒くさいが、こうして言質を取っておかないと、後々問題が起こったときに更に面倒な状況に嵌められるので、しょうがない。
「それならば監視官の権限を行使し、貴方を補助金搾取の罪で拘束した上で強制的に治療院に送らせていただきます」
「何を寝ぼけたことをいっておるんだ! そんな証拠どこにもないではないか! 貴様になんの権限があってそんなことが出来ると思っておるんだ」
「証拠がなければ、ガレルド監視院長自身が査察に来られることはありませんし、私は監視官ですので、不正を働いた教会関係者を拘束する権限を与えられています」
もうなんだが本当に、このデブに付き合うのが面倒になってきた。オレは話をとっとと終わらせるため、部屋の壁に埋め込まれている作り付けの戸棚の扉を開けると、書類を取り出してガレルド監視院長に手渡す。
「はい、これが証拠です」
あっさり見つけられてしまった証拠を、ダイロン神官長は信じられないといった顔で見つめている。
「馬鹿な! まやかしの魔術でその戸棚はわからないようにしてあるのに……」
「確かに私には見えませんでした、この者が手を掛けるまで全く」
ガレルド監視院長は、感心したように戸棚を眺めて言う。
「どこで知ったのだ。この棚の場所を……」
絶望的な表情で、オレを問い詰めるダイロン神官長には悪いが、別に調べて知ったわけじゃない。
「私は普通に見えてますよ、戸棚が」
「そんなわけがない! この戸棚は私が自ら魔術を掛けたのだぞ。白金の奴らに引けを取らぬ魔力を持つ私が!」
変な矜持があって下手に説明すると煩そうだなあ。全くやっかいなジジィだ。オレが返答を迷っているとガレルド監視院長がさっさと答えてしまう。
「この者は教都で一番魔力の強い白金の魔術師ですよ。黄金の魔術師である貴方のまやかしの魔術など、効くはずもありません」
「なっっ! 貴様は医術師ではなかったのか! 医術師を偽るなど教会への背信行為、お前こそ捕らえられる身ではないか!」
ああああああああ!!! 面倒くさい。マジ面倒臭いですよ、オレは。
「この者、アルツ=ウィルニゲスオークは白金のメダルを、医術師・魔術師・剣術師と三つ所持しています。すべて正真正銘本物であることは、私が保証いたしましょう」
ガレルド監視院長は親切で言ってくれたのかもしれないが、それをそのまま信じてくれる人はほとんど居ないことをオレは経験上知っている。
「そんなことがあるわけがない! 私だってどんなに素晴らしい論文を発表しても、白金と認められなかったのだ。それなのにこんなチャランポランでアホそうな若造が、白金のメダルを三つも取れるはずがない!!」
チャランポラン……、アホそう……。まあ、良いんですけどね。このジジィを納得させないと帰してもらえそうにないので、オレは説明することにした。
「――え~っと、これは何色に見えます?」
オレが自分の髪を摘んで聞くと、ダイロン神官長は不承不承「茶色だが」と答えてくれる。そして次の瞬間黒色に変えた。
「先ほども変わる所を見せたと思いますが、まやかしの魔術で色を変えていました。貴方に私のまやかしの魔術が効くということは、私の魔力が貴方より上であることを納得していただけると思います。あとの二つのメダルは証明が面倒……じゃなかった難しいので、嘘だと思って下さって結構です」
「詠唱は? 解呪の詠唱がなかったぞ」
魔術に詠唱はつきものだ。詠唱しなければ普通魔術は発動しないのだが……
「私は『無詠唱魔術の発動に関する論文』で白金を頂きました。規模や効果は落ちますが、私の魔術に詠唱は必要ありません」
ダイロン神官長はそれを聞き、驚きおののく。
「貴様が……、貴様が十二歳で白銀を取ったと聞く無詠唱魔術の確立者か! 取ってすぐ医術師を目指すと言って魔術院を辞めたという痴れ者の……」
ダイロン神官長の握り込まれた拳がぶるぶる震えているのを見て、オレは不味いなと思う。興奮し過ぎている。大人しくさせるため、いっそ昏倒させてしまおうか。
そんな不穏なことを考えているオレを置いて、ダイロン神官長は更に怒りを募らせていく。
「貴様は、何て才能の無駄遣いをしておるのだ! それだけ魔術の才が有りながら、医術師や監視官など下賎な者がする仕事に従事とは! そんな下らぬことに能力と時間を費やす暇があるのなら、少しでも魔術の発展に貢献すべく……」
「黙りなさい」
オレが右から左へ聞き流していたダイロン神官長の文句を、凛とした声が遮る。
今まで一言も口を挟まず大人しくしていたシアが、ダイロン神官長に向かって言い放ったのだ。シアの後ろに立っているオレにその表情はわからないが、その背中からはどす黒いオーラが立ち昇る錯覚をおこすほどの怒りを感じる。
「人の生命を助ける医術師を下賎と呼ぶのですか……。アーリリア教の神官の職にありながら命を蔑ろにするその言動、貴方こそ痴れ者と呼ぶに相応しい。治療院に掛かるのがいい恥さらし? 掛かれる貴方は幸せでしょう。治療代を払えずこちらの医療院へ来るしかない同じ病の者達は、亡くなられたり酷い後遺症に悩まされたりするのですよ、貴方が不当に搾取したために。それを取り締まる監視官をも下賎と呼ぶ貴方をわたくしはなんと呼べばよろしいのでしょう? そのような貴方が、貴き仕事を勤め上げているアルツを愚弄することは、わたくしが決して許しません!」
「やめるんだ! シア」
オレに静止され、シアはハッとなり口をつぐむ。シアの啖呵に聞き惚れていて、止めるのが遅くなってしまった。ダイロン神官長の顔は、更なる怒りでどす黒くなっていく。
「お前ら如きが! お前ら如きがぁぁぁ!!」
立ち上がり叫ぶダイロン神官長は、次の瞬間恐怖で顔を歪ませた。
「な、なんだ! ま、真っ暗だ! 何も見えない!!」
両手を目の前に掲げ、不安げに彷徨わせる。
ちっ! 発作が起きてしまったか。
「神官長! 落ち着いて、ゆっくり床に横になって下さい」
オレはダイロン神官長の傍に駆け寄り、その身を横たえさせた。そしてそのまま触診し、状態を確認してシアに医療鞄を持ってくるよう指示する。呆然としていたシアだが、即座に立ち直り、鞄を持ってオレの脇に控えた。大人しく横になっていたダイロン神官長は、ゆっくり目を閉じていく。――意識がなくなったようだ。
「シア、トリコリールを二本注射で用意してくれ」
シアが準備している間、オレは腕の消毒を済ます。
「ガレルド監視院長は、治療院へ神官長を連れて行く馬車を用意してくれますか?」
「わかった」
ガレルド監視院長は即座に立ち上がり、部屋を出て行く。それを見送ったシアは、オレに注射器を渡しながら聞いてくる。
「アルツ、状態は?」
オレは渡された注射器をダイロン神官長に刺しながら、楽観できない現状を正直に話す。
「極めて悪いな。トリコリールが血栓を溶かしてくれるだろうが、視力の消失、意識レベルの低下などの症状から見ても、広範囲の脳血管の閉塞が考えられる。それに今から治療院に移しての対応では時間が掛かりすぎだ。命は助かったとしても重篤な後遺症、最悪意識が戻らない可能性がある」
シアは顔を真っ青にさせる。
「アルツ、わたしが『蘇生の……」
「駄目だ! それは許さない!! 約束しただろう、二度と使わないって」
「でも、私が彼を怒らせてしまったから……」
「その前から怒ってたさ、無駄に高いプライドのせいでね。オレがあんまり優秀だから」
オレが笑って首をすくめて見せても、シアは首を大きく振り否定した。全く失敗だ、シアはこの状況を自分のせいだと思っている。
「でも、アルツはなるべく興奮させないよう気をつけていました。それなのに私が……。せめて、せめて『癒しの術』を彼に」
「――これはどういうことだ」
振り返ると、顔を強ばらせたガレルド監視院長が入り口に立っている。
あぁ、全くもって失態続きだ。
「――どこから聞かれていましたか?」
「『意識の戻らない可能性』あたりからだ。貴方は……。貴女はもしかして……?」
良い面を見よう、知られたのがガレルド監視院長でよかった。オレはガレルド監視院長に入室を指示すると、これ以上人が入ってこないよう、聞き耳をたたれないようこの部屋に結界を張った。
「ガレルド監視院長、これから見聞きすることは他聞無用に願います。シア、『癒しの術』を施すことは認めよう。だが無理をするな、異常を感じたらすぐに中断させるからそのつもりで」
オレはシアに場所を譲り隣に控える。シアはすぐさまダイロン神官長の傍らに跪き手を取ると、祈るように頭を下げた。
すると途端にシアの身体が淡く光りだし、身体に変化が現れ、白金の髪は彼女の周りにキラキラと輝く光輪を作る。その背丈はひとまわり小さくなり、体つきは華奢で、しかしまろみを帯びた女性の身体になった。頬も柔らかいカーブを描き、伏せた目を彩るまつげは切なげに震え、赤いぷっくりした唇はきつく噛み締められている。
そんなシアの姿に、オレは状況も忘れ心を奪われていた。あの幼かった少女の美しく成長した姿をただただ見惚れ、息を詰める。その美しい姿を愛したわけではない。しかし彼女の本来の姿に、オレは心も身体もすべて持っていかれる錯覚を覚えた。
ふっとシアがまとっていた光が消え、その身体が傾ぎ、オレは我に返って身体を受け止める。
「すみません。……大丈夫です」
意識はあるが身体に力が入らないようだ。オレはすぐさまシアにくちづけ、己の魔力を注ぎ込む。確かに『蘇生の術』の時ほどの魔力の枯渇は感じられない。しかし、シアの身体に負担が掛かっていることは間違い無さそうだ。オレは自分の失態に内心毒づく。ダリヤのじいさんの忠告を聞いていれば良かったか。
「このお方は……、アルトレーシア様なのか?」
ガレルド監視院長が呆然とした面持ちで呟く。オレはシアから身体を離し、両手でその身を抱えると長椅子に横たえさせた。シアの身体はもう男性に戻っている。
「その説明は後ほど詳しく話します。結界を解きますので、今は何も見なかったことにして下さい」
「……わかった」
ガレルド監視院長の了承を確認し、結界を解くと途端に扉が大きく軋み開け放たれた。
「あ、あれ? 全然開かなかったのに?」
同時に雪崩れ込んできたザットが首を傾げる。
「ザット! 早くダイロン神官長を治療院にお運びしろ! 視力の消失、意識レベルの低下などの症状があったため、トリコリールを即時二本静脈注射したと向こうの医術師に伝えてくれ」
「わ、わかった」
せわしなく頷くと、ザットは連れてきた看護助手に指示を出し、ダイロン神官長を担架に乗せた。そして、長椅子に横たわるシアに気が付くと心配そうに聞いてくる。
「んん? 彼はどうしたんだい」
「貧血を起こした。しばらくここで休ませて欲しいんだが……」
「勿論良いよ。何か必要なものがあったら受付に言ってくれ。受付の彼女、君に夢中だったからきっと色々気を配ってくれるよ」
「……ありがとう」
ザットはダイロン神官長を連れて去っていった、余計な一言を残して。シアの方から微妙に冷たい空気が流れてくるような……。いやいや気のせい、気のせい。
「私も付き添ってくる。宿はここの隣だ。夕方には戻るつもりだから、今日中に説明に来い」
ガレルド監視院長はそういうと、破壊されたドアから出て行った。
う~ん、なんて言って誤魔化そうかね。さすがに無理か?




