向日葵と月と鼈
暖かな時間、窓の外では世界が川のせせらぎの如く動き生きている時、私はふわふわとした残酷な束縛に埋もれて呼吸をすることさえ忘却の彼方へ捨て去った。窓外を満たす生の喧騒と陽の光が薄汚れたカーテンの皺に吸い込まれ元気を失った室内には、ただ腐敗しかけた昨日の吐息だけがあり、その匂いは私を未来へと駆り立てるのを寂しそうに拒んできた。
「時計の針の無機質な先端が私の屍を毎秒切り刻んでゆく。」
「何をおっしゃってるんですか。」
硝子がカーテンをしゃっとした。それだけでなく外と内の隔たりをがらがらと完全に無くしてしまった。おかげで室内には今までのつけと言わんばかりの外の時空がどっと押し寄せ、忘却と腐敗を握りつぶした。暴力的な陽光が生き返った網膜をもう一度焼き切り、私の特権的な孤独を蹂躙した。
「そんなふうにぶつくさ言ってるとご褒美を取り逃しますよ。」
「客か。」
「はい。坊ちゃんも下に降りてお茶とケーキを召し上がったらどうですか。」
下から浮き漂う焼きたてのスポンジの匂いは、高尚な絶望に浸っていた私の鼻腔を、卑俗な空腹という名の虫で汚していった。
下界へ一段ずつ降りる。雲が薄くなっていくと同時に、甘く本能をくすぐる匂いが強くなってきた。台所の扉を開けるとすぐにその正体を掴んだ。黄金に照り出された月は銀色のナイフで切り出される最中で、断面のパステルカラーが年頃の乙女の頬の様に熱を帯び、大層恥ずかしそうにこちらを見ていた。そんな視線を贈られてはこちらも同じくするのが礼儀と言うもので、美術品を見る政治家先生さながらにほうっと感嘆を漏らし、机の周りを徘徊した。だがその円運動も鼻腔を蹂躙するバターの香気が月の重力を大きくし、衛星を墜落させるほどになるまでの短い執行猶予に過ぎなかった。
「これ、お客さんが先です。切って出すから、挨拶してきなさいな。」
嗚呼、私の月よ。運命は残酷なのだな。台所の番人に捕まってしまった。瞬時に幾つもの高尚で素晴らしい言い訳を思いついたが、ひとに理解を求めるという事ほど野暮なものはない。口を固く結び、客間の扉を開けた。
花が薫る。そこには太陽と、向日葵がいた。とっくのとうに月は見えなくなった。




